久我まりか
合宿最終日、午前―――
事前に伝えられていた通り、午前の練習は各々がメニューを考えてやるべきことをやれとのことだった。
有紀なんかはいつものように早くも菊池先輩と何かをしゃべりながら第2コートへと入っていっている。
(・・・新しいサーブを試すって言ってたけれど)
徹底的に個人の好きな練習を出来るこの時間にはお似合いの課題だ。
私のやりたいことは。
「新倉先輩」
ちょうど1人になっていた先輩を、呼び止める。
―――もう決まっている
「私と1試合、本気で戦ってください」
―――自分の実力を試したい
―――今の私が、この人にどこまで通用するのか
「・・・」
先輩はふむ、と言った具合に口に手を当てて数秒、考えると。
「ごめんなさい、それは出来ないわ」
丁重に断りを入れられた。
「なぜですか?」
「この合宿のうちに取り組んでいた課題がもう少しで実になりそうなの。それに、」
先輩はまっすぐにこちらを見つめて。
「お互いこんな満身創痍の状態で試合をしても得られるメリットは少ないと思うわ」
「・・・っ」
3日間、合宿で絞られに絞られている。それは私も先輩も同じ。
今の会話で先輩側に非は全くない。言っていることは全部正論だし、突然試合の話を持ち掛けたのはこちら側。それなら・・・。
「お時間とらせてすみませんでした」
私の無理を押し通すところじゃない。諦めよう。
「いいえ。こちらこそごめんなさい。次の機会には必ずね」
「はい」
去っていく先輩の後ろ姿を見て、ふうとため息をつく。
気づくと私はぽつんと一人、コートの真ん中に立っていた。
ダブルスの先輩たちはそれぞれのペアで練習を始めていたし、シングルスの先輩も自分の練習を始めている人が多い。
しまった・・・。断られるなんて思っていなかったから、どうしたものか。
そんな風に立ち尽くしていると。
「特にやることが無い子たちは私のとこにおいでー」
優しくて、凛とした声がすっと耳に入ってきた。
「一緒に実戦形式の練習をしよう。私がみっちり鍛えてあげるからー」
振り向くとそこに居たのは、そう言いながら笑って手を振る部長の姿だった。
「わー。まりかありがとー。助かったよ私なんもやることなくて」
「部長、私も良いですか?」
「うんうん。私のプライベートレッスン受けられるなんて運が良いよ君たち」
あっという間に4人ほどの人数が集まっている。
(意外とやる事ない人多いんだ)
そんなことを思いながら、私もおずおずと手を挙げて、輪の中へ入っていく。
「おー。スーパールーキーちゃんもか。さっき燐にフラれてたね」
「う゛っ」
グサッと何かが心臓に突き刺さる。
「私だったら相手になるけど?」
だから部長に言われたその言葉が。
「いいんですか?」
「うん。2ゲーム先取とかのミニゲームになっちゃうけど」
「全然良いですっ!!」
本当の本当にうれしかった。
◆
午後―――
合宿ももう終わり。最後の追い込みと言わんばかりに練習は激しさがましていた。
陽が段々とその色を赤く変えようとしていた時間のこと。
「シングルス志願者は全員コートに入れ」
わたしはこの時初めて。
「私が相手になる」
監督が上着のコートを脱ぎ捨てたのを見た。
元々身長が大きな人だし、そもそも体格が中学生とは違う完全な大人。コートに入った時の威圧感は子供のそれではなかった。
まるで―――
(相手を殺そうとしてるような"殺気"・・・)
冗談でもなんでもなく、そんなものを纏っているような雰囲気が間違いなくあるのだ。
「監督が本気になると、合宿も終わりって感じがするね」
「うぇー。あれマジで洒落になってなくてあたし嫌いです」
逃げろと言わんばかりにコートの外へ出てきた咲来先輩と瑞稀先輩はじめ、ダブルス組の先輩たち。
「そんなすごいんです―――」
わたしが言ったか言わなかったかのうちに。
とんでもないスピードのサーブが繰り出され、バウンドしてないんじゃないかという勢いで後方の金網フェンスに突き刺さった。
「か・・・?」
いやいやいや。
今の手加減とか一切なしの奴じゃん。大人の本気って奴じゃん。
なんて事を軽く言えるような空気ではとてもなく。
「次! 新倉!!」
「はいっ!」
あの大人サーブをなんとかでも打ち返す燐先輩ってやっぱりとんでもない人なんだと再確認した。
サーブを返しても終わらない。そのレシーブを監督はまた本気で返してくる。
さすがにラリーが続くもの、やはり最後は燐先輩が力負けしてしまっていた。
「次ッ!!」
あまりに迫力に気おされてしまって、何も言えない。
(あんな強いサーブもショットも、中学生が打てるわけがない)
この人ほど強い敵なんて居ない。
でも。
(あれを打てば―――)
どれほどの自信になるだろう。
「くっ!」
文香の放ったレシーブが力なく飛んでいく。
「こんなもんに力負けしてどうする水鳥!」
「はい!!」
何度やり直しても1年生の文香ではサーブが打ちかえせない。
それでもシングルス志願者十数人を相手にしているのだ。監督にも疲れが出てくる。
威力の弱ってきたサーブに、次第と力の入ったレシーブができるようになっていく文香。
―――そして何よりすごかったのが。
監督と五分の試合をしている部長だ。
(10人以上を相手にして疲れてるのを抜いても、すごい)
大人の力とスピードに唯一ついていけている部長。
白桜を引っ張っている屋台骨の強さを、目の前でまじまじと見せつけられ―――
やがて部長含めてシングルス志願者全員が、コート上で膝をついていた。倒れている子も居る。
「・・・もう終わるのか?」
それでも監督は、大きく肩で息をしながらもまだボールを握って構えている。
もう無理だよ。
後輩のわたしがこんなこと言うのはおかしいかもしれないけど、これ以上は先輩たちがかわいそうだ。
「これで終わりか、久我!!」
部長なんて1番絞られて、もう立ち上がれないくらい走らされたはずだ。
いくらなんでも、もう―――
「お願い・・・しますッ・・・」
信じられない。
部長は立ち上がった。もう見るからにボロボロで、雫になった汗が身体中から噴き出しているのに。
それでもあの人はよろよろと立ち上がると、しっかりなフォームでレシーブの体勢に入る。
そして監督のサーブを。
見事に打ちかえして、リターンエースを決めて見せた。
(ああ、これが―――)
80人以上の部員をまとめる旗頭。
みんながこの人の後ろなら安心して歩いていけるっていう、灯なんだ―――
◆
「これで合宿の全日程を終了する」
みんなの前で告げる監督も、それを聞く選手たちももうへとへとに疲れて立っているのがやっとだった。
わたしもさっきまでは視界がぼやけて見えるくらいの疲労度だったけど。
「よくこの練習を耐えたな。断言する。こんなハードな練習をしたチームは他に無い」
不思議と今は、達成感の方が完全に上回ってしまっていて。
疲れどころではなかった。
「これだけやったんだ。試合で不安になったり、もうダメだとあきらめかけた時、今日のことを思い出せ」
横に立っている文香も、不思議と同じような顔つきをしていた。
「大抵そんなもん、なんて事はない。自信を持て!」
「はい!!」
きっと、先輩たちもそうなんだ。
これだけやった、これだけ辛いことを乗り越えた―――
確かにその自信はわたしの心の深く、奥底に根付いた。
胸の辺りをぎゅっと掴んで握ってみる。
その誇りは確かに、今まで手にした何よりも心強かった。




