勝者と敗者 後編
夜空を見上げる。
有名な歌の一節にあったっけ。涙が落ちないように上を見上げようって。
こんな時でも泣くのを我慢してしまうのは、きっと。
(私はまだ、泣いちゃダメだから)
私にはチャンスがある。彼女たちのように終わりを宣告されたわけじゃない。
だって、これで私たちが勝てなきゃ・・・彼女たちが報われない。
「咲来」
「・・・まりか」
室内練習場の外。中の様子がギリギリ聞こえるそこに、部長も来ていた。
私は涙を指で拭いながら。
「ごめんなさい、私が泣いてちゃダメだよね」
「いや、いいと思うよ」
必死で出す言葉を、まりかは受け止めてくれた。
「咲来、副部長として他の部員のこと、本当によく考えてくれてたから・・・。当然だと思う」
「貴女は口下手だもの。私がやらなきゃ、他に誰がやるの?」
「・・・負担ばかりかけて、ごめん」
彼女は小さく呟く。
「いいの。部長を支えるのが、副部長の仕事でしょ?」
「はは。さすがにそんな風に言われると、瑞稀ちゃんに刺されちゃうよ」
「瑞稀はそんなことしないよ」
「だといいけど」
まりかは小さく笑った。
「このみはどうしてる?」
「ここに来てないって事が答えだと思う」
藍原さんとペアを組んでからはそんな事ないけれど、あの子は割とネガティブに考え込んでしまうタイプなのだ。
あの子がここに居たら、耐えられないだろう。
「重いものを、背負ってるんだよね」
「名門白桜の看板だけじゃない。1軍に入れなかったみんなの想い・・・私たちはその上に立ってるんだ」
歴代の3年生たちはみんな、このプレッシャーの中戦ってたんだ。
結果が出せなきゃ、"あの世代は"と、学年単位で責任が降ってくる。
「覚悟はしてたんだけど・・・」
手が震えてくる。
その脅えた手を、
「咲来は何も気にしなくて良い。支えられた分・・・1番重いところは、私が持つ」
まりかは両手で握りしめてくれた。
「それが、部長の役目。私はそう思うな」
大きな手。硬い掌、長く綺麗な指。
それらが私を包んでくれる。
「強いね・・・まりかは」
それがこんなにも頼もしいものだって。
知っていたはずなのに、もう一度再確認した。
私たちの部長はやっぱり、まりかしかいない―――
◆
ベッドに寝転がって仰向けになり、二段ベッドの上に向かって手を伸ばす。
(わたしは・・・)
その次の言葉が、出てこなかった。
「いつまでそうしてるつもりなの?」
すぐ隣。部屋に真ん中に置かれた丸テーブルで勉強をしていた文香が、シャーペンを動かしながら声をかけてきた。
「先輩たちに同情してるつもり?」
「・・・」
「それとも、あなたの1軍枠を3年の先輩に渡そうとか?」
「そんな事はっ」
「考えてなかったとは言わせないわよ」
文香はとん、と小さくテーブルを叩く。
「そんな事をしても、誰も喜ばない。相手を惨めにさせるだけだわ」
「・・・分かってるよ」
全然分かってない口ぶりで、呟いた。
確かに文香の言う通りだ。こんなどうにもならない事を考え込んでも無駄なのかもしれない。
でも。
そんな簡単に割り切れることだろうか。
寮生活を送ってきた上で3年生の先輩たちにはお世話になったし、何より、わたしはこのみ先輩と強く繋がり過ぎた。文香との感覚のズレは恐らく、そこが1番の原因。
「ねえ、文香」
彼女の名前を呼んだ、その時。
『あーあー、姉御いらっしゃいますかー? ウチです。万理ッスよー』
ドアの向こうから、急にそんな声が聞こえたものだから。
わたしが迎えにいくしかなくなった。
「こんな時間にどうしたの?」
がちゃりと部屋のドアを開けると、やはりそこには万理の姿が。
「やだなあ。約束したじゃないッスか! 1軍行きを決めたら祝杯をあげましょうって」
「あ、ああ」
そういえばしたした、そんな約束。
「じゃーん」
万理はそう言って、手に持っていたそれを見せびらかす。
「1.5リットルのコーラッス! 氷もグラスもお菓子も持ってきたんで、これからパーティしましょパーティ!」
「えー、なにこれすごい!!」
コーラとお菓子に完全買収されてしまい、万理を部屋の中へ通す。
「あなた、こんな時間に何を」
「文香姐さんの分もちゃーんとありますから心配の必要はナッシングッス!」
万理の押せ押せムードに押されてしまい、文香も勉強を切り上げてテーブルの上を片す。
彼女が持ってきたグラスに氷を入れ、コーラを注ぐと。
更に袋いっぱいのお菓子をテーブルの上に広げた。チョコレート、ポテチ、ポップコーン、それに和菓子まである。
「よし、グラスは持ちましたかー?」
万理はわたし達2人がグラスを持ったのを確認すると。
「それじゃあ、姉御と姐さんの1軍昇格を祝して・・・」
「「「かんぱーい」」」
3人のグラスをかん、とぶつける。
グラスに注がれたコーラをごくごくと喉に流し込むと。
「うわー、ジャンキーな味」
夜のこの時間にコーラ飲んだのなんて寮に来てから初めてかもしれない。
すっごいカロリー高そうな味、そして絶対に体重によくない甘さ。
・・・でも。
「美味しい」
気づくと、グラスの中は空になっていた。
「姉御ほら、もっと飲んで飲んで」
それを見計らったように、万理がグラスにコーラをお酌してくれる。
「長谷川さん、どうして私の分まで? 約束したのは有紀でしょう?」
「ウチ、思うんスよねえ」
文香の言葉に、万理は迷わず答える。
「辛いことばっかじゃ、人間やになっちゃうでしょ?」
彼女はいつものようにニカッと笑顔を浮かべると。
「たまには良いじゃないッスか、こういうのも」
そう言って、コーラをぐいっと煽る。
「あ、あと今日は3年の先輩たちが寮の中に居なかったんで、この時間にこれだけのものを持ってここに来てもバレないと思いまして」
「って、それが主な理由でしょ!」
わたしの突っ込みに、万理は舌をペロッと出してとぼけたふりをする。
「このポテチ、美味しいわね」
「文香姐さんはコンソメ派スか?」
「いえ、塩味で良いけれど」
テーブルの上に広がっているのはその塩味。
「わたしはコンソメかなー。あの濃い味がお菓子って感じがして」
「ふっふっふ、実はコンソメあるんスよ」
万理は満面のドヤ顔で、袋の中からコンソメを取り出す。
「うわっ、すごい! その袋なんでも入ってんじゃん!!」
「ウチの四次元ポケットッスからねー」
そんな騒ぎは消灯時間ギリギリまで続いた。
普段は話さないような事を話したり、ただくだらない事を言って笑いあったり。
でも、確かに。
めちゃくちゃ楽しかった。万理には感謝しきれない。
("辛いことばっかじゃやになっちゃう"・・・か)
万理って、時々すっごく心に刺さること言うんだよね。
たまにはハメを外して遊ぶことだって、大切なことなのかもしれない。
お互い好きな事を言い合える同級生、これから3年間一緒にやっていく仲間同士だからこそ、こういう交流が必要なのかもしれないな、なんて。
万理がそこまで考えていたのかは分からいけれど。
「ありがとう、万理」
消灯時間寸前、急いで片づけをして部屋から出ていく万理に、わたしは心からのお礼を言う。
すると万理は。
「いやいや、ウチはただ姉御や姐さんと遊びに来ただけッスから」
手でピースを作りながら笑い、部屋から出て行った。
わたしはこの学校に来てから、万理に頼りっぱなしだし、してもらいっぱなしだ。
(返さなきゃな・・・。いつか)
◆
翌日。1軍練習用コートに、初めて朝から入る。
ランニングの前の準備運動を終えた時のこと。
「藍原さん・・・でしたわね」
わたしの前に1人の美少女が立ちはだかった。
「私は貴女のこと、認めていませんから」
彼女はビシッとこちらを指差しながら。
「ダブルス2のレギュラーも渡す気はありませんわ。1年は1年らしく、大人しくしてることね」
そんな事を言い放ってこちらを睨みつける。
「よろしくて?」
ああ、これはまた。
前途多難な1軍デビューになってしまったようだ。
第1部 完
第2部へ続く




