VS 赤桐 シングルス1 新倉燐 対 榎並命 2 "その瞬間"
―――これは私が、白桜女子中等部テニス部に入部した日のこと
「はぁ・・・はぁ・・・」
肺からこみ上げてくる息を吐き出すことだけに全神経を集中させる。
膝はガクガク、全身疲れ切ってこの場に座り込んでしまいたい気持ちを必死で堪え、膝に手をついて息を吸った。
(中学の練習って・・・こんなに辛いものなのっ?)
小学校の時とは―――テニススクールに通っていた頃とは、まさに段違いの練習量。
入部初日から1軍行きを伝えられ、1軍の先輩達と同じ練習メニューをこなす事になったとは言え・・・それを差し引いてもすごい練習だ。
ふと、その先輩達の方に目をやると・・・。
「今日、この後も基礎練習続くんだって」
「ボール使わないの?」
「一応練習メニューには入ってるけど・・・。今日は監督、1年生にかかりっきりみたいだし」
こ、この人達・・・。
(この練習量をこなして、平然としてるっ)
いつも通り―――まるで何でもないみたいにピンピンとして、元気に。
そして、これから行う練習のことを気にしている。
(いったいどういう練習してたらあんな風になれるの)
今の私には、不思議で仕方が無かった。
「はは、堪えてるみたいだね。1年生」
すると、ぽんと背中を優しく押される。
何事かと思って後ろを振り向くと。
「新倉ちゃん・・・、だっけ? まぁまずはこの練習に付いていけるようになる事だね。大丈夫、私も去年はそんな感じだったから」
「久我、先輩?」
そこに居たのは―――雑誌で何度も顔を見たことがある―――久我まりか、先輩。
「おお、私のこと知ってくれてるんだぁ嬉しいなあ」
「貴女は・・・、有名人、ですから」
白桜の2年生エースとして、全国に名を馳せる超人だ。
「まりか、先輩達呼んでる」
その後ろから声をかけてきた人を見て。
(大きいっ)
少し、ビックリした。
後々聞いたんだけど、彼女は熊原先輩。
部の中でも突出して大きな身長と体格から、未来のレギュラー候補と呼ばれているらしい。
さすが全国から選手を集めている白桜。あんな大きな人も居るんだ。
今の2年生は他にもやたらちっちゃい人が居たり、孤高の天才っぽい一匹狼風の人が居たりと、新1年生の私からしたら、個性派揃いのすごい人達の集団に見えた。
しかし―――
「今年の2年、大丈夫かな」
「今の3年生が引退したら心配だよね」
「久我まりかだけでしょ? あの世代」
「ちゃんとやっていけるのかな・・・」
地区予選や都大会の試合会場で、他校の選手がそんな事をひそひそと囁いている。
私が直接それを耳にする回数も、大会を勝ち上がるにつれ次第に多くなっていくことに気がつく。
「・・・」
それを聞くたびに、むっとして、嫌な気分になっている自分が居て。
(あの人達は、そんなんじゃない)
周囲の人は、先輩達のことをよく見ていないんだ。
一緒に生活して、一緒に過ごしていけば、2年生の先輩達が3年生を支えていることがよく分かるのに。
(・・・どうしてよく知りもしないくせに、あんな事が言えるんだろう?)
私が移動用マイクロバスの座席で、どうしようもならないことに考えを巡らせながら窓の外をぼうっと眺めていると。
「新倉さん」
そこに居たのは、今まであまり話したことが無い―――
「山雲・・・先輩?」
2年生の中でもあんまり目立つタイプではない、おっとりした優しい人だ。
「さっきはごめんね、嫌な思いさせちゃって」
山雲先輩が何を言いたいのか、すぐに分かった。
「だって先輩達をあんな風に言うの・・・許せません」
だから私も、すぐにその話題へ乗ることが出来たのだ。
「しょうがない面もあると思うんだ。私たちの世代って、1年生の頃から・・・ずっと、まりかだけの世代って言われてきて。それが悔しくて・・・みんなで一生懸命やってるんだけどね。なかなか上手くいかないの」
「・・・」
山雲先輩の語る声は落ち着いている中にも。
「でも、私達、このまま終わるつもり無いから」
それでも、確かな"熱"を感じるものだった。
「自分達の世代で全国大会へ・・・その気持ちは、他の誰よりも強いと思ってる。そのために毎日朝から晩まで、泥だらけになって努力して、練習して」
「山雲先輩・・・」
彼女の言葉には説得力があった。
それを1番近くで見てきた私には、よく分かる。
先輩達が、それを実現できるよう、死に物狂いで練習してるって事を―――
「だから、新倉さん。貴女にもその手助けをして欲しいの」
「私に・・・ですか?」
「イヤ、かな?」
ううん、そんなこと無い。
私は数回、ゆっくりと首を横に振る。
「そんなこと無いです。私たちも先輩達と一緒に全国へ・・・行きたいです」
そして、その先にある―――
「先輩達は全国制覇を一緒に目指せる人達だって、そう思ってますから」
"そこ"に、手をかけたい。
掴み取りたい・・・『栄光』を。
あの頂の、1番上にあるものを―――
◆
(すごいわね・・・)
新倉さんのプレーに対して、そんな風に思うようになったのは何ゲームを経過した辺りからだっただろう。
(打球のキレ、反応速度、コートを駆ける俊敏性・・・どれもが今まで見たこと無いような次元で安定している)
そして彼女のプレーを見て、確信したことがあった。
「この会場の雰囲気に、特に白桜側の選手が・・・良い意味で飲まれているわね」
「良い意味で飲まれる、ですか?」
隣の部下がカメラを構えたまま、私の独り言に付き合ってくれる。
「異常とも言えるこの雰囲気、そして会場のボルテージ・・・それらに引き上げられるように、プレーの質が良くなっている」
これはダブルス2の藍原さんの時に最初に感じたことだが。
その後、ダブルス1の山雲・河内ペア、真田飛鳥戦の水鳥選手、そしてさっきの久我選手を見て、『確信』に変わった。
「ここで負けたら終わり、しかも相手はあの全国最強赤桐。それらの要素に追い詰められた白桜が、覚醒した・・・と言ったらいいのか分からないけれど、とにかく本来の力以上のものを出してプレー出来ている」
「そうですよね・・・。戦前の予想では赤桐が圧倒的に優勢だったのに・・・だって、もう」
そのとき、審判のコールが聞こえ、ポイントが入る。
「ゲーム、新倉燐。4-3」
―――白桜、新倉選手に
「完全に白桜が、赤桐を押し始めている」
全てが決するこのシングルス1。
この局面で、全国最高のサウスポー・榎並命選手を相手に―――遂に新倉選手がリードを取り始めた。
「こりゃあ、あるかもしれないですよ」
部下がカメラのシャッターを連打しながら、意気揚々と話す。
「大番狂わせ!!」
◆
「ッ!」
上空高く舞い上がったボールを、ラケットで打ち落とす。
それは真っ直ぐ一直線に敵コートで跳ね、相手選手の左腕・・・その向こう側を、通過していった。
「40-30」
ここだ。
ここを、何が何でも取りたい。
(自分のプレーで、)
絶対に―――
(このサーブで!)
会心の一撃だった。
打った瞬間に決まったと分かる強烈なサーブ。
それが敵コートに入った瞬間、思わず柄にもなくガッツポーズをしてしまった。
「ゲーム、新倉燐。5-3」
あと―――1ゲーム。
あとたった1ゲームで、私たちはこの試合に勝利できる。
「あと1ゲーム!」
「白桜の勝ち、全然あるよ!!」
「新倉ぁー、決めろー!」
『あと1ゲーム!』
『あと1ゲーム!』
『あと1ゲーム!』
『あと1ゲーム!』
会場は完全に私の味方。
このゲームさえブレイクすれば、私たちはあの全国王者・赤桐に―――
「15-0」
「15-15」
「30-30」
どんどん、自分でも驚くようなスピードで試合が進んでいく。
"その瞬間"は、確実に目の前まで来ていた。
私の放ったショットが彼女の手が届かない場所で跳ね、またしてもその向こう側を通過していった、そのとき。
「30-40」
会場のボルテージは最高点に到達していた。
「燐せんぱーい!!
「新倉、あと1点だ」
「マッチポイントッスよ、先輩!!」
『『あと1点!!』』
『『あっといってん!!』』
あと1点、その大合唱が頭の奥に響いてくる。
(あと1点・・・)
自分でもその言葉を反復する。
(あと1点・・・、あと1点・・・!)
頭の中がそれだけに支配される。
あと1点、たった1点。
この1点で・・・。
―――刹那、来たサーブが
(甘い!!)
いける―――
頭に、確かに勝利への道標が映し出された。
敵コートの反対側、あそこにレシーブを打ち込めば・・・
―――"勝てる"!!
私の放ったレシーブが、ネットを通過した。
―――会場が息を飲む
―――全ての視点がただ『その一点』に注がれた、
「ッッ!」
その瞬間。
「させるかぁぁあ!!」
カ゛ッ。
鈍い音が聞こえた。
榎並選手が思いきり伸ばしたラケットのその先に、ボールが衝突したのだ―――




