VS 赤桐 シングルス2 久我まりか 対 富坂愛美 2 "誰がために"
春の全国優勝の瞬間。
私はベンチで、自分の試合の振り返りと反省をしながら―――コート外から、その瞬間を見つめていた。
その瞬間、コートに立っていたのは、命。
榎並命―――彼女の放つ圧倒的な存在感が、全国に知れ渡った瞬間だった。
黒永との決勝戦、幸村監督は綾野五十鈴との勝負を避けた。
富坂愛美をシングルス3に、命をシングルス2に置く、シングルス1避けの布陣―――徹底した完全勝利至上主義を貫く監督は、形より勝負を取ることを選んだのだ。
・・・その試合の直前、自分がシングルス2ではなく、シングルス3に配置されたのを目にしたとき。
私は予想以上に冷静だった。
(なるほど、チームの方針でそうなんだ。全国優勝を決めるのは、私じゃなく命の役目・・・)
そして私は、淡々とシングルス3の試合に勝つ。
相手は黒永の三ノ宮選手・・・決して弱い相手ではなかったが、接戦の末勝利を収める。
命が試合を決め―――赤桐は春の全国王座をその手に掴んだのだ。
それは試合後のインタビューの事だった。
部長の私は選手達を先導して、会場から出て行く。
その途中で、偶然記者に囲まれた彼女の・・・優勝監督インタビューを聞いてしまった。
「命がよくやってくれました。彼女はもうこのチームでエースと言っていい存在になったのでは」
―――エースは、命
新チームになってから、外部から何度言われたか分からない台詞。
私と命は常に比較され、比較されるたびに彼女の方が上だと言われ続けてきた。もう、慣れっこだ。
「あれ~? あいみん先輩表情暗いわね?」
だけど、命は・・・彼女は。
私の感情なんてお構いなしで、そう言って後ろ手を組みながら私の顔をのぞき込んでくる。
―――稀代の天才
―――彼女には普通の人の常識は通用しない
だから、コミュニケーションを取る方法も独特。
「優勝祝賀会の時の挨拶、なんて言おうか考えてたの」
「あー、それ! いいわね!! あたし言いたいっ!」
「いや、部長の仕事だから」
「いーじゃん! だってあたし、」
命のペースというのはよく分からないし、
「エースなのよぉー!?」
分かるものでもないのだろう。
「そうだね、命はエースだもんね」
「お、あいみん先輩、乗ってくれたわね!」
「私なんか、所詮は二番手・・・。私なんかじゃ命の代わりにはなれないから」
「あはは! 先輩ネガティブ~~~っ!」
言って、命は背中をぱんぱんと叩いてくる。
「お寿司いっぱい食べるわ~! あと、ジュースもいっぱい飲むし!!」
「・・・」
だから。
「良いね。私はお肉を食べたいな」
ちょっとだけ、そんな彼女のことを―――羨ましく、思うんだ。
その夜。
祝賀会の後。
私はいつものように宿泊施設内の駐車場、その空きスペースでラケットを振っていた。
「優勝したその日に、まだ練習を行う・・・」
自分にとっては、いつものこと。その延長。
だけど―――
「お前らしいと言えばらしいな、愛美」
「幸村監督」
少し、ドキッとした。
彼女は少し離れたところで腰を下ろし、こちらを見上げるような格好で。
「私のことは良い。続けろ」
「・・・、はい」
監督の言葉がいつもより柔らかく感じるのは―――きっと気のせいでは無いのだろう。
「そういう姿勢だ」
だから。
「お前のそういう姿勢が、チームを勝利に導いた」
ラケットを振るうその手に、力が入る。
顔がカーッと紅潮して、少しだけ息づかいが荒くなる。
(監督に、褒められるなんて・・・ッ)
一体、いつぶりだろう。
普段、滅多に選手を褒めたりしない人の言葉だ。
もうこれを聞いた瞬間、全身の血が沸騰しそうなほど・・・興奮している自分がいた。
「愛美」
「はい」
「自分を無闇に蔑むことは無い」
―――私なんか、所詮は二番手・・・
―――私なんかじゃ命の代わりにはなれないから
さっきの言葉を、その場で聞いていたかのような監督の言葉が。
「お前は良い選手だ、私が保証する」
胸に、刺さる―――
「もう少し、自信を持て」
ああ、なんだろう。
この満ち足りていく感覚。
心の奥がじんわり温かくなって、沁みていく・・・。
だから、私は一言。
「・・・ありがとう、ございます」
その言葉だけ。
この人に、投げかける。
貴女の下でテニスが出来て、本当に良かった。
私は貴女のもの。私の心は貴女に捧げた。だから自分のテニスに迷いも、戸惑いも、揺らぎも・・・何も無い。ただ貴女だけを信じて、着いていける。
一緒に磨き上げてきたこのテニスを・・・誰にも否定はさせない!
◆
ジャンピングサーブを、また止められた。
(私のテニスを徹底的に解析した、鉄壁の防御!)
それが富坂愛美のテニスだ。
相手のデータを解析、そのデータを最大限に活かす方法で最適化、あとは監督のプランと戦術に従い、それを行う―――なるほど、確かに隙は無い。
だけど。
(戦ってて楽しいテニスじゃ、無いね!)
ここまで来て、相手を楽しい楽しいじゃ無いで括るのはナンセンスだということは十分分かっている。
だけど、内側から吹き出すような熱、血湧き肉躍る感覚・・・それが富坂さん相手のテニスでは、感じることが出来ない。
―――徹底したデータ解析と戦術に従うテニス、ならば
グッと、足に力を込める。
怪我が完治した、その足に。
(私はデータのその上を行く!!)
力を120%、解放。
ようやく本来の力が出せるようになってきた。
試合の中で枷から解放され、ギアを1つ上に入れ直せる感覚。
コートの隅を狙った打球に追いつき、右手バックハンドで思い切り敵コートに打ち返す。
「ッ!」
向こうもこちらの動きが変わったのが分かったのだろう。
急いで前陣に上がり、強力な打球を返してくる―――しかし!
(それも読んでいたよ!)
その強力な打球に、私は振り負けない。
今度は、フォアハンド。狙うは相手コートの最奥・・・そこへ向かって、弧を描くような打球を放つ。
富坂さんが思い切りラケットを伸ばしてそれを叩き落とそうとするものの―――ボール1個分、届かない。
「40-15!」
よし!
思わずガッツポーズが出た。
(富坂さん、やっぱり君は強い。『八極』の名は伊達じゃ無い。そんな事はきっと誰もが分かっている。すごい選手、エースプレイヤー・・・だけど)
サーブ位置に付き、一呼吸。
そして、左手で大きくトスをして。
(私は!)
高く、高く。ジャンプ。
(そういう選手に勝って―――)
落ちてきた打球を、最大打点で叩き落とす。
(この全国で優勝したいんだ!!)
角度のついたサーブは敵コートのサービスコート、ギリギリのところに落ちて。
「!!」
彼女はそれに合わせるようにラケットを差し出し、弱い打球でレシーブをしてきたけれど。
「甘い!」
それくらいじゃ―――私は、抜けない。
その弱い打球を再び強く、インパクト。
真反対に返して、彼女にボールに触ることを許さない。
「ゲーム、久我まりか。4-3!」
君たちのデータと戦術を、上回るテニス―――今の私には、それが出来る。出来ている。
(私には意地がある。目標がある。夢もある)
どんどん―――相手コートに打ち返す打球が力強くなっていくのを感じる。
こんなに調子が良いのはいつ以来だろう。
五十鈴と試合をした、あの日ぶりかもしれない。
(白桜の部長として、)
再び返ってきた打球を、今度は両手で叩く。
素早い球足のショットが敵コートへ―――待ち構えていた富坂さんの、ラケットの・・・更に、その先へ。
(誰にも譲れないものがある!!)
あと一歩、彼女は追いつけない。
「30-40」
審判のコールが聞こえた、その瞬間。
「部長のマッチポイントだ!」
「あと1点!」
「がんばれー久我ちゃん!!」
この試合、今までどちらに付くこともなく戦況を見守ってきた観衆が・・・"私に"味方してくれた。
私の背中を押すように―――頑張れ、負けるな、あと一息。
そんな風に、語りかけてくれたのだ。
(なんだ)
この大観衆に、ずっと気圧されてたけど。
(こんなに優しいんじゃん)
今の私には、心地よくて・・・丁度良い。
まるでそよ風に乗ったせせらぎが、耳にふわっと入ってくるような感覚。
この"大声援"を力に変えて―――最後の、1ポイント。
「ゲームアンドマッチ!」
富坂さんの反応のまったく逆をつく、最高の打球で、
「久我まりか。6-4!!」
私は『彼女』に、バトンを渡すことが出来たみたいだ。




