やれると思ったことを
その日の朝、わたしはいつもより早く目を覚まし、自室でノートに今日の目標を書いていた。
テニスノート…。やってみるといいよとこのみ先輩に勧められて、毎日ではないけど書いているもの。
今日は地区予選当日、新チームでここまでやってきたことが出る1日だ。
わたしは大会登録メンバーに選ばれてないから、やれることは少ないかもしれないけど…。それでも、やれることはある。やりたいこともある。それをノートに一覧にしてばーっと書き込んでいた。
「ふぁあ…」
ノートに粗方それを書いた、その後だった。
文香が二段ベッドの二階で起き上がり、小さなあくびをする。
「今日は早いのね」
最近は文香が先に起きることの方が多くて、わたしはむしろ起こしてもらってばかりだったんだけど、今日はわたしの方が先。
「なに書いてるの」
「えへへ…。ちょっとね」
このノートを付けていることは文香にも話していない。
別に話す必要も無いと思ったからだ。
文香はそ、と言葉を漏らすとそそくさと着替えて身なりを整える。
「文香」
そんな彼女に、わたしは。
「今日、頑張ってね」
言いたいことがあった。
言わなきゃいけないことがあった。
「わたし…文香のテニス、好きだから」
同じ部屋で、毎日顔を突き合わせて。
それでも言えないこと、言ってこなかったこと。
今日は、それをあえて言おうと思う。
これもさっきノートに書いていたことのひとつ。
「期待してるね。白桜は強いんだぞってところ、ガン!と見せちゃって」
文香はこちらを向かず、髪を梳かし姿見の方を見ながら。
「貴女に言われるまでもないわ」
小さく、そう呟く。
「日本一になる為に、私たちはこんなところで躓いてられない」
その言葉は、やっぱり強くて。
文香が心に持っている信念の強さをそのまま吐き出したようで。
「今日は完勝でいくわ」
髪をすっと手で梳き、そう大きく宣言した。
◆
朝練。
部員全員が集まり、試合当日の為軽めに基礎トレーニングなどを行う予定だ。
その、最初の1番。
今日の『声出し』は、わたしが志願してやらせてもらうことになっていた。
これは昨日の練習後に燐先輩と監督に言い出したことだ。
「今日は地区予選当日です!!」
すうっと息を吸い込み、思い切り声を吐き出す。
「わたしはベンチ外ですが!声を出して応援、登録メンバーのみんなに集中して試合をやってもらえるよう、頑張りたいと思います!」
全力の大声だ。
お腹から思いっきり声を出す。
「ゴー!白桜!!」
まだまだ。まだ、出る。出せる。
「れっつごー!!」
最後の叫びに、ひとしお大きな声を乗せる。
「うるせー…」
「いやぁさすが姉御、朝っぱらからメッチャうるさいッスねえ」
「藍原さんの声で元気が出たのー」
ただ、部員の皆さんには苦笑されてしまった。
でも本気で嫌われてそうな感じではない、それは何となく分かる。
だから、思い切り声を出してよかったんだと一安心。
本気で嫌がられたらわたしもさすがに次からやらないからね。
練習後、朝食をこれもまた部員全員で食べる。
わたしは気が逸ったのか何なのか、いつもより多くご飯が喉を通ってくるのを感じていた。
「いや、試合出る選手より何で姉御がいっぱい食ってんスか」
「試合出るとか関係ないよ!出されたご飯はいっぱい食べる、それがわたしのポリシーだから!」
「ひえ~…ウチとか緊張して喉通らんッスよ」
ガツガツと食べる姿を多少引かれているのを確信しながら、それでもおかわりするくらいには出されたもの+アルファ、しっかり食べられたと思う。
(試合に出る出ないじゃない、気持ちの問題っ)
それに、試合があると逆にいっぱい食べ過ぎて吐く、みたいなこともあるからね。
試合に出られないからこそ、遠慮なくいっぱい食べられるというところも、あるんだよ?
◆
部専用のマイクロバスに乗り、舞台は地区予選が行われる都内某所のテニスコートへと移る。
地区予選は全ての日程が1日で行われる。
参加校は夏と同じ12校、夏の都大会に出場しているわたし達白桜は第1シードとなり、1回戦免除。
準々決勝からの試合の参加となり、3試合を勝ち抜けば都大会への出場が決まるのだ。
しかし、地区予選の難しいところは1つでも負ければ都大会への道が絶たれるところにある。
白桜はこんなところで負けるわけがない…そういう驕りがあれば、何が起きるかは分からない。
このことは常日頃から監督やコーチから口酸っぱく言われているところでもあり、選手たちにその意識はしっかりと芽生えている。
わたし達は王者、だけど奢らず、油断せず。
一歩一歩、頂点への道筋を登るばかりだ。
「皆さん、気合入れていきましょう!わたしも応援頑張ります!!」
レギュラー組を含めたすべての部員が居る中で、わたしは再び大きく叫ぶ。
「へぇ、元気良いじゃん藍原」
「瑞稀先輩」
最近あまり話せてなかった瑞稀先輩が、積極的に声をかけてきてくれる。
「そりゃあもう。わたし、今日はいつもより全然調子いいです!」
「アンタは試合出ないでしょ」
「それでもです」
わたしは頬を人差し指でかきながら、わたしより身長の小さい先輩に視線を合わせ。
「登録メンバーの皆さんが気持ちよく試合が出来るよう、わたしに出来ることなら何でもやりますよ!」
目いっぱいの笑顔で、そう答える。
「へー、何でもやってくれるんだ」
「それは勿論!」
「みんなー、藍原にお金渡しな。自販機で美味しい美味しい飲み物買ってきてくれるって」
え!?
「そ、それって…」
つまり。
「パシリってコトですか…!?」
This is、使いっぱしり。
「ちょっと河内さん」
「良いでしょ部長。別に試合前に甘いジュース飲もうってんじゃない。お茶だよお茶。それにあたし達登録メンバー以外はそれも関係ないでしょ」
瑞稀先輩は悪ーい、笑みを浮かべる。
「メンバー以外の子たち、ジュース飲みたいよねー?」
彼女がそう大きな声で言うと。
「「「おお~~~」」」
ちょっとだけ遠慮がちな、部員たちの声が聞こえてきた。
「藍原が何でもしてくれるって言ってるんだから、お言葉に甘えさせてもらおうじゃない」
なんだか、久々に瑞稀先輩が生き生きしてるところ見てる気がする。
最近、ずっと元気が無いというか、むすっとしていて全部のことがつまらなさそうだったから。
そんな彼女が言ってくれてるんだ。瑞稀先輩の元気の為…そう思うと。
「皆さん小銭下さい!端数はわたしが持っても良いです!不肖藍原、全力でパシリやらせていただきますっ」
わたしはわたしのやり方で、チームに貢献したい。
試合に出られないからこそ。
テニスノートにも書いた今日の目標を思い出す。
「あ、すみません端数持ちは嘘ですちゃんとお金ください…」
小さくそう呟くと、選手たちの輪の中からあはは、という笑いが零れた。
お金は無いから。わたし、全然お金持ってないんで。
結局、15人弱くらいの飲み物を買ってくることになった。
(ほとんどが登録メンバー外の子だったけど、瑞稀先輩や万理とか、ベンチメンバーの人も頼んだ人居たなー)
そんなことをぼんやりと考えながら、目の前の自動販売機に小銭をがしがし入れていき、ピッピッとボタンを押して飲み物を買っていく。
手元のビニール袋にそれを詰めていこうとすると…。
「ああっ」
ありゃ~。
腕からペットボトルが零れていき、その場に散乱する。
「やっちゃったなぁ」
わたし、本当おっちょこちょいだし、すぐ調子に乗るし、こういう細々としてる事をしてた方が意外に性にあってるのかなぁと思ったけど、全然。
こんな簡単なことも出来ないようじゃ、レギュラーに戻るなんて…。
自分に苦笑しながらペットボトルを拾っていた、その時。
「いっぱい零しちゃいましたね」
少しだけ笑いの混じった声で、そんな言葉が聞こえる。
「私も手伝いますよ、さぁ」
優しい人だな、と思った。
だけど、同時に誰…?とも少し思って。
顔を上げると、そこにあったのは―――




