わたしが見たもの
その時、食堂は静まり返っていた。
瑞稀先輩と三浦先輩の喧嘩―――わたし達1年生は端から見ることしか出来なかったけど、これが異常事態だということはすぐに理解できた。
2人が外に出て行った後、1年生同士で声を潜めながら。
「先輩たち、あんなことになるなんて…」
「ウチ、あの人達があそこまで邪険になってるところ初めて見たッス」
1年生は軒並み困惑している様子で。
「私たち、どうなるのかな…」
誰かが言ったその一言が、今の状況を如実に現わしていた。
チーム状況が悪く、試合にも思ったように勝てていない。
それに加えて先輩たちの不和…心配になるのは当然のことだった。
「わたし達、1年生は団結しよう。今はそれしか出来ないよ」
わたしは周囲の1年生たちを見回してそういう。
この場に文香は居なかったが、彼女もきっとそう言ってくれるだろう。
「本当に、大丈夫なんスかね…もう都大会も近いッスよ」
「このままの雰囲気で都大会に臨むことになったら、言っちゃ悪いけど最悪だよね」
だが、1年生たちに広がった不安はなかなか簡単に解消されるものではなかった。
燐先輩に仁科先輩が何とか2人を仲裁してくれないと…そんな淡い期待を抱くしか、今はない。
◆
今日は練習終わり、仁科さんと2人になることがあった。
あれ以降、チームの雰囲気は最悪に近い。河内さんと三浦さんはお互いを無視しているし、仲裁できる雰囲気でもなかった。
都大会まであと1週間と少し。
相変わらず練習の時間はボールを使うことはなく、基礎トレーニングや筋力強化の練習が続いている。
激しい練習に部員たちは疲弊しているようにも見えた。
「私、どうしたらいいのかな…」
気づいたら私はぼそっとそんなことを呟いていた。
「新倉さん?」
聞こえていたのだろう、寮へ向かう道すがら、仁科さんがそう返してくれる。
「私、全然部長らしいこと出来てない」
それは私の本音で。
「久我先輩なら…こういう時もちゃんとみんなを引っ張ってくれてた。引っ張るような言葉もかけてくれた。それなのに、私はそういう事、1つも出来てない」
弱音を吐かずにはいられなかった。
「…」
仁科さんは押し黙るように数秒、口をつぐむと。
「貴女はまだ部長になってからの日も浅いし、部員たち全員の事を把握しているわけでもない。当たり前ですわ、そんなこと」
「でも…」
「出来ていないということが分かっているのなら、出来るように努力することこそが大切なのではなくて?きっと久我先輩だって、最初から全部出来ていたわけではなかったと思いますわ」
彼女の優しい言葉が胸を打つ。
「最初から全部できる人なんて誰も居ない…」
テニスだってそうだ。
最初、ラケットを握った時からサーブを上手く決められる人なんて居ない。
基礎練習だって最初はただキツいだけだった。
「新倉さんには新倉さんのやり方がきっとあるはずですわ。それを見つけていきましょう。私もお手伝いいたします」
「仁科さん…」
「これでも監督から部長副部長を支えてくれって言われてますから」
今、部は1つになっているとは言い難い。
だから、こうして私の味方になってくれる仁科さんの存在は本当に大きい…それを身体の芯から感じていた。
「うん、私は私なりに頑張ってみる」
いきなり全部は出来ないかもしれない。
だけど、私は監督から―――3年生の先輩たちから託されたんだ、この白桜女子テニス部を。
だから、いま私がまずやるべきことを。それを考えよう。
◆
「オッケー藍原さん!段々コントロールも付くようになってきてるわ。良い感じ良い感じ!」
コーチの言葉に、ほっと胸をなでおろす。
わたしは今、フォーム固めを突貫で追えてようやくラケットを握ってボールを使った練習を出来るようになってきたところだった。
ボールを使った練習をする…それって監督に禁じられてるのでは?と最初は思ったけど、コーチ曰く。
「監督は全体練習でボールを使わないと言っただけで、自主練でまでボールを使っちゃいけないとは言ってないはずよ、大丈夫大丈夫」
ニコニコと笑いながら、ぐっと両手でガッツポーズをしながらそう言ってくれた。
コーチのお墨付きもあり、この室内練習場はボールを使った練習をしたい選手が多く集っている。
しかし、ここに居る選手は1軍の選手のみだ。
明確なルールは無いのだが、やはり室内練習場を使えるのは1軍に所属している選手のみ。
2軍の選手たちは室外で素振りや基礎トレーニングを通常練習に続き行っている。
彼女たちは自分たちに室内練習場を使わせろとは言わず、自らその道を選んでいるのだ。
大会に出場できない2軍の選手が遠慮するのは当たり前…そう思うかもしれないが、わたしはなかなか出来ることじゃないと思っている。部が1つになりきれていない中で、彼女たちのそういう姿勢は尊敬に値する。
わたしは音海さん相手にネットを挟んでひたすらボールを打ち込む練習をしていた。
「藍原さん、時間よ。休憩しましょう」
「はいっ」
それでもわたしが1人でコートを1つ使うわけにはいかない。
他の選手たちと交代交代で行っている為、しばらく練習したら練習場を交代する為に休憩を挟んでいた。
「あ、藍原さん、しゅ、すごいです!最近どんどん良くなってますよ」
「音海さん」
練習相手の音海さんが、胸の前で手をぐっとしながらそう話しかけてくれる。
「ごめんね音海さん、わたしなんかの練習に付き合わせて」
わたしがそう言うと。
「そ、そそそそんな事ないですっ。私は藍原さんと練習してる時が、な、何より楽しくて嬉しいから…。藍原さんの為なら私何でもします!」
彼女は少しはにかみながら、そんな言葉を返してくれる。
わたしだってそうだ。こんな今はレギュラーでもないわたしに親身になって付き合ってくれる音海さんとの練習、凄く楽しいし遣り甲斐があると思ってる。
そんな風に音海さんと楽しく談笑していると。
「小椋コーチ、どうだ。選手たちの様子は」
"彼女"が、室内練習場の入り口から中に入ってくる。
「監督っ」
一瞬、みんなの視線が彼女に注がれる。
プレーを止めて挨拶しようとする選手たちも居たが。
「いや、そのままでいい。各自自分の練習を続けてくれ」
監督はそう制す。
「皆さんなかなかいい調子ですよ。特に藍原さんが最近とても良いんです」
「ほう」
「か、監督っ。こんばんは!」
わたしは思わず立ち上がって頭を下げる。
「どうだ。手応えの方は」
「コーチの言う通り、自分では上手くいけてると思ってます!」
監督の言葉に、矢継ぎ早にそう返した。
「そうか…。それは結構なことだな」
「都大会ではお前の力も必要になってくる。今のうちに少しでも以前のようにプレーできるよう、研鑽を積んでおいてくれ」
「はいっ。勿論です」
都大会では、わたしの力が必要になってくる―――その言葉が、何より嬉しかった。
わたしがそんな風に浮かれていると。
「なあ、藍原」
監督がふと、わたしに投げかける。
「お前が全国で見た景色は、どうだった」
そんなことを。
「全国でコートに入って、プレーして。どう感じた。お前はあそこで、何を見た?」
―――わたしが、全国大会で見たもの?
一瞬、何を言われたのか分からなった。
だけど。
次の瞬間、わたしの思考はあの暑い夏の日、このみ先輩と一緒に立った全国大会のコートの中にあった。
燦燦と光る太陽、容赦なく照り付ける暑さ。
プレッシャーと緊張。自分なんかがここに居て良いのかという不安。
しかし。
1番に感じたは―――楽しさ、ドキドキ、高揚感。そんな気持ち。
今までに見たことない数の人たちが、わたしの一挙手一投足に注目してくれていた。
割れんばかりの歓声、ポイントを取った時の歓喜、そして何より―――テニスをすることの楽しさ。
わたしが全国で見たもの。
それは黒い感覚なんかじゃなかった。
本当にわたしが感じたもの、それは。
「もう一度、ここに立ちたい」
気づくと、そんな言葉を口にしていた。
「そう、強く思いました」
監督に。
そう思いを吐き出す。
「ふっ、お前らしいな」
監督は納得したようにそう言う。
「今の気持ち、忘れるなよ。それはきっとお前を動かす何よりもの原動力になるはずだ」
「…はい!」
わたしがテニスをすることの原点。
それはやっぱり、テニスが楽しいからだ。
わたしはそのことを忘れていたのかもしれない。上手くできない、上手くやろうとしても思うようにいかない、そんな事ばかりを考えていた。
だけど―――違う。
わたしは、テニスが上手くなって、誰にも負けない選手になりたい。勝ちたい。
その基本の基本に、立ち返られた気がする。
「頑張ろう」
わたしの目標、それは…白桜女子の、エースになることだから!
第10部 完
第11部へ続く




