VS 新倉燐
「サウスポーだ」
「珍しいね」
わたしのラケットを持つ手を見て、そんな声が聞こえてくる。
「ルールは公式戦と同じ1セットマッチ、サーブ権はどうぞ」
「ええ。ありがたくいただきます」
ぽん、ぽん。ボールをコートで2回、バウンドさせる。
さすは白桜。こんなちゃんとしたコートがあるなんて。
うちの学校じゃ、せいぜい砂の校庭に網と線を引いただけのものしか無かったのに。
(まずは・・・)
軽くトスを上げ、それを打ち出す。
(サーブをコートに入れること!!)
なんとかサービスコートにサーブが決まる。
やった、なんて考えていた瞬間。
「えっ・・・」
バックコートの隅に、高速のレシーブが返ってきた。
わたしは、一歩も動くことが出来ず。
「こほん。0-15ッス」
審判台に座っていた万理が、呆けているわたしに告げるように言う。
「つ、次こそは!」
サーブを打つが、またあの高速レシーブが返ってくる。
今度は反応は出来たけど、とても打ち返せるような距離じゃなかった。
次も同じ。そして・・・。
「ゲーム新倉先輩。0-1ッス」
何もできないうちに、あっという間に1ゲーム取られていた。
「あーあ、こりゃ勝負になんないッスね」
3ゲーム目を取られた時、万理にそんな悪態をつかれる。
「ゲーム新倉先輩。0-5ッス」
そして気づけばあと1ゲームでゲームセットだ。
しかも天使先輩のサービスゲーム。ギャラリーの声援が大きくなるだけで、彼女は顔色一つ変えずにサーブを構える。
(綺麗・・・)
なんて綺麗で無駄のないフォーム。
まるで教科書から切り取ったかのように基本に忠実なフォームだ。
・・・だけど。
「だから、分かりやすい!」
気づいたら身体が反応していた。
サーブに追いつき、それを打ち返していたのだ。
「!?」
ただし。
「15-0ッス」
力に押されて、明後日の方向に打球は飛んでいったけれど。
「あ、あの高速サーブを、打ち返した・・・!?」
「コントロールはついてなかったけど」
「でも、この短期間の間にあのスピードに慣れたってこと!?」
ざわつくギャラリーに答えてあげねばなるまい!
「そう! わたしはサーブを見切りましたよ! もうそのスピードに翻弄されたりしません!」
わたしはそう言って、ははは、と笑う。
次のサーブにも身体が反応し、打ち返す。ただし、相変わらずコートの中にレシーブが入らない。
「見切ったからなんだと言うの。相手のサーブをきちんと見てレシーブするなんて、基本中の基本よ」
天使先輩は小さく呟くと、表情を一切崩さずサーブを繰り出す。
今度は明らかにコースを厳しくしてきた。でも。
(先輩はオールラウンダー。サーブが特別速いわけでも、打球が重いわけでもない・・・だから!)
打ち返すことくらいは、出来る!
・・・しかし悲しいかな、
今度はレシーブがネットに突き刺さる。
「40-0。姉御ぉ、マッチポイントッスよー」
「わ、わかってる!」
ここまで来ると、ギャラリーの応援も力が無くなってきた。
「あの子、結局口だけだったね」
「あれじゃあエースなんて夢のまた夢っていうか」
「正直、無理でしょ」
そんな声が聞こえてくるほどまでに、わたしはボコボコにされていた。その自覚もある。
でも、でも、でも!
(・・・諦めない)
絶対に諦めない。まだ試合は終わってないんだ。
まだ勝てる可能性は残されてる。マッチポイントを取られるまで、試合は終わってないんだから。
先輩のフォームをじっくりと見る。
(そう、腕があの位置に来た時に、ボールをインパクトして、そのサーブがコートの隅へ)
だからわたしはずっと、自分の位置を調整していた。
どのくらいの位置に立てばあのサーブを適切に打ち返すことが出来るのか。
それが分かったのがこの6ゲームに入った時。そして。
それを完全に分かったのが―――
「―――今ッ!!」
わたしのレシーブは一直線に、コートの中へ。
初めてレシーブを決めることが出来た。
サーブをレシーブするなんて基本中の基本、出来て当たり前。
でも、それなら。
―――ボールが先輩側コートの後ろで、転々としている。
「・・・やった」
わたしのレシーブを打ち返せなかった先輩の"基本"を、崩した事にはなるだろうか。
「やった、やったあ! 1ポイント取ったあ!」
まるで勝ったかのようにぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。
だって、1ポイント取れたんだもん。嬉しいに決まってる。
「40-15」
万理が初めて、まともにコールを言ったような気がする。
「なるほど。おかしな子だとは思ってたけれど、貴女」
「はいっ」
「馬力で押すタイプね」
燐先輩は少し微笑みながら、柔和な表情でこちらを見つめた。
この試合に入ってからようやく、あのわたしを威圧するような態度を解いてくれた気がする。
「はい! 押すことしかできませんからっ!」
昔から力勝負では負けたことが無かった。
その割には筋肉があまりつかない体質で、"細いと油断してると大人でもぶん投げられる"と、地元では警戒されていたほど。
「なるほど。オールラウンダーが苦手なタイプッスね」
万理はそれを審判台で見て、何かにやにやと変な笑いを浮かべていた。
次のサーブもレシーブする。
しかし、今度は先輩もそれを返してきた。
でも、わたしも負けない。力強くボールを打ちかえし、またそれを打ち返される。
(負けるもんかあ!)
コースに決められた打球に追いつき、思い切り打ち返す。
今のは自分でもいけたと思った。強力な打球が、先輩のコートに突き刺さり。
先輩はそれを返せなかったのだ。
「やったっ!」
あと1ポイントでデュース・・・!
「ゲームセットアンドマッチ新倉先輩。ゲームカウント0-6ッス」
「え、ええええぇ!? なんで!?」
「アウトッス。今の、明らかにラインの外に出てたッスよ」
先輩の方を見ると、やれやれと首を横に振っていた。
全然気づかなかった。強い打球を飛ばすことだけを意識しすぎて球が伸びすぎていたんだ。
「うう、結局1ポイントしか取れずに負けちゃった・・・」
あれだけ大きな事を言ったのに、とわたしが落ち込みながらネットまで歩いていると。
「・・・呆れた。あそこからまだ勝つ気でいたの?」
「そりゃあ、あの流れならいけてましたよ!」
「あなたの体力が持てばね。言っておくけれど、スタミナでは絶対に負けない自信があるわ」
先輩はそう言って、クールに髪を梳いた後。
「でも」
右手を差し出す。
「最後の1ゲーム・・・、楽しかったわ。正直、1ポイントも取らせる気は無かったの。あの1ポイントだけは褒めてあげても良い」
「ほ、ほんとですか!?」
わたしは嬉しくて嬉しくて。
その手をがしっと両手で握り、ぶんぶんと上下に振った。
「ふふ、楽しみにしてるわ」
先輩はくすくすと楽しそうな笑いを零す。
ああ、美しい。尊い・・・。なんて素敵な笑顔・・・。
「あなたが1軍に呼ばれるのをね」
その瞬間、全ての色が白黒逆転する。
わたしの世界が凍り付いた。