VS 赤桐 シングルス1 新倉燐 対 榎並命 1 "全国最高のサウスポー"
シングルス2には勝った―――
挨拶を終え、ベンチに帰る途中。
「よくやった」
監督のガッツポーズを見て、まるでそう言ってくれているように見えた。
自分の役目は果たせた・・・。
あとは最後、この試合を"部長として"、見届けるだけだ。
選手応援席から、1人の選手が立ち上がり―――こちらに向かって、駆けてくる。
(燐―――)
君には今、この状況はどう映って見える?
君はどう捉えている?
君の気持ちは、想いは・・・『1つ』に絞り切れているだろうか。
「部長」
燐とすれ違おうとした、その瞬間。
「先輩達の夏、私が預かりました」
「うん」
「絶対、勝ってきます・・・!」
彼女の決意を。
その思いを耳にした。
(君は、ちゃんと分かってるんだね)
それを確認できて、ホッとしたよ。
「行っておいで、頼もしい後輩」
軽く声をかけ、彼女の背中を後押しする。
「君にならこの試合、私たちの夏・・・任せられるよ」
そう、だって。
「監督が君をシングルス1に置いたのには、必ず理由があるはずだ。その答え・・・きっとコートの中にあると思うよ」
私ではなく、君をそこに選んだ理由。
試合の中で、見つけておいで。
君にはきっと、それが出来るはずだ。
「・・・、はい!」
しっかりとした返事を聞いて、私は再び前を向き、ベンチへと歩いて行く。
「まりか、ナイスゲーム」
「さすがまりかだね。あの富坂さん相手にこの試合」
「いやいや、この観衆の凄味に足が震えちゃって大変だったよ」
「またまた」
迎えてくれる同級生達。
私たち全員・・・あの子の右腕に、全てを託しているんだもんね。
「さぁ、ここからは・・・応援だ!」
新倉燐。
天才2年生にしてこの白桜女子シングルスの主力。
私の自慢の後輩―――そう、彼女になら。この状況を託せる。それはこのチームの総意、3年生の共通認識。
(燐・・・"全国"が、君の一挙手一投足を見ているよ)
この注目度、この熱。
全てを向けられたこの試合で・・・君がどんなプレーをするのか。私たちに見せてくれ。
◆
試合開始の挨拶前。
ネットを挟んで、榎並選手と向き合う。
「貴女、新倉燐ね!」
すると唐突に、彼女がそう言ってこちらを指さしてきた。
「話は聞いてるわ。東日本の2年生ではトップレベルの選手だって。あ、でも一条汐莉も居るから、今はどうか分からないわね」
彼女は一言一言、ハッキリと、大きな声で独り言を続ける。
(変わった子だな・・・)
シンプルにそう思う。
全国広しといえど、なかなか出会えないタイプの女の子だ。
長い金髪をゆらゆらと揺らしながら、首を左右にぴょこぴょこと振り、表情を変えながら・・・そして、基本、楽しそうに。
彼女はニコニコと笑って、言葉を続けるのだ。
「ねぇ、新倉さん」
そして、こちらを見上げるように上目遣いで私の瞳を覗くと。
「貴女はどんな匂いがするのかしら」
ずいっと顔を私の顔へと近づけてくる。
そのまま、キスされるのかと―――そうとすら思えたが、彼女の目的はキスではなく。
私の首元に鼻を近づけ、すんすんと『匂い』を嗅ぐように息を吸うと。
「面白い子の匂い・・・」
パッと私から離れていき、再びビシッと人差し指をこちらに向けてくる。
「やっぱり貴女は面白いわ、新倉燐!」
それはまるで―――宣戦布告。
「良い匂いがしたもの! 貴女となら、良い試合が出来そう!」
私は嗅がれたところの首元に、左手を当て・・・榎並さんの感触を確かめるように、さする。
「見せてあげるわ、貴女に」
ニッコリと笑う、榎並選手。
「全国最高のサウスポーの力を!」
彼女の左手に握られたラケット・・・そこに一瞬、目を奪われた。
(サウスポー・・・)
彼女が西日本最高の選手と言われる所以は、そこにある。
全国でも珍しい左利き・・・その中でも、榎並命は。
―――傑出した力を、持っている
◆
「藍原ちゃん」
燐先輩が幸先よく1ポイントを先行した、その時。
試合後なのにも関わらず、まりか部長が私の近くまでやってきて、ぽんと肩に手を乗せながらこんな話を始めた。
「あの榎並命さんの試合・・・よく見ておくといいよ」
「私が、あの人の試合を、ですか?」
「うん」
そして大きく頷き、少し口角を上げながら。
「同じサウスポーとして、君がこれから全国で通用するようになりたいのなら・・・彼女のプレーから得られるものは少なくない」
榎並選手の方をじっと見つめ、部長は続ける。
「彼女は完成されたサウスポーだ。サウスポーが試合に勝つにおて、重要なところはほぼ全てマスターしているほどの選手。盗めるものは、全て盗んでおいた方がいい」
「それほどの選手なんですか・・・」
「『西日本最高』は伊達じゃない、と私は睨んでるよ」
この試合、サーブ権は榎並選手から。
彼女がサーブ位置に立つ。
コートの端も端、外側ギリギリのところに―――
「あれだよ、サウスポーの利点」
「サウスポーの利点?」
部長の言葉に言葉を返す。
「サウスポーは当然、右利きの選手と逆方向からサーブを打つことになる。通常、右利きのサーブはコートの右半分・・・デュースコートから離れた方が威力が高くなる。外側から敵コートの外側に、サーブを打つことが出来るからね」
しかし、今、榎並選手が立っているのは、アドバンテージコート・・・テニスコートの、左半分。
「でも、サウスポーは文字通りそれが逆になる。サウスポーの放つサーブが最も威力を発揮するのは右利きプレイヤーの逆、アドバンテージコートに立ったとき。更に榎並選手はああやってギリギリ外側に立つことで、そのサーブの威力と角度を更に強いものにしようとしている」
榎並選手のサーブ。
左腕をできる限り外側から出し、右利きプレイヤーである燐先輩を翻弄する。
普段相手にする右利きとは真逆の位置、それも外側ギリギリから繰り出される角度の付いた、スライスサーブ。
「あれこそが榎並選手を西日本最強のプレイヤーたらしめているもの・・・最強の角度を持った必殺のサーブ」
燐先輩の外側へ、回転の加わったボールが逃げていく。
確かに、すごい角度だ。あれにスピンを加えられたら、どうしようもない。
レシーブが得意な燐先輩がサーブを返せなかったことから、その威力は容易に想像が出来た。
「15-15」
次にサーブを打つとき、今度はデュースコートからサーブを打つ。
アドバンテージコートから打ったさっきに比べれば威力は落ちる。角度も付かない。
それでも、今度は更に強く回転をかけて、サーブに強弱・・・緩急を出している。
(あれが、『技』・・・)
ああすることで、自分の弱点を弱点として認識させないようにしている。
良いところは伸ばし、悪いところは補う・・・この選手、
(すごい・・・!)
赤桐のエース。
西日本最高の選手。
そう言われるだけのことはあると、わたしでも分かる。
サウスポーとしては右に出る選手がいないほどの選手・・・これが、
「ゲーム、榎並。1-0」
榎並命!
「ああ、簡単に1ゲーム取られちゃった」
「ドンマイです燐先輩! 次のゲーム、確実にキープしていきましょう!」
「新倉さん、ふぁいと、なのー!」
『わあああああぁぁぁ』
会場のボルテージは最早最高潮。
文香とまりか部長の試合を経て、お客さんのテンションは爆発寸前のところまで上がっている。
この異様な雰囲気、異常な熱気・・・。
―――何かが、起こるんじゃないか
そう期待させるには十分なものが、このスタジアムには満ち満ちていた。
泣いても笑っても、このシングルス1が決着したとき、試合の勝者と敗者が決まっている。
(燐先輩・・・!)
あの、燐先輩だ。
わたしが1番最初に憧れて、目標とした人。
責任感が強くて、チームのことも考えている。
何より強い。
監督がこの試合の決着を一任した、その実力もある―――
(お願いします・・・!)
気づいたらわたしは、両手を組んで祈るように戦況を見つめていた。
わたしだけじゃない。
3年生の先輩達を中心に、この試合を見守るレギュラー達・・・全員が、食い入るように燐先輩に視線を向けていた。
―――相手は、関係無い
このメンバーで、準決勝へ。その上へ。
行くためには。
この試合、全てを燐先輩に託したこのゲームで・・・絶対に、勝たなきゃならない!




