『完勝』でいく
「1勝2敗でシングルス2…」
この言葉を言う仁科先輩の声色が、現状の全てを現わしていた。
「私たち、あと一歩で負けるところでしたのね」
再び彼女の言葉が辺りを支配する。
「私のせいなの…」
「海老名先輩」
「それ言ったらあたしだって」
今までずっと黙っていた、河内先輩すら口を開く状況。
試合で負けた先輩は特に、自分のせいという意識が強いだろう。
わたしだってこの中で自分が負け試合を演じていたらそういう気持ちに圧し潰されそうになっていたはずだ。
そこで言葉をかけたのが―――
「大丈夫!みんな、これからですよ!」
小椋コーチだった。
「あと一歩で負けそうなところで首の皮一枚繋がったんです!これは好機ですよ!」
彼女はこの一団の中で唯一笑みを浮かべているように見えた。
「白桜のシングルス2、シングルス1の堅さは自分たちが1番よく分かっているはずです。水鳥さん、新倉さんにここをしっかり取ってもらって、みんなで都大会へ行きましょう!!」
ガッツポーズをするように胸の前で両手を構える小椋コーチ。
「試合はまだ終わっていない」
その言葉に乗る形で、監督が口を開いた。
「今は自分たちに出来ることを。それを頭に入れて戦ってこい」
「そうですっ」
そして、わたしは。
彼女たちの言葉に語気を借りるつもりで、思わず言葉を出さずにはいられなかった。
「文香、燐先輩ですよ!?簡単に負けるわけないです!ここまでの3試合は厳しい戦いが続きましたが、ここ2つは―――」
そう、彼女たちなら。
「文香と先輩になら、全てを任せられる!皆さんもそうでしょう!?」
その言葉に、異を唱える者はいなかった。
「そうだね。あんたの言う通りだ」
瑞稀先輩がわたしの言葉に付随するように続ける。
「白桜のラスト2人は正直全国クラスだと思ってるよ。ここで躓くわけない、今はあの子たちを応援しよう」
「それじゃあまずは声出しです!せーのっ」
「「白桜~~~、ファイ、オー!!」」
わたしたちの、声色が再び変わる。
監督とコーチに押し上げてもらって、わたし達は再び空気を変えることが出来た。
まずは、ここから。
シングルス2の水鳥文香…彼女に全てを託そう。
(文香…)
彼女の姿を探して、視線を方々に送っていると。
―――その瞬間、辺りの雰囲気が変わって見えた
銀色の長い髪を靡かせ、彼女はコートへとやってくる。
すっとひとすくい、髪を梳くと、少しの間だけ目を瞑って、そして見開く。
「有紀」
「!」
コートへ入る直前、金網フェンスの手前に居たわたしに、文香は小さく呟く。
「言ったわよね、今日は完勝でいくって」
「う、うん…」
「私のテニス―――その目でよく見てて頂戴」
短い会話だったが、わたしはこの言葉が、文香が何気なく出したこの言葉が忘れられなかった。
「貴女を釘付けにして見せるわ」
文香―――
わたしは思わず、一歩後ずさりをせずにはいられなかった。
今の彼女の姿は、まさに神々しさすら放っていたからだ。
わたしは燐先輩を天使や悪魔に例えることがあるけれど…今の文香は、神だ、
テニスを勝つことだけを考えている、そんな神様。
その神を目の前にして、相手プレイヤーは何を思うのだろうか。そんな事を考えながら視線をコートの中へと遣る。
「この試合、落とせば敗退だ。分かってるな、水鳥」
「もとよりそんなつもりは全くありません。この試合、必ず勝ってきます」
監督と何やら一言二言話すと、コート上へと駆けていく。
「ただいまより、白桜女子対葛西第二、シングルス2を開始します」
「礼っ」
「「よろしくお願いします」」
文香がわたしに「よく見てて」と言った試合。
彼女は一体、わたしに何を見せてくれるのだろか。
その答えは、もうすぐに出ることとなる。わたしはこの試合を見て、驚愕する―――文香が見せるそのテニスの、その先にあるものに。
◆
―――圧倒された
その一言に尽きる。
試合は1勝2敗と1勝を追いかける白桜のサービスゲームで幕を開けた。
文香はサービスを取ると、軽い足取りで自らサーブ位置へと向かい―――それからのことは、もう覚えているのか覚えていないのか、それすら危うくなるほどで。
さっきまでの3試合とはワケが違う、文香の覚悟を見た気がした。
凄まじく速いサーブが相手コートの隅に跳ね、あっという間に敵プレイヤーを越していく。
文香はこのゲームで4つのサーブを放ったが、全てサービスエース。
相手プレイヤーにかすらせもしない4球だった。
(すごい…)
わたしは、ただ驚くことしかできなかった。
(これが―――)
その次のゲームでも、文香は相手サーブをリターンエースして決めて見せ、一切隙を与えない。
("文香のテニス"!!)
ドキドキする。
心臓が跳ねて、顔が紅潮する。全身が熱くなり、頭が熱くなり、熱さを持った血が全身をめぐってそれがまた心臓に返ってくるのを感じた。
跳ぶ心臓を抑えるように胸のあたりをぎゅっとして、抑えようとするが、それも叶わない。
文香のプレーの1つ1つに、身体が反応する。
頭で分かっていても、身体が分かっていない。文香のプレーの凄さ…そのテニスの絢爛さに、脳が熱くなる。
「文香ぁ」
目の前で行われている『圧倒的な試合』に、わたしは目が眩む感覚にすら襲われる。
(貴女は、どこまでいくの)
―――それを、思った時
わたしの中を、冷たい何かが廻った。
(今の、わたしとの、差―――)
文香がこんなすごいプレーを目の前でやっているのに。
わたしは試合にすら出られず…何もできないまま、コートの脇からそれを見ていることしかできない。
所詮わたしは…天才を眺めているだけの脇役なのか。
その圧倒的な才能の差に、愕然とすることしかできないのか。
そんなことが、頭を過ぎってしまったのだ。
文香の凄いプレーを見ても、感じる劣等感と―――嫉妬のようなもの。
(悔しい)
こんな自分が、こんなことしか考えられない自分が、とても悔しい。
(文香っ…)
わたし、貴女のプレーを見て確かに感じたよ。
凄い。わたしもこんな風になりたい。文香みたいになれたらどんなにいいかって。
このドキドキは、この高揚する最高の気分は、いったい何なんだろう。
貴方のテニスを見て感じるこの気持ちは、わたしにとって一体何?なんて名前を付けたらいいの?
この気持ちの名前を、わたしはまだ知らない―――知る事すら、できない。
その一方で、貴女のテニスに対する劣等感、嫉妬。黒い気持ち…。
貴方のテニスは強い光だ。眩しくて強い光の裏には、薄黒い闇がある。
少なくともわたしは、貴女のテニスを見てそんなことを感じ取っていた。
これが、貴女がわたしに見せたかったテニスなの…?わたし、これを見て何を感じ取ればよかったの。
文香は答えてくれない。
その答えは、わたしが導かなければならないのだろう。
わたしは、貴女の問いに答えたい。そして、その答えを貴女に突き付けたい。
そんな事すら、考えられるようになっていた。
「ゲームアンドマッチ、水鳥文香!6-0!」
試合は結果として、文香が1ポイントも落とさない『完勝』として幕を閉じる―――
◆
「2勝2敗でシングルス1…」
葛西第二の応援団、そして選手団はざわめきつつあった。
自分たちが、ここまで来ている。
あと一歩で白桜を負かし、都大会出場を決める。
そんなところまできているのだ。沸かないはずがなかった。
「お姉ちゃん」
全ての部員の視線が、私のところへと突き刺さる。
「任せたよっ!お姉ちゃん!!」
「お姉さまならあの新倉燐に勝てるよ!」
「今までやってきたことを全部出そう」
「私たちなら、白桜に…勝てる!!」
1年生は色めきつつあった。
だけど、当の私は―――
「あはは、私が新倉さんに勝つ…ね」
ガチガチに緊張していた。
チームの想いを背負ってコートに立つのだ。
チームを背負って、その気持ちを込めておかーさんは私をシングルス1に指名してくれた。
私以外に適任者はいない、みんなそう思ってくれているのだと思う。
だけど―――
「私なんかが新倉さんにどこまで通用するか分からないけど」
出てくるのは弱気な言葉。
「でも」
だけど。
「いってくるよ、みんなの想いを乗せて。みんなで都大会に行こう!!」
「「おお~~~!」」
思いは一つ。
家族で、都大会へ。
その真っ直ぐな気持ちに一つの曇りも無かった。
「頑張ってください、緒方さん」
「おかーさん」
おかーさんは私の左手をぎゅっと握ると、両手で包んだその左手を胸の前に持ってきて。
「私は、信じています…!」
その言葉が、その包まれた左手が、その視線が―――何よりも、温かくて。
決戦へ向かうその覚悟が、決まりつつあった。




