勝者と敗者 前編
「菊池このみ、藍原有紀、水鳥文香」
日曜の練習終了後、陽が傾いてオレンジ色に染まった2軍練習場に、わたし達3人だけが残される。
「お前たちはたった今から1軍の選手だ。今週末の合宿にも参加してもらう」
「「「はいっ」」」
監督の言葉に、3人の声が重なった。
1軍―――とうとうあそこへ行けるんだ。燐先輩や、部長たちが居るあの場所へ。
「あなた達3人は2軍の中では明らかに良いプレーをしていたわ。そこが評価された。これは純粋にあなた達が努力したからに他ならない」
コーチはそう言うと。
「よくやったわね、3人とも」
優しく微笑みながら、小首を傾けた。
「はい! この藍原、このまま頂点まで駆け抜ける所存でありますっ!!」
わたしは大きく声を出すと。
「この人と一緒に!」
隣に立っていた先輩の肩を抱き寄せて、元気よく宣言。
「なっ―――」
このみ先輩は、口をぱくぱくさせながら顔を真っ赤にする。
「あ、有紀! あなたね!」
そこに口を挟んできたのは文香だった。
「え? なに文香?」
「・・・い、いえ」
わたしが問いかけると彼女は目を泳がせ、そのまま顔を俯ける。
「なんでも・・・ないわ。大声を出してごめんなさい」
何か納得していないような口ぶりで、会話を終わらせた。
「藍原。お前、このまま頂点を目指すと言ったな」
「は、はい! 勿論です!」
監督の言葉に、条件反射のように敬礼をして答える。
「その気概を忘れるな。1軍に席を置くということは、夏の大会登録メンバー10人の候補に入ることを意味する。たとえ1年生でも、実力があれば私は迷わずその中に入れるつもりだ」
場に張りつめた緊張感が流れる。
―――望むところだ。わたしはそのために、白桜へ来たのだから。
このチームのレギュラーになって、全国制覇。その目標は今も変わってはいない。
1軍の中で結果を出して、登録メンバーに入る。それが次の為すべきこと―――
(わたしの夢は、まだまだ叶っちゃいないんだから!)
心を新たにする。
今日からは1軍。
不意に、文香と一緒に初めて1軍の練習を見た時のことを思い出した。
―――わたしは、あの一員になったのだ。
全国に名をとどろかせる、名門白桜の1軍選手に。
◆
「天才美少女有紀ちゃん、1軍昇格! 今日は食べますよー」
夕食の時間。
いつも通りの時間に食堂へ入ると。
そこにはいつもと少し違う光景が広がっていた。
「・・・あれ」
いつもより少し、がらんとしていて寂しいような。
人数がかなり少ない。
「んー。なんスか姉御、入り口で立ち止まらないでくださいッス」
「あ、ごめん・・・」
万理の言葉に促され、食堂の中へ入る。
他の1年生も異変に気づくのに、そう時間はかからなかった。
「ほら1年。どいたどいた」
すると2年生の先輩たちも入ってくる。
先頭に居たのは瑞稀先輩・・・。
「あれ、咲来先輩と一緒じゃないんですか!?」
瑞稀先輩があの人と別行動なんて、雪でも降るんじゃなかろうか。
なんて事を、考えていた時。
「・・・今日だけは、あたし達2年生が邪魔しちゃいけないからね」
瑞稀先輩は深刻そうな表情で、それでも何事も無いようにいつもの席に座った。
「それって、どういう」
さすがに先輩たちの雰囲気が異質なものなのには、わたしも気が付いた。
どこか、空気が重い。
瑞稀先輩はふう、とため息をつくと。
「合宿に参加できない―――最後の夏の大会に出場できない3年生の先輩たちに、監督から話があんだよ」
えっ―――
「それって・・・」
つまりは。
「今日で引退する3年生の、引退式さ」
―――考えもしなかった。
違う、分かってはいた。このみ先輩を通じてそれは何度も感じていたはずだ。
"わたしの代わりに1軍から落ちる選手も居る"ってことを―――
◆
「長かったな、3年間は」
室内練習場に集められた3年生。
3年生部員のうち、おおよそ3分の2。既にすすり泣いている子も居る。
当たり前だ。悔しくないわけがない―――
(・・・なんて声をかけたら良いか)
私には全く分からない。
コーチという立場が無かったら、今すぐ逃げ出してしまいたいくらいの辛辣な空気だ。
でも、あの人は・・・監督は、ああやってみんなの前に立って、話を始めている。
「3年間、テニスだけに打ち込んできた。誰より努力してきただろう。それはお前たち自身が1番わかってるんじゃないか」
監督は目を逸らすことなく、まっすぐにみんなの方を見ている。
前に立つと、みんなの顔がよく見える。私も普段は練習の時、ああやって前に出る機会があるからわかる。
でも、だからこそ。
「3年間、上手くいったこと、いかなかったこと。結果が出たこと、出なかったこと。いろんなことがあったな」
今、あそこには立ちたくない・・・。私には立てない。
「お前たちは3年間、ひたすらに1つの目標に対して走り続けた。私はそれを誰よりも見てきたつもりだ。だから―――」
そこで監督は。
(・・・っ!)
背筋を正し、しっかりとした姿勢で。
「これまで私に着いてきてくれてありがとう。お前たちは私の自慢の教え子だ。これからもそれは変わらない。ただ」
最後に、こんな言葉を絞り出して。
「お前たちを最後までコートに立たせてやれないこと、本当にすまない―――」
深々と頭を下げた。
一瞬、この場の音が全て止んだかのような凪があって。
それから。
「泣かないつもりでいたのに・・・」
「もうとっくの昔に諦めてました。私に1軍は無理だから・・・、だから今日は大丈夫だって、でも」
監督の言葉を最後に、堰を切ったように泣き始める3年生たち。
「やっぱり、悔しいっ・・・!」
全員の言っていることが正論で。
「これで終わりなんて、早すぎる」
全員の言っていることが正義で。
「あれだけ努力したのに、どうして・・・」
そして全員の言っていることが報われない。
競争である以上、選ばれない子が居るのは当然だ。
全員が報われるのなら、最初から競う意味なんて、頑張る理由なんて無い。
でも、それでも。
(ここに居る全員に等しく、結果を与えてあげたかった)
そんな風に考えてしまうのは、教える側の我が儘だろうか。
気づくと私の両目からも涙が溢れていた。
ダメだ、泣いちゃ・・・。
この子たちと一緒になっちゃいけない。私は指導者なんだから。
それでも次々と溢れてくる雫を、目頭を押さえて必死で堪えた。
無駄だって分かっていても、必死に。




