東京の女帝 後編
おもむろにカメラのファインダーをのぞき込み、コートへ向けると。
「いえーい☆」
金網フェンス越しに満面の笑顔に両手でピースをした五十鈴ちゃんの姿が。
「うおー! 良いね良いね、その笑顔いただきだよー!!」
100点満点の笑顔に思わずシャッターを切ってしまう。
「写真撮られるのは慣れてますから☆」
「うへぇー、マジでー? お姉さんそれじゃあちょっとオトナな注文しちゃおっかなー」
「やめろバカ!!」
撮影に夢中になっているところに、コンプライアンスを無視したチョップが頭に突き刺さる。
「っつ・・・。先輩! 私そういう体育会系のノリ無理だって前に言いましたよね!?」
「私だって体育会系じゃないわ! でもウチの編集部から逮捕者が出るのだけは勘弁してよね!」
くそ。大人はいつもこうだ。常識に縛られて目の前の宝箱を開けようともしない。
「取材ですかー? 独占インタビューとか?」
「いや。今日はそういう予定はないんだけどね」
近くで見ると改めて可愛いな綾野五十鈴。テレビで見るより更に良いな。
目とかキラキラ輝いてるじゃん。発光してんじゃないかってほど。
「そちらのカメラマンさん、はじめましてですよねー? 綾野五十鈴です☆」
「き、君かわいいね・・・。アメちゃんあげるからお姉さんとプライベート撮影しない?」
えへへー、と鼻の下を伸ばしながら金網をがしゃんと掴む。
「んー。お断りします。だって、私にはみーちゃんが居るから」
「随分と彼女にご執心なんだねぇ」
「みーちゃんってすごいんですよ。ホント365日練習のこと考えてるんです。今まであんなに努力するのが好きな子、他に見たことない」
ジュニア世界大会を経験したこの子がそこまで言うほどか。
「それに何より」
そこで五十鈴ちゃんは一拍置き、こちらに腹を上にした人差し指をさしながら。
「みーちゃんはメチャクチャ強いから。私の次に、ですけど」
言って、彼女は少しだけ顔を引き締め。
「私が興味あるのは強い子だけ。強い子と戦って、勝つ。それが私のテニスですから☆」
かと思うと再び満点笑顔でダブルピースして見せた。
「なるほど。東京四天王と評されることが多いですが、1番は綾野さんで2番目が穂高さんだと」
「そういう気持ちで練習することを心がけています」
急にこの一連の会話に、美憂ちゃんの声が加わる。
「あ、ハニ~☆」
いつの間にか隣に来ていた美憂ちゃんに、五十鈴ちゃんはいっそう目を輝かせた。
「いいねー! やっぱり2人並ぶと画になるね! 女の子は2人並んでなきゃあ!!」
そして私も。
思わずカメラを構えてシャッターを連打してしまっていたのだ。
「・・・新しいカメラマンさん、エキセントリックな方ですね」
「ごめんなさい」
なぜか頭を抱えて謝る上司。
「例えば、白桜の久我さんよりも自分は上だと?」
彼女は抱えていた頭を持ち直すと、美憂ちゃんへ真面目に質問を投げかける。
白桜の久我まりか。
東京四天王と呼ばれる選手のうちの1人だ。
「当たれば負けることは考えていません」
「編集さん、ダメですよみーちゃんにそんな事聞いても。こういう答えしか返ってきませんから」
美憂ちゃんのほっぺたを人差し指でつんつんしながら肩に手をまわす五十鈴ちゃん。
「みーちゃんに質問するならこうです。"春の大会で2年坊に負けといて、まりちゃんより上は生意気じゃない?"って」
「・・・」
言われた瞬間、美憂ちゃんは明らかに不機嫌な顔になった。
ぶすっとした表情にじと目、そして視線を斜め上の方に向けてしまっている。
「白桜の新倉燐選手のことですか?」
「ああ~! あの天使みたいな美少女JCのことですね!!」
「お前は黙ってろ」
良い感じの情報を会話に乗せてあげたのに、なぜか怒られた。
「みーちゃん、あの子の事を話に出すと機嫌が悪くなっちゃうんですよ」
「別に、そういうわけじゃ」
「2年生に負けたのが相当堪えたみたいで」
「そういうわけじゃ・・・」
その先は聞き取れないような小ささの声になってしまった美憂ちゃん。
(こりゃ、尻に敷かれてんな)
普段の様子が透けて見えてくるみたいだ。
「確かに春は負けました。しかし、次は絶対に勝つ。チームのキャプテンとして、2年生に連敗しては示しがつきませんから」
そう、彼女が宣誓したところで。
「では休憩が終わりますのでこれで失礼します」
「またね、変なカメラマンさん。今度会ったら写真にサインしてあげる☆」
「ぅえー。マジっすか!?」
あ、やばい。興奮し過ぎて変な声出ちゃった。
「あなた、ファッションはダサいけど可愛い顔してるし。私とシュミ合いそうだから☆」
彼女はそんな風に軽口をたたいて、ばいばーいと小さく手を振りながら選手の輪の中へ戻っていく。
「かわいい・・・だって」
なんか笑っちゃう。
だって。
(私、彼女たちより10歳以上、年上なんだけど・・・)
案外、まだイケるのかもしれない。
◆
カーステレオのラジオからご機嫌な夕方番組のトークが聞こえてくる。
この時間に車乗るのはしんどいな、眩しくてしょうがないや。運転してるのは上司だけど。
「いやあ、すごかったですね色々と。良いもん見せてもらいましたよ」
「次号予告に載せる写真、撮れたんでしょうね?」
「ええまあ、給料分の仕事はしますよ」
じゃないとクビでも切られたら堪ったもんじゃない。
雑誌社と編集部のコネでもなけりゃあ、黒永の敷地内なんて入れないもんなぁ。ホントに逮捕されちゃう。
「さっきの会話、あれでしたね。2人とも闘争本能バチバチでちょっと怖かったっす」
「綾野さんも穂高さんもプレイヤー、選手だからね。負けず嫌いじゃなきゃ、あれほど上手くなれない」
「意固地になってるって事ですか?」
「そうじゃないけど、負けてもいい、失敗してもいいなんて思ってる子がいけるほど甘いところじゃないよ」
その時、ビルの間から光が零れてきて、目の前を真っ白に照らす。
「全国大会ってのはさ」
この上司は意外と真人間だから、こんな台詞もさらっと言えてしまう。
さすが聞き上手で有名な編集マンだなあ。
「結局、東京で1番強いのは誰なんですかね。五十鈴ちゃん?」
「さあね。中学生の女の子って、ホントに成長期真っ盛りだから1ヵ月で体格変わる子とかもいるのよ。だから成長スピードも千差万別でメチャクチャ。そこが面白いんだけどさ」
「中学生は最高だぜ!ってヤツですね!?」
「んん? う、うん・・・。端的に言えばそうなのかな」
あ、これ肯定しちゃダメですよ。
でも説明したら怒られそうだから黙っておこう。触らぬ神に祟りなし。
「夏には春の大会の結果なんて簡単に覆る。これは毎年のように見る光景よ」
信号を3回連続青で通過し、上司はカーステレオから聞こえてくるラジオDJの如くご機嫌に続ける。
「それに夏の大会には大きな不確定要素がついてまわるしね」
「? 暑さですか?」
この答えはあまりに浅はかだった。
よく考えもせずに口に出してしまった事を後悔する。
「1年生。春には居なかった、新しい戦力たち―――」
上司に言われた途端、私には思い出した光景があった。
一つは白桜の水鳥文香。彼女がコートで魅せた圧倒的なプレーを。
そしてもう一つ、思い出したのは。
―――白桜の2軍コートで、黙々と素振りをしていた強気な少女の姿。
「確か、あの子は」
何故だか彼女の姿が目に焼き付いて仕方が無かった。
名前も知らない2軍選手。
何故、彼女に目を奪われてしまったのだろう。そして何故、今それを思い出したのだろうか。




