VS 赤桐 シングルス3 水鳥文香 対 真田飛鳥 1 "その世界へ"
―――試合前、ネットの前で握手をしていると
「久しぶりだね、水鳥文香」
対戦相手である真田飛鳥選手が、おもむろに話しかけてきた。
「全国のジュニア選抜以来・・・君は私のことなんて覚えてないかもしれないけどね」
ジュニア選抜。
確かに、そこでこの真田選手に会った覚えはある。
だけど当時の彼女はレギュラー選手では無く、試合に出る機会にも恵まれていなかったイメージだ。
「この1年間で、私がどれだけ進化したのか見せつけてやる―――」
「!」
その言葉で。
「今はレギュラーも控えも関係ない。コートに入った以上、私たちは学校を代表する選手だ。水鳥文香、」
気づいた。
彼女の本気度、私に向けているものの大きさ。
「アンタは私が倒す・・・!」
『気迫』とも言うべきものを―――
「この試合を生で見たくて朝から並んだんだよねー」
「1年生エース対決! 燃える!!」
「いけー! がんばれー!!」
『わああああぁぁぁ』
この試合になって、観客の声の大きさ、応援のすごさが一段階上のものになった気がする。
花形のシングルス・・・しかも、出てくるのは両チームエース級の選手ばかり。
(お客さんが燃えるのもわかる)
だけど―――
私は私のプレーをするまでだ。
私のテニスをして、真田飛鳥選手に勝つ・・・!
(今は、それだけでいい)
「0-0」
折角じゃんけんで勝って手に入れたサーブ権だ。
ここは慎重に、手堅く。
目の前のゲームをキープし、確実に1つ取ることに集中した方が良いだろう。
「ッ!」
右腕から放たれたサーブが、敵コートで跳ねる。
それを真田選手は簡単にレシーブ。
私が帰ってきたそのボールをインパクトした、その瞬間―――
「「真田が前陣へ!」」
彼女の攻めは早かった。
迷いも無く前に出ると、その強打された打球は凄まじい鋭さとスピードを持って、私の横を通過していく。
「うおぉ!」
瞬間、
「速い! 鋭い! 低い!」
「決め球の質がエグすぎるよ!!」
観衆が騒ぎ出す。
今、目の前で展開されている試合のすごさを、その1人1人が改めて噛み締めるように。
(この選手・・・!)
間違いない。
全国区のエースプレイヤーと比べても、全く遜色の無い・・・!
『最高』レベルのシングルスプレイヤーだ。
(都大会決勝でぶつかった三ノ宮選手と同格、もしくはそれ以上・・・!)
私が今まで戦ってきた選手の中でも、最高位の対戦相手。
―――それがこの、
―――真田飛鳥
「0-30!」
簡単に2ポイント目を落としてしまう。
サービスゲームで攻めているのはこちらのはずなのに、このままじゃ・・・!
焦りが出始めた、そのときだった。
真田選手がさっきまでと違い、前に出てこない。
コートの奥の奥、ベースラインより少し後ろくらいから放たれた打球が―――
その瞬間、ボールが浮いたのかと思った。
視界の上に映った打球が
―――ぐんッ
一気に、『落ちる』。
それはまるで、ボールが上から振ってきたかのような感覚。
視界の端から端へ、ボールががくっとその軌道を下げる。
初見の私では、
「0-40!」
まったくもって、手が出ないほど・・・。
「出たー!! 伝家の宝刀ナインドライブ!」
「ここから見てても分かるくらい、ボールが大きく沈んだよね!?」
「初めて見たー、すごい!」
そのショットは、あまりに"異質"なものだった。
私が呆気に取られていた、そのとき。
「大丈夫だよ、文香!」
選手応援席から、有紀の声が聞こえてくる。
「まずは1ポイント、取っていこう! 相手のボールは関係ないよ!」
その声は、少し浮き足立っていた私を冷静にさせるのには十分なものだった。
(そうだ)
まずは、1ポイント―――そこから組み立てて巻き返・・・。
刹那。
真田選手のナインドライブが、再び私を襲う。
視界の上から下へ、それよりもっと深く、落ちる―――
「ゲーム、真田飛鳥。1-0!」
そのコールを聞いて少し経ち、冷静になってから。
私は最初の1ゲーム、それも自分のサービスゲームを落としてしまったんだと言うことをようやく自覚する。
◆
試合の立ち上がり、赤桐の真田選手が一気呵成に仕掛ける。
最初の1ゲーム、水鳥選手のサービスゲームをブレイクすると、次の自分のサービスゲームを確実にキープ。2ゲームを先行した。
(最初のブレイクされたゲームは水鳥選手も焦りが見えたけど、今の真田選手のサービスゲームはサーブにも落ち着いて対処していた)
両者とも、調子は良さそうに見える。
実力も拮抗した者同士の対決だ。
立ち上がりのサービスゲームをブレイクされたとはいえ、水鳥さんのテニスの形は見せられていると思う。
(だが・・・2ゲーム)
ここを先取されたという事実は変わらない。
―――この2ゲームは大きい
◆
「え、アイちゃん、東京の中学に進学するの?」
それは小学校6年の夏。
「やっぱり東京だよ。日本で1番レベルの高いところだし、私はそういうところへ行って1番になりたい」
私が通うテニススクールでは、東京の学校からスカウトされて、そこに進学するという子が後を絶たなかった。
「黒永に進学して、テニスを極めたい」
「アイぢゃ~ん・・・」
「あはは、亜弥、泣くなって。永遠の別れじゃないんだから」
私自身は、他人の進路にそこまで興味が無かった。
自分の人生だ。
行きたいなら誰にも止める権利はないし、好きにすればいい。
―――夢見る女の子が集う街、東京
ここ大阪とは何もかもが違う・・・。
だけど、私は。
私自身は。
この自分が生まれ育った大阪の地で、日本一になりたかった。
そんな私が選んだ進学先―――赤桐。
「新入生にはまず頭にたたき込んでおいて欲しいことがある」
その入部初日、最初の新入生への挨拶で。
「この赤桐には、試合で勝てる選手以外は必要ない!」
―――胸を射貫かれた
「私は綺麗事を言うつもりはない。新入生諸君に求めるのはただ1つ、勝利のみだ。それをよく覚えた上で、練習に励んでもらいたい」
赤桐中学テニス部監督、幸村瞳子。
彼女が掲げるのは『完全勝利至上主義』―――
1年生だろうが3年生だろうが、勝てる選手は使うし、逆に勝てない選手はずっとベンチ外で3年間を終えることになる・・・その超実力主義が、私には合っていた。
(このチームで、勝てる選手に)
このチームで、試合に出続けられる選手に。
それが私を支えるモチベーションになった。
―――そうだ、私は
指先でボールをトス。
右腕でそれを確実にとらえ、相手コートに入れる。
そのボールが、帰ってきた瞬間。
『ナインドライブ』
そのショットを打つ。
水鳥文香はこのボールに全くタイミングが合っていない。
彼女が返した打球は、大きく右へと逸れていき・・・。
『日本で1番レベルの高い東京に―――』
「40-30!」
審判のコールを聞いて、私は大きくガッツポーズをとった。
―――"東京モン"にだけは、絶対に負けたくない!!
◆
―――ゲームカウント、2-1
―――真田飛鳥のサービスゲーム
この選手の底知れない凄さは分かった。
彼女は1年前のジュニア選抜の時とは比べものにならないくらい、強くなって私の前に立ち塞がっている。
このゲームも残り1ポイント・・・ここを落としたらゲームカウントを取られてしまう。
なんとか、それは防がなきゃ。
レシーブの構えを取り、真田選手をパッとみた―――その瞬間。
大観衆の声援が、聞こえなくなった。
周りのものが全てモノクロに見えて、スローモーションのようにゆっくりと再生されている。
そんな白黒スローの世界で。
唯一―――私と真田選手だけが、普通に動いてプレーしている。
真田選手がゆっくり・・・ゆっくりと、サーブの構えに入る。
ボールを握る指先。
そして、私の方を睨みながらサーブ動作を始めるその表情。
それら全てが、彼女の今の貫禄を物語っているようで―――その、やけにゆっくりと見えたサーブ動作が、強く私の脳裏に焼き付いていくのが分かる。
バリバリ、バチバチ。
ゆっくりと再生される白黒の景色。
それが、頭の奥の奥の奥へと、確実に―――
「取ったー! 真田がサービスゲームをキープ!」
「ショット鬼速ッ」
「でも、水鳥さんの反応も悪くなくない!? ついて行ってるよ!」
再び騒ぎ出す観衆。
その声が聞こえるようになってきた時には。
さっきまでの感覚は何だったんだろうと、自分でも不思議に思うほど・・・あの景色が、遠いものになっていた。




