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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第9部 全国大会編
352/385

あなたを教えて

(先輩っ・・・!)


 寮を抜け、学校の正門を抜け、少し歩いたところ。

 そこには市バスのバス停がある。


(先輩っっ・・・!)


 そこに佇む、小さな影。

 ぴょこんと立った、アホ毛が特徴的な薄い桜色の髪。


「先輩ッッッ!!」


 丁度、バス停にバスがやってきた、そのタイミングで―――


「はあ、はあ・・・」


 わたしは、大声で先輩を呼び止める。

 彼女はこちらを振り向き、少しだけ口角を上げると。


「行ってください、次のに乗るんで」


 そう話しかけ、バスはそのまま―――先輩を乗せないまま、通り過ぎていく。


「まったく、」


 先輩は後頭部をわしゃわしゃとかくと。


「なんて表情(かお)してるんですか」


 私の方を見て、そんな風にうそぶくのだ。





 バス停の椅子に2人で並んで座って、話を始める。


「なんで、黙って出て行こうとしたんですか」


 わたしの追求したいところは、その一点である。

 だって、もう先輩・・・ここに帰ってこなくなっちゃうのに。

 もう簡単に、会えなくなっちゃうのに。

 それなのに、何の挨拶もなしに・・・。


「あーなるほど、藍原はこれが私との今生の別れになっちゃうと思ってるんですね」


 こくん。

 一度、大きく頷く。


「別に、寮を出て行くってだけで、同じ学校に通ってるんですし、会おうと思えばいくらでも会えるでしょ」


 しかし、先輩の言葉はどこかあっさりしていた。


「確かに選手寮から学生寮へ移動にはなりますけど・・・。毎日顔を合わせなくなるだけで、普通に会えますし」

「だって先輩、今、バスでどこか行こうとしてたじゃないですかっ」

「どこかって・・・」


 先輩は少しだけ驚き、それでもふふと軽い笑みを浮かべながら。


「この際だから、1回家に帰って両親に挨拶しようとしてただけですよ」

「え・・・」

「今夏休みですし、こういう機会もなきゃ顔も合わせられないでしょう?」

「で、でも! 私に何か一言あっても・・・」

「どうせこれからも他の3年生と一緒にグラウンドには顔を出すこともあると思いますし・・・」


 どこかバツが悪そうに、首に手を当てて、少しだけ視線を泳がせると。


「ちょっと、心配しすぎ」


 抑えきれない笑いを零す。


「そ、」


 そんな先輩の言葉を聞いたら。


「そうだったんですかぁ・・・」


 腰から力が抜けていくのが分かった。


 『根性の別れじゃない』『これからも会える』

 その言葉が、わたしの切迫した気持ちを和らげてくれたのだ。


(そうだよね・・・、卒業しちゃうわけじゃないんだ)


 大体、万理の教え方もオーバーすぎ。

 あんな風に教えられたら、焦っちゃうのも無理ないでしょ。


 なんて、ここには居ない彼女に責任を押しつけたりしてみて。


「でも、」


 そこで。

 一拍おいて。


「私ももう、選手じゃなくて、1人の受験生になるんですよね・・・」


 先輩は感慨深げにそう呟いて、空を見上げる。

 真っ赤に染まった空。

 入道雲が浮かぶ、高いようで低いその大空を―――


「先輩は、高校、どこ行くかもう決めたんですか?」

「いーや。なーんも決まってないです。昨日まで、テニスのことしか頭になくて・・・。まあ、親とも話し合って決めようとは思いますが」


 このみ先輩は、そこで私の方にちらりと目を遣ると。


「テニスは、続けようと思っています」


 言って、ニッコリと笑う。


「先輩・・・」

「それもこれも、藍原。お前のお陰ですよ」

「私の・・・?」

「お前とのダブルスがあったから、私はこんな風に思えるようになった。まあ、全国大会出場&そこで1勝っていう箔も付きましたし?」


 おちょくるような声でそう言うこの人を見て。


(わたしたちのダブルスって・・・)


 間違ってなかった。

 そう、先輩から言ってもらえたような気がしたのだ。


「藍原」


 ―――そこで、

 ―――空気が変わる


 彼女はすくっと立ち上がり。


「私とダブルスをやってくれて、本当にありがとう」


 わたしに向かって、深く頭を下げたのだ。


「せ、先輩!? そんな・・・」

「お前とのこの数ヶ月間、組んだダブルス―――私は一生忘れません」


 そして、顔を上げると。

 手を差し出し、その左手でわたしの頬に触れる。

 わたしの方を真っ直ぐに見据え、強いその視線で瞳の奥を覗く先輩は。


「今日で菊池・藍原ペアは解散です」


 告げる。

 ここまでの『終わり』と。


「ここから先は、自分の手で・・・エースになれ」


 ここから先の『始まり』を―――


「頑張れよ、藍原有紀」


 わたしの方を見上げる目線にはもう、"弱さ"は残っていなかった。


 後輩の背中を押す―――立派な、先輩。

 その姿が、そこにはあったのだ。


「ありがとうございます・・・このみ先輩」


 オレンジに染まるこの、夕陽のバス停で。


「ここまで数ヶ月間、本当にお世話になりました」


 わたしは誓おう。


「藍原有紀、このみ先輩に恥じないエースに、なってみせます!」


 ―――白桜のエースになる、と



 誰よりもわたし自身が、強く・・・。

 

 『エース』という言葉に、執着したい。


 この夏を終えて、そう思えるようになった。


 わたしはエースに、なりたがっているから。





 先輩との別れを済ませ・・・寮へと戻ってきた。

 自分の部屋の中に入って、深呼吸を1つ。


「ふう」


 ここで、ようやく。


「なんか・・・久々に肩の力が抜けた気がする」


 ああ、色々。

 もう終わったんだなって。

 ようやく認識が出来たような、そんな気持ちにふわっと包まれる。


 身体から力が抜けていって―――1人、この部屋の中に立っていることに、落ち着きを感じられたのだ。


「有紀」


 丁度そんな事を思っていた、そのとき。


「・・・文香」


 後ろから声をかけてきたのは、ルームメイトである彼女。


(そういえば)


 ―――白桜に帰ったら、話があるわ

 ―――それまで少し私のことは放っておいて


 あの時の彼女の言葉が、頭を過ぎる。

 放っておいてと、話しかけるなと言っていた彼女の方から・・・わたしに、声をかけてくれた。


 ぱたん・・・。


 文香は後ろ手で、部屋と廊下とを区切る扉を閉める。


「どうしたの・・・?」

「言ったでしょ、帰ったら話があるって」


 夕陽も大分傾き、外はもう暗くなり始めている。

 食事の時間もある。そんなに多くの時間は、取れないはずだけれど。


「貴女に・・・聞いておいて欲しい話」


 文香は一歩一歩、噛み締めるように。

 部屋の中を歩いて行くと。


 二段ベッドの下・・・。わたしのベッドに、腰を落ち着かせる。


「きて」


 そして、自分の隣を手でぽんぽんと数回、慣すように手を置く。


「うん・・・」


 わたしはそれに応じるように、そこにすとんと座った。

 文香と、並んで。

 2人でベッドに座って―――


「私ね、有紀」

「うん」

「全国で、そのてっぺんに、少しだけだけど触れられた・・・。そんな気がしたの」

「真田さんとの、あの試合・・・のことだよね」


 文香は小さく、一度頷く。


「この中学テニスの頂点。そこに手をかけたとき、自分がどうなるのか・・・ずっと分からなかった。だから、あの光景を初めて見たその瞬間に、何かが大きく変わるんだって・・・。そう思ってきたの」

「・・・?」


 ふみ、か・・・?


 ―――わたしには、彼女が何を言いたいのか、


「でも、違った」


 ―――まったく、分からなかった


「あそこには、何も無かった」


 文香が語るのは、わたしの想像とは180度違う言葉。


「手をかけてみて、そこへ到達してみて、初めて自分の本当に気づいた。あそこからは何も見えない・・・。あの試合を通して感じたのは、私の求めていたものとは違うっていうこと・・・ただ、それだけ」


 文香の表情は、暗く。


「私の求めるものは、全国には無かった」


 ―――小さく歪んでいた


「無かったって、それじゃあ・・・」


 怖かったけれど。


「これから文香は、どうするの・・・?」


 それを聞かずには、いられなかった。


 すると、彼女は―――

 わたしの方を真っ直ぐに見つめて。


 きゅ・・・。


 わたしの両ほっぺたを、がっしりと両手のひらで掴むと。

 その大きく吸い込まれそうな瞳で―――わたしの目から頭の中を覗き込むように強く、見つめる。


「そう、私の求めるものはあそこには無かった」


 目と目、鼻と鼻、口と口。

 それらがほんの少し、少し何かをすれば届く距離にある。


「だから、」


 文香の息づかい、言葉を発するたびに振動する空気。

 その奥すら見つめられるそんなまさに『目と鼻の先』で。


「貴女に、教えて欲しい」


 ―――文香が求めるもの、それは


「有紀・・・私は、貴女の中に私の求めるものがあるって・・・そう思ってる」


 ―――わたしの中に・・・


「ううん。今は、そう思うように"なった"。だから」


 瞳に、食われる。

 その目の奥の奥、瞳孔に反射しているもの。


「水鳥文香に、藍原有紀をちょうだい」


 文香が求める『何か』―――


 その先にあるのは―――"わたし"、だった。

第9部 完

第10部へ続く

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