万理眼 3
「"合宿"と言うのは形式上使っている言葉で、どこか合宿地に行くわけではありません。全寮制の白桜ではあまり意味のないことですから」
木曜日の夜。
1軍の選手たちが早めの就寝になったところで、ウチら2軍は食堂に集められていた。
並べられた長机の前で、コーチがせっせと話をしている。
「ただし、明日の放課後からの約4日間、コートとナイター設備は全て1軍が使用します。引退した3年生も、そして勿論私も1軍の合宿にかかりきりになりますね。その間2軍のあなた達は」
コーチはぱっと両手を広げて。
「自由時間とします」
そう言い放った。
1年生の間にはどよめきが起こっている。
「期末試験に向けて勉強をするもよし、自主練習をするもよし、疲れをとるために休んでもよし。自分が正しいと思う事をやってください」
うわー、キツイのきたなー。
思わずそんな事を考えてしまう。口に出す寸前になんとか手で口を覆い、もう一度それを飲みこむ。
自由って、それって・・・。
(夏の大会に関係ない連中は勝手にしてろってことッスか)
少し語弊のある言い方だけれど、要するにそういう事だ。
監督とコーチ、そして引退した3年生も動員して徹底的に1軍を鍛え抜く。
逆に言えば、そこに入れなかった2軍選手に構うことができないから各々自由にしろ、と。
「あのね。ここに居るみんなに聞いて欲しいの」
そこで、コーチの声色が少し変わった。
「監督も私も、2軍のあなた達を絶対に見捨ててなんて無いからね。今は夏の大会に向けて1軍の強化を優先しなきゃいけない時・・・それは分かって欲しいの」
まるで選手1人1人を説得するように言う。
「今はある1軍との差に諦めないで。あなた達の力が必要になるときが絶対にやってくるから」
コーチの渾身の想いが籠った言葉に、場が静まり返った。
そこまで言う必要があるんじゃないかと言うくらい、この人は。
(気遣いの人なんスね)
本来なら2軍は自由時間です、で話を閉めても全然よかった。
それでもこの人はそこで終わらせることが出来なかったのだろう。
どういう考えでそこから先を言ったのかは分からないけれど・・・本当に選手の事を思ってなかったら、あんな事は言えない。
(ここであえて突き放すってパターンもアリだと思うんスけどね)
てっとり早くここに居るみんなをやる気にさせるなら、そっちの方が有効的な気もする。
ここに居たのがコーチではなく監督ならその方向で話をしていたと思う。
「あの人の優しさに溺れてはダメだ」
そう息巻いたのはルームメイトの深川さん。
えらく生真面目な人で、1年生のスカウト組の中でもナンバー2の実力を持っている。
深い紺色の髪を、後ろで小さなポニーにしているさわやか系の女の子。
そんな深川さんが、就寝前の一時・・・部屋の中心にある丸テーブルを2人で囲んでいた時にそんな話を始めた。
「その心は?」
「バンリ、君は悔しくないのか」
彼女はまっすぐにこちらを見つめて言う。
「ワタシから見て、君はあの2人・・・藍原と水鳥の1番近くに居た1年生だった。あの2人だけが1軍へ行き、君は残された。これは面白くないはずだ」
深川さんは熱く語りかけてくる。
確かに、この人から見たらウチは仲良し3人の中で唯一取り残されたように見えているんだろう。
「・・・正直、そこまで強く悔しいとは思わなんだッス」
でも。
「今、1軍に居る2,3年生はバケモノッスよ。ぶっちゃけ、入部して2ヶ月、練習時間の半分くらいを雑用や球拾いにまわされてるこの状態でバケモノを倒すのは無理があるッス」
ウチの考え方とは決定的な違いがあった。
「ウチは結構早い段階でこの夏の出場は諦めたッス。だから今は、2軍でひたすら基礎練習や1軍の練習についていく体力を鍛える時期だと考えてるんスよ」
「藍原と水鳥を、君はどう見る?」
「姐さんはマジモンの天才ッス。経歴や実績がウチらとはダンチ、あれは例外中の例外。凡人が真似ようとしても絶対に無理なタイプ」
恐らく幼い頃から英才教育を受けて育ったタイプのプレイヤーだ。
そういう選手がこういう名門に在籍すれば一学年に1,2人くらいは居たりするものだ。
「ただ」
姐さんの真似は出来ない。
「姉御に関しては絶対にアピールしなきゃいけなかったところで100%の力を引き出せる能力があったのは認めるッスけど、あの人は天才じゃないッス。実際、入部の時の1ゲームマッチでウチは姉御に勝ってるッスから」
でも、姉御の真似は出来る。
「姉御のすごいところは誰よりも練習をやろうとする貪欲なメンタル、そして何よりそれを身につける吸収力ッス」
「もの覚えが良いってことか?」
「そんなとこッスね。姉御のフォームって入部の時とだいぶ変ってるの、知ってるッスか?」
「いや・・・」
深川さんは首を横に振る。
「普通、1ヵ月足らずでフォームの改造なんてできないッスよ」
入部した日のことを思い出す。
あの時見せた、あのサーブ。あれを完成した変則フォームでタイミングをずらされて打ち込まれたら。
あれは姉御にとって相当大きな武器になることだろう。
「そうか、それが彼女が1軍に選ばれた理由か」
深川さんはゆっくりと首を横に振りながら。
「だがワタシは悔しい。あの2人に置いて行かれたことも悔しいが、1番腹が立つのは自分自身にだ」
下唇を噛み。
「ジュニアではずっとワタシが1番だった。誰にも負けない自信もあった。だが、この白桜に来てからワタシが1番だった試しがない」
眉間にしわを寄せて。
「今はただの2軍選手であることを認めよう。だが、ワタシはいつまでも水鳥の次で居る気は無い。ナンバー2なんて不名誉な称号は返上して見せる」
今までため込んでいたものを吐き出した。
「絶対に」
生真面目な彼女は、普段自分の劣情を見せることなどほとんどなかった。
でも、今の彼女の言葉はきっと・・・本心。
「深川さん・・・」
そして。
ウチはそれを聞いてしまった。
「やりましょう。ここからの下剋上、やってやるッスよ!」
深川さんの手を取って、言う。
「いま、初めて深川さんの"ほんとう"に触れた気がするッス」
「みっともないところを見せてしまったかな」
黙って手を伝い、そのまま身体を手繰り寄せて、彼女を抱きしめた。
「黒い部分を持ってない人間なんて居ないッス。それを見せない人間は信用しないようにしてるんスよ」
「なんだそれ。実体験か?」
「人生観・・・ってとこッス」
この子は成長のしようがある。
現状に1ミリも満足しておらず、上を向く力があるからだ。
姉御も姐さんも、その面においては深川さんとかなり似通った面のある人だった。
―――そして、ウチには分かっていた。
自分に"それ"が、決定的に欠如しているということを。




