VS 三浦・山本ペア 1
「監督、無謀過ぎませんか。一発勝負の結果で1軍の席を賭けるなんて」
「公式戦は常に一発勝負のトーナメントだ。実戦で使えるかどうか、その部分でも試金石になる」
私の慌てふためいた様子とは関係なしに、篠岡監督はコートを見つめている。
「でも、まぐれや偶然と言うものもありますっ。どちらが強いかなんて、1試合で測れるものでは・・・」
10回やったら9回勝てる側が、一発勝負では負ける可能性もある。
そうなったら力のある方を2軍に落とすなんてことになりかねない・・・!
しかし。
「これだけプレッシャーのかかった重要な試合で負けるようなペアは、夏の大会には必要ない」
そんな事をこの人が分かっていないはずがなかった。
「私が求めているのはここで勝てるだけの勝負強さを持った即戦力・・・。ダブルス2の本命はもう既に固まりつつある。これは"あの2人"からダブルス2のレギュラーを奪う可能性のあるペアを見極めるための試合だ」
◆
コートに入る前、先輩は大きく深呼吸をした。
「緊張しますか?」
「してないと言えば嘘になりますね・・・」
ようやくプレーできるようになったと思っていたところに、分かりやすくやってきたのだ。
"負けたら終わり"という引退を懸けた大一番が。
これで緊張するなと言う方が無理な話だ。
「先輩」
だからわたしは、ばっと両手を広げ。
「愛情と信頼のハグ、やっときますか?」
と、笑顔で語りかけた。
このみ先輩の緊張を取り除くことは出来ない。
でも、それを共有することは出来る。
(先輩の緊張の、何万分の一でも・・・)
わたしが背負えるものなら背負いたい。
それが、ここまで一緒に来た先輩への、せめてもの恩返しだ。
すとん。
気づくと、わたしの身体に先輩が正面から寄りかかる。
あまりに自然すぎて、何も反応できなかった。
そして、先輩はぎゅーっと、わたしの練習着を握ると。
「頼みましたよ、藍原」
消えそうな声で、そう呟いた。
「お任せください!!」
だからわたしは、その声を思い切ってかき消してしまうような気持ちで叫ぶ。
「この不肖藍原、先輩のため、一世一代の大仕事をやってのけますよ!!」
迷わない。振り向かない。前に進む。
わたしは頭の中を空っぽにするためにお腹の底から声を出した。
考えることはこの人がやってくれる。わたしはそれに従えばいいんだ。
先輩が教えてくれたこのプレースタイルで勝つ。今はそれ以外、何も必要ない。
「よろしくお願いしますっ!!」
試合前。ネットの前で、対戦相手の2年生の先輩と握手をする。
両手で包み込むように、しっかりと。相手の顔を見て。
(すごい、マメの痕だったな・・・)
2人とも、わたしの手よりずっと多くのそれが感じられた。
経験の差・・・それは埋められない。だけど、それでも勝ってみせる。
幸いなことに、サーブ権を手に入れたのだ。
わたしはぎゅっとボールを握りしめる。先輩がわたしにサーブを譲った意味・・・それを考えろ。
(ふう・・・)
さすがに、わたしだって緊張する。
いつも通りサーブを打てるかどうか、そんな自信どこにもない。
どこか不安を感じながら右手でボールをコートにバウンドさせ、跳ね返りを確かめていたその時。
―――サーブはお前に任せたです。
―――不安になったら、
先輩の言葉を不意に思い出す。
(あっ)
―――私の背中を見ろ!
先輩の背中。
そこで先輩は、小さな手でブイサインを作っていた。
前衛の先輩が、対戦相手から見えないように背中の後ろで、後衛のわたしに向かってサインを出す。
そうだ。この"V"サインの意味は―――
「いくぞおおおおおぉ」
元気一番、声を上げると。
―――大声で、思いっきり叫べという指示!
わたしはそのままの勢いで、小さなトスを上げた。
それを低い打点で、相手のリズムをずらすように、思い切り―――
ひっぱたく!!
―――
ボールが思い切りコートに叩きつけられる音がした。
しかし、相手がレシーブする音が聞こえない。ボールが、視界から消えている。
「15-0」
そのコールを聞いて、初めてわたしは理解した。
「よおおっし!!」
サービスエースを決めたのだと。
「いいぞ藍原、その調子です!」
先輩はこちらを見ずにそう言うと、また背中でサインを出した。
出されたサインは人差し指一本を立てた状態・・・"どんどんいけ"のサインだ。
「ええええい!」
声を出しながら、サーブを打つ。
今のは良い感触がした。自分でも上出来だと思ったサーブだ。
案の定、そのボールが返ってくることはなかった。
「30-0」
審判をやっている先輩の声が聞こえる。
ああ、なんだか気持ちよくなってきちゃった。気分が高揚して、抑えられないくらい身体が熱くなってきているのがわかる。
(これが、実戦―――)
威信をかけた闘い。決闘。戦争。
わたしは間違いなく、それにのめり込んでいた。
(もっと、もっと点を取りたい。勝ちたい!)
次のサーブも決まり、次を取れば1ゲーム先取・・・!
「藍原!」
「!」
ハッ。
その先輩の一言で、我に帰る。
なに、今・・・。
周りの声が聞こえなくなっていって、自分の世界に入っていく感覚があった。
そんな状態から、いきなり引き戻された気分だった。
(いけない、いけない)
なんだか分からないけど、あの感覚にのまれたらダメだ。
わたしは顔を振って、もう一度深呼吸をする。
(サインを確認・・・)
先輩のサインはさっきと変わらなっていない。
でも、先輩が声をかけてくれなかったら、これも見ていなかったかもしれない。危ないところだった。
「てえええいやあ!」
叫びながら、サーブを打っていく。
しかし、今度は返してきた。さすがにそう簡単にいくわけがない。
角度のついたクロス。わたしのところにショットが返ってくる。
それをクロスで相手コートに返した時。
「藍原、前!!」
先輩の声が聞こえた。
前・・・前陣に上がれということだ。
先輩の指示通り、前にダッシュしていくと、相手選手は正面へボールを返してきた。
(―そっちは!)
わたしは手が出せない。シングルスなら確実に抜けてるコースだ。
でも。
これはシングルスじゃない。
そっちには―――
「狙い通り!!」
先輩はわずかに下がりながら、その小さな身体を目いっぱい使って、少しジャンプするようにボレーを放った。
そのショットはガラ空きになった逆サイドへと突き刺さり。
「ゲーム、菊池・藍原ペア! 1-0」
「ナイスジャンピングボレー! 身体が小さい分、身軽身軽!」
「素直に人を褒められんのかです!?」
だってそのまんま褒めたら、わたし達らしくないじゃないですか。
くすぐったくなっちゃいますよ。だから。
わたし達はぱちん、とハイタッチを交わす。
(―――今は、これで十分ですよね)
それ以外のことは、試合が終わってからいくらでも出来るのだから。




