VS 赤桐 ダブルス2 幡田・竹宮ペア 3 "覚醒"
ぽーん、ぽーん。
右手で数回、ボールをコートに弾ませる。
ボールをしっかり掴んで、相手コートを睨む。
ネットから手前、コートの半分の半分・・・サービスコートを目視で確認―――あそこにサーブを入れる。大丈夫、いつも通りだ。
このゲーム・・・試合を左右するほど重要なものになるのは自分でも分かっている。
ここでわたしにサービスゲームがまわってきた。これは巡りあわせだ。巡ってくるべくして、巡ってきた。
(わたしの1番得意な、"サーブを打つこと"・・・)
それで試合の流れを掴む。
先輩の状態が万全ではない―――その中で。
サーブだけでポイントが稼げるのなら、これ以上に楽なことはない。
狙うは、サービスエース!
「ふう」
一息―――この時、わたしの頭には1つの光景が浮かんできていた。
関東大会準決勝、シングルス3。
龍崎麻里亜さんとの試合・・・その、試合終了後。
『勝てればなんでもいい。強くなれれば、方法論や過程にはこだわらない―――』
彼女の言葉が、流れ込んでくる。
『"何でもいいから強くなりたい"』
強くなりたい。
もっと先へ、もっと上へ。
自分より強い選手たちと戦って、そのステージにまで上がりたい。
彼女たちと、もっと熱い試合がしたい―――!
"エース"に、なりたい・・・!!
(―――ッ!!)
頭の中がクリアになっていく。
まるで霧や靄が晴れていくような、そんな感覚。
この大観衆の中にあって、妙に自分の周りだけが静かで、観客の声は遠くに聞こえる。
ドクン。ドクン。
心臓の音が大きく聞こえ、自分が何を考えているのかがよく分かる。
この―――『感覚』。
(掴めた)
いける。
この感覚のままなら、わたしは自分の力を最大限に引き出すことができる。
右手で高く、ボールをトス。
落ちてきたボールを、思い切り撓らせた左手で、その先のラケットの真芯で、インパクト!
打ったのはフラットサーブ。
このサーブのパワーで、まず相手を圧倒する。
放たれた打球は一直線にサービスコートへ、そこに落ちて、大きく跳ね上がる!
―――敵選手は、それに上手く対応してレシーブしてくるが
まったく、力が伴っていない。
弱い打球はぐんと弾道を下げ、相手コート内へ一直線に落ちていく。
「15-0!」
審判のコールを聞いて、わたし達ペアにポイントが入ったことを自覚した。
「藍原、ナイスサーブです!」
「自分でも上手くいったなと思いました」
先輩から渡ってきたボールを、再び右手で握る。
―――次は、
次のサーブは。
相手のタイミングをずらすのが目的の、クイックサーブ。
わたしの感覚では普通のタイミングのこれに、敵が戸惑ってくれれば儲けもの。
だが相手はこれにもちゃんとついてくる。
さすが赤桐の正レギュラーだ。"タダ"ではサービスエースをくれない。
後衛に返ってきたボールを、わたしは長い距離、それもクロスを狙って思い切り振り切る!
ぐん、と。
打球が伸びた感覚がした。
「30-0」
ボールはコートを斜めに一直線・・・敵コートの四隅で跳ねて、相手を寄せ付けない。
(いける!)
この時、自分で確信した。
(わたし・・・いけるよ!!)
今のわたしの調子は絶好調―――ううん。それよりもっと上。
何か一つ、天井を突き抜けて、その上に出たような、そんな感じすら覚えるところに来てしまったんだと。
◆
―――大事なゲームを、敵のサービスゲームとは言え簡単に取られた
(ゲームカウント4-5・・・)
何か、嫌な感覚は伝わってきていた。
敵1年生選手・・・藍原有紀から溢れる闘志、強い意志。
絶対に点を取ってやるんだというプレッシャー。その全てがこちらを圧倒してくる。
(監督からの指示は変わらない。菊池このみにボールを集める・・・)
だけど、向こうの藍原がそれに感づき、割って入るように動き始めているのももうとっくに知っている。
問題は藍原がどこまで動けるか・・・。
もう1人の選手の動きをカバーし、フォローし続けるのは単純に考えて通常の2倍の運動量を要求される。それに耐えられるスタミナを、1年生―――藍原有紀は持っているのか?
その疑問はある、あるが・・・。
(とにかく現状は、あの子にボールを打たせないこと!)
先輩のサーブが敵コートで跳ねる。
レシーブするのは藍原の方・・・。
(今は菊池が前衛! 前にボールを集める!)
レシーブを返す先輩がボールを強打し、前衛の菊池に取らせるような打球を打つ。
しかし―――
(ちっ!)
菊池はそれをスルー。
藍原が、そのボールに追いつく。
3年生を庇うようにそれを打ち返してくるのだ。その打球が・・・!
("揺れてる"!?)
あの藍原有紀の打つショットには独特のクセがある。
しかし、"それ"では・・・"その言葉"では表現しきれないほど、今の彼女の打球は揺れていた。その打球が、真っ直ぐこちらに向かってくるのだ。
「くっ!」
私はそれを思わず見送る。
手が出なかった。
後衛の先輩に、託す―――
「ッ!」
しかし、先輩の放ったショットは威力が全く出ず、ネット前で自陣に落ちる。
「0-15」
審判のコールと共に、私は歯噛みする。
(主導権を握っていたのは、こっちだったはずなのに!)
さっきのサービスゲームから、流れが変わり始めている。
今度は菊池がレシーブ。
それが私の目の前にやってくる。
これは、打ち返さなくては!
(勝負だ、藍原有紀!)
同じ1年生同士、アンタの実力が本物かどうか・・・私が見極めてやる!
藍原が後方に走り、前衛を空けた敵コートへ向かって打ち下ろすように上から下への打球を放つ。
ベースラインギリギリ、そこに落ちるようなショットを。
(入った!)
手応えは十分。
これは点が取れた―――そう、確信したはずなのに。
「―――!」
藍原が、それを・・・打ち返す。
打球は大きく弧を描き、後衛の先輩の元へ。
先輩はそれを、前衛に出た菊池このみに向かって強打。
しかし、菊池はそれを見送る―――彼女の後方へ回り込んだ藍原に、ボールをまわす為に。
(ダメだ、今のあいつにボールを渡しちゃ・・・!)
だって・・・!
今の藍原は、
―――手が、付けられない!!
藍原が放った打球は後衛から一直線にそのまま真っ直ぐ。
コートの1番奥から1番奥へ、鋭い打球が抜けていく。
追いかける先輩の、その向こうを打球が通過。
(・・・この選手、)
敵コートでガッツポーズをする、
「0-30!」
―――藍原有紀に対して。
(全国の舞台・・・いいや、違う。"この試合で"―――)
私は、『恐怖』すら覚えていた。
(覚醒、してる・・・!)
ペア相手の3年生の絶不調。自分がやるしか無いという状況にまで追い詰められて・・・その極限状態だからこそ開花した、勝負強さと才覚。
あの子は、"試合の中で"1つ上の次元まで到達した。
そうとしか、思えない―――
◆
入部以来、ずっと彼女を見てきた。
有紀は私のちょっと後ろ・・・そこをひたすらにピッタリと付いてくるような子だった。
どれだけ引き離そうとしても、私が歩みを速めても。
決して遅れることなく、後ろをくっついてくる。
いつの間にかそのことを、当たり前に感じている自分もいて。
私がどれだけ速く走っても、有紀なら一緒に付いてきてくれる・・・そう思ってきた。
今日の試合を見て、その感覚がより強くなった。
ううん、違う。
もしかしたら、既に彼女は私を追い越しているんじゃないか―――そう感じるほど、今日の彼女のプレーには、引き込まれるものがあった。
人を惹きつけるプレー・・・この会場の、いったい何人が彼女のテニスの『真の領域』に気がついただろう。
(私も、がんばらなきゃ・・・)
はたと思う。
(あの子に追い抜かれないように、もっと)
これは焦燥感? 危機感?
その、どちらでもないもの?
私が私であるためには、誰よりもその高みに近くなければならない。
そうでなければ、私は水鳥文香失格だ。
(もっと―――!)
―――この気持ちを、
試合で表現しなきゃ・・・!
頭の中に強く出てきた"この思い"を抱えたまま、私は自分の試合を待つことになる。




