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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第10部 新チーム発足編
353/385

"対決"

―――藍原さんと水鳥さんが、"本気で"試合を行う


 そんな事が私の耳に飛び込んできたのは、宿泊先のホテルから帰ってきて一段落した後、これから篠岡監督とコーヒーでも飲もうかと腰を落ち着かせかけた時だった。


 部員の子たちの何人かが少し興奮気味に教えてくれたその話をよく聞くと、既に部内中に情報がまわり、多くの野次馬ともいうべき試合を見届ける部員たちが屋外練習場のコート周辺に集まりつつあるのだという。


 私がそれを聞いてまず思ったのが、『これは危ない』…そんな気持ち。


「監督、止めて下さい!」


 気づけば私は、篠岡監督にそう叫ぶように言葉を向けていた。


「まだ全国大会の疲れが残る中、今あの2人が、それも本気でぶつかるのは危険です!」


 何か予感めいた嫌なものが自分の中を駆け巡ったのだ。


「2人のこれからにどんな影響が出るか分からない…!特に、藍原さんは関東大会から全国大会にかけて、少しナーバスになってたんですよ!?この試合の結果如何(いかん)では、それにトドメを刺すことになるかもしれない」


 そう、今、まだ今なら止められる。


「監督の言う事なら、2人とも聞いてくれるはずですっ!」


 この人が、止めてくれるなら―――


 しかし、


「…私が言って止まる程度なら、やらせておいても問題はない」


 返ってきたのは私の願いとは逆の言葉で。


「監督っ」

「確かに疲れの残る中で全力の試合と言うのは判断に迷うところではある。だが、当人同士がそう望んでいるのなら私の言葉で無理矢理に止めてしまっては、それこそ禍根(かこん)を残すことになるんじゃないのか」

「ですが…!」


 私はまだ何かを言おうとした。

 言おうとしたけれど。


「小椋コーチ」


 その言葉は、どこか優しくて。


「ここは、選手を信じてみないか」

「…っ」


 自分の言葉を飲み込んでしまった。


「…、私も試合を見ます。彼女たちが本当に無理していると感じたら、私が試合を止めます」

「よろしく頼む」


 監督はそう言って、私に少しだけお辞儀をして。


「鬼が出るか、(じゃ)が出るか」


 自分に少しだけそう言い聞かせるように、小さく呟いた。





 文香がお互い全ての力を出しての真剣勝負をしよう、そう言い出したのには驚いた。


 ―――『水鳥文香に、藍原有紀をちょうだい』


 あの言葉の後、私に今の藍原有紀を見せて欲しい、そう言ってこの試合を申し込まれた。


 全国大会が終わったばかりで、疲れもあると言えばある。

 でもそんなの、文香も同じ―――ううん、シングルスとして戦っていた分、わたしより文香の方が疲れは大きいはずだ。


 文香が、真田さんとの試合で掴んだ『何か』。

 わたしとの試合で確かめたいという、わたしの中にある『何か』。

 それが何なのか、そんなのわたしにだって分からない。

 だけど、多分分からないから文香はこの試合を挑んできた。突っぱねることだってできただろう、でも、わたしはこの試合をすることを選んだ。


(…文香)


 わたし、正直いまの貴女が分からないよ。

 何を求めているか、何を考えてのこの試合なのか。


 ―――でも、


 今は、全国で名を馳せた貴女と試合をしたい。

 貴女に対して、自分がどこまでやれるのか確かめてみたい。

 その気持ちの方が、何倍も大きい。


「姉御ーっ!ファイトッスよ!ウチらがこの試合ちゃんと見てますんで!」

「藍原さんも水鳥さんも、2人とも頑張ってなの~」


 気が付けば、わたし達2人が入ったコートの周りには、たくさんの部員が集まってきていた。

 誰が吹聴したのかは分からないけど、わたし達がヤるってことはもうテニス部中に広まっているようだった。

 コートをぐるりと見渡せば、燐先輩や仁科先輩、小椋コーチの姿もある。


 みんなが、この試合を見ている―――


「負けられない、わたし、負けられないよ」

「貴女の全部を見せて、有紀。私にはそれ以上、何も要らない」

「全部、か…。ちょっと恥ずかしいね」


 試合前、握手を交わす文香と最後に話す機会があった。

 文香は何か覚悟を決めたような目をしてわたしの方を一点に見つめている。

 それが少し怖くもあり、逆に少しだけ心地よくもあった。


(そう言われれば、わたし達、知り合って今初めて本気で1セットマッチ(しあい)しようとしてるんだよね)


 初めて、わたしと文香の2人だけの時間。


 今ある、自分の全てをもって、文香との試合に勝ちたい。

 それしかない。


 わたしはラケットの(ガット)をぎゅっと手で掴んで、左手でぽん、ぽんとボールをコートの上に打ち付ける。

 返ってきたボールが、しっかり左手に収まったのを感じながら。


(文香がわたしからでいいと言った、サービスゲーム)


 サーブを最も得意とするわたしにとって、このアドバンテージは大きい。

 もし、文香がわたしを侮ってサーブ権を渡してくれたのなら。


(後悔、しないでよね!)


 左手を掲げ、ボールを真上へと放り投げる。


 ―――全国で名を上げた、スーパールーキー水鳥文香と、


藍原有紀(わたし)との全力勝負!!)


 その火蓋が切って落とされた。





 わあああ、


 そんな風にコートを囲む部員たちが大きな歓声でわたし達を包む。


 ―――試合終了(ゲームセット)


 その瞬間に、わたしはラケットを放り出して大の字のように両手両足を広げ、その場に倒れ込んだ。


「はあ、はあ、はあ…」


 肺から口に逃げていく呼吸は荒く、何度吐き出して吸い込んでも足りることは無い。

 身体中から噴き出る汗が全身をべっとりと包み、身体に残る熱がそれに張り付いていくようだった。


「うん、」


 今だから分かる。


 ―――負けた


 水鳥文香の凄さ。

 水鳥文香の強さ。

 水鳥文香の、圧倒的とも言えるパフォーマンス。


「ここで、出してくるんだもんなぁ」


 全国であれだけの熱闘をした後で。

 こんな練習試合未満で、結果も何の意味を持たない、わたしとの試合に対しても。

 これだけ本気になれるんだ、文香は。


「あはは…」


 乾いた笑いしか、出てこなかった。

 自嘲したいわけでもなければ、この結果に満足いっているわけでも決していない。


 ただ、目の前に居る女の子の実力に、笑わずにはいられなかったのだ。


 右腕をおでこの辺りに乗せて、そのまま夜空を見上げる。

 何にもない、そこには光輝く星も、月も、何もなく。

 ただ夜空の黒が、わたしの視線を吸い込んでいくだけだった。


「有紀」


 気づくとその夜空に、文香の姿が覆いかぶさっていた。


 文香は左手を差し出し、それがわたしに差し伸べられたものだと分かった時には、わたしはその手を取っていた。

 ぎゅっと、下から上へ、持ち上げられるように体勢を立て直し、両足で身体を支える。


「文香」


 言いたいことが、山ほどある。

 多分、それは文香も同じで。


「負けちゃっ…」


 わたしが何かを呟こうとした、その瞬間。


「…貴女には、正直失望した」


 思わぬ言葉に、身体中に冷たいものが走った。


「私が求めてたのはこんなんじゃない、私が貴女を欲しいって言ったのは…こんな試合をやる為じゃない」

「文香…?」

「貴女も"そう"なの?私を置いてけぼりにするの?」

「何言って…」


 握っていた右手を、パッと解放させられて。


「私に負けて悔しくないの!?」

「悔しいよ!悔しいけど、でもさ」


 今、わたしと文香が試合して―――勝てると思ってた人が、この中に何人居たと思う?

 ううん、違う。

 そんな都合の良い言葉で誤魔化しちゃいけない。


 ―――わたし自身、文香に勝てるとは


 そう、言葉にしようとした瞬間。


「そんな言い訳、聞きたくない!!」


 文香は大声で叫ぶと。


「貴女となら互角の試合が出来る、貴女なら私の中にあるこの気持ちに決着をつけてくれる、そう思ったのに!」


 捲し立てるように口から言葉を吐き出し。


「私の求めるものは、貴女の中にも無かったんだ…!」


 それだけ言い残すと、逃げるようにその場から去って行った。


「ふみ…」


 それを止めようと思えば、止められないことはなかったはずだ。

 それなのに。

 わたしは、わたしの左手は。


 文香を追おうとは、しなかった―――


 なぜだろう。

 わたしには今、その資格はない。

 そんな思いが自分の中に去来して、言葉を吸い込んでいったのだ。


「わたし…」


 膝に手を付いて、俯く。


「文香の期待に、応えられなかった…の?」


 彼女が何を考えているのか、何を求めているのか。

 今のわたしには、分からない。

 分からないけど…だけど、1つだけ確かなことがあった。


(文香の求める藍原有紀(わたし)に、ならなくちゃ…)


 脅迫めいた、そんな想いが。

 頭の中を支配して、離れなかった。

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