VS 三浦・山本ペア 2 "以心伝心"
「ゲーム、菊池・藍原ペア。 3-1」
長いストロークが相手コートに刺さり、このゲームをなんとか取る。
「今のゲーム、かなり苦しみましたね」
エンドチェンジの休憩で備え付けのベンチに腰掛けると、先輩は大きく息を吐いた。
「先輩、水飲んどきましょう水!」
「ああ、ども」
わたしは先輩にペットボトルを手渡し、自らの分をごくごくと喉に流し込む。
(暑いな・・・)
6月に入ろうとしているコート上はもう夏なんじゃないかと言うくらいの陽射しと、梅雨入り前の湿気でとんでもなく暑い。
砂のグラウンドに線を引きネットを張って練習していた時との決定的な違い。
ハードコートが完全に日光を跳ね返してしまっていて、まるでコンクリで舗装された道路の上に立っているような嫌な暑さを感じる。
「今日、風吹きませんね」
「こういう日もありますよ。真夏なんてもっと暑いですからね」
先輩はそこで水を飲むのを止めると。
「大丈夫ですか? 藍原」
わたしの顔を覗き込むように首を傾けた。
「疲れはありません。大丈夫です!」
「よし、じゃあ行きましょうか」
勢いよく立ち上がって、いつものように声を出す。
暑さは感じるけど・・・みんな同じ条件で戦ってるんだ。
水も飲んでるし、大丈夫問題ない。
相手プレイヤーがトスを上げる。それを綺麗な形で―――
(!?)
瞬間、身体が固まってしまった。
クイックサーブ。タイミングをずらして打ち込まれたそのボールに、全く反応できなかったのだ。
「15-0」
おかしい。今みたいなサーブは確かに先輩との練習では見てこなかった。
でも、ちゃんと集中していれば返せないサーブじゃなかったのに。
次のプレー。
先輩がサーブをレシーブし、わたしのところに強めのショットが飛んでくる。
それを―――
「うわっ!」
しまった。
フォアハンドで返そうと思ったのに、中途半端なバックでラケットに当たってしまい、ボールはぽーんと高く舞い上がると。
「アウト。 30-0」
明後日の方向へ飛んで行ってしまった。
「す、すみませんっ」
後ろを振り向いて、このみ先輩に頭を下げる。
「気にするな、です。相手もいろいろ仕掛けてきてるから、惑わされるな。お前は自分のプレーに集中すりゃあいいんですよ」
「はい!」
次のサーブをきちんと返す。
しかし、相手の後衛はこちらにボールを返してきた。
(狙われてる・・・!)
ミスを連続したからだろう。
露骨にわたしを狙ったショットが多くなってきている。
ダメだ、これ以上先輩に迷惑をかけるわけにはいかない。しっかり引き付けて、
「打つ!!」
思い切りボールを打ち込んでいくと。
「40-0」
打球は低く、ネットに突き刺さってしまった。
結局このゲーム、次のゲームと1ポイントも取れずに落としてしまう。
エンドチェンジ。
相手のペアがさっさとベンチへ退いていく中・・・。
わたしは呆然と立ち尽くす。
(何も出来てない―――)
先輩に迷惑をかけまいと、点を取りに行っても上手くいかない。
さっきまでのハーフセットマッチなら、3ゲーム取った段階で勝ちが決まっていた。
いわば、ここからは未知の領域。
6ゲーム取らないと試合は終わらない。
まだあと半分もある・・・。
「藍原」
気づくと先輩が、目の前に立っていた。
「す、すみません。でも次のゲームをキープして」
わたしが必死に取り繕おうとした瞬間。
とん、とお腹の辺りを軽く押される。
すると―――自分でも驚いたのだけれど―――いとも簡単に体勢が崩れ、わたしは後ろに尻もちをつくように倒れてしまった。まるで身体からすべての力が抜けていったような感覚。
「せんぱ」
「こんなところでド緊張してどうすんだお前は!!」
瞬間、耳をつんざくような怒号が聞こえてきた。
「こっから上に行けばこの試合より緊張する事なんて山ほどありますよ!」
怒っている先輩の表情を、下から見上げる。
(違う)
この試合のプレッシャーは何よりも大きい。
だって、ここで負けたら先輩は―――
「お前は自分の事だけに集中してりゃいいんですよ! 私はお前に心配されるほど、落ちぶれちゃいませんから!!」
―――ッ
「この試合に負けたら先輩が引退しちゃうって、心配してあげてるのに」
「いらんお世話だバーカ!」
そこで、わたしは何かが切れたのを感じた。
「はあ!? 何ですかその言い方! 人がせっかく!」
「それが恩着せがましいって言ってんですよ、あげてるとかせっかくとか!」
「あなた、人を思い遣る気持ちが無いんですか!?」
「気持ちぃ!? "先輩のため"とか、重いんですよお前は!」
先輩はそこでわたしの腕を無理矢理掴んで手繰り寄せ。
「お前が負けた時の言い訳を私に押し付けんな!!」
目の前で言われて、わたしは驚いた。
この人の目―――怒ってない。
1ヵ月間ずっと一緒に居たから分かる。
このみ先輩・・・本当に怒っている時は、もっと目を細めるんだ。この目は・・・。
―――何かを伝えようとしてるときの目だ。
見開いて、わたしの事を見ている。
"わたしが眼中にある"。
「先輩」
だから、ここでやるべき事は。
「偉そうな事言わないでくださいよ! 今のゲーム取られたの、半分は先輩のせいですからね!!」
いつもと変わらない―――本音をそのままぶつけあうこと。
「はっ。お前に足を引っ張られたせいでああなったのに、どの口が」
「じゃあ次、わたし完璧にやるんで取られたら100パー先輩のせいですから!」
「あーあー、やれるもんならやってみろ!」
水を一気に飲んで、少し屈伸をしコート上に駆けていった。
さすがに言い合いをやり過ぎて、監督やコーチ、数は少ないけどギャラリーがざわつき始めていたところだ。
早く、きっちりコートに戻って全然平気だと言うことをアピールする。
「なんか、ケンカしてたけど・・・」
「あの2人、大丈夫なの?」
「いやいや、あの罵声の浴びせ合いは大丈夫じゃないでしょ」
「組んで1ヵ月のペアじゃあねえ・・・」
わたしが後衛、レシーバーだ。
まず、最初に見たところは。
("3"。打ったら前に出ろのサイン!)
―――前を守る、先輩の後ろ姿。
その後ろ手に出された、小さな指のサインだ。
「姉御ー! なにケンカしてんスか! 今、試合中ッスよ試合中!!」
どこからか、万理の本当に焦った声が聞こえてくる。
(心配には及ばないよ、万理。だってわたし達は・・・)
クイックサーブ。わたしを揺さぶりにきている。
でも。
今度は騙されない。半歩後ろに下がって、それをきちんと打ち返す。
ここで1番やってはいけないことは、焦って相手のペースに巻き込まれることだ。
そして。
「うおおおお!!」
わたしは思い切り前陣に駆け上がった。
それを見たのだろう。相手はロブを上げる。
緩く、大きな弧を描いたボールが、がら空きの後方へ―――
「させないっ!」
上から落ちてきたボールを、先輩が後方へ小さくジャンプしながら叩いた。
強いボレーが相手前衛の逆サイドへ突き刺さり、大きくバウンドして抜けていく。
―――わたし達には、高度な連携やコンビネーション技術は無いかもしれない。
「相手やコートの外を見てみろです。みんな、唖然としてますよ」
「へへー。ビックリしちゃったかー」
「いや、どっちかと言うと呆れられてるんだと・・・」
そういう先輩も、恐らく自分たちのムチャクチャさに呆れていた。
―――でも。
「わたし達は、これで良いんです!!」
あなたの気持ちは伝わったんだと伝える。
「それが不肖藍原と、このみ先輩じゃないですかっ」
精一杯の笑顔と共に。
「・・・ですね」
先輩は思わず吹き出してしまう。
「今更、変えようがありませんしね」
―――だってわたしも先輩も、心の奥で考えてることは同じだから。




