初瀬田 vs 鴻巣 シングルス1 鏡藤 対 立花 2 "愛"
試合は両者、一歩も譲らないまま6-6・・・タイブレークを迎えた。
風花は『鏡』による敵の気迫をそのまま受け流すよう利用したプレースタイルと、時折見せる『乱反射』が冴え渡り、攻め一辺倒の立花さんの気勢を削ぐ、本来のテニスがここまで出来ている。
しかし、それを押し切るような勢いとパワーでゴリ押してくる立花さんの、自らの全てをぶつけてくるようなプレーとその気迫は試合終盤も衰えを知らず、風花の『鏡』でもそれを受けきれないまさかの展開。
このタイブレーク―――
何か『キッカケ』がないと、立花さんのぶつけてくる"感情"に風花が耐えきれなくなってしまう・・・。
「響希ちゃん」
タイブレーク開始前、ベンチに座る風花をパタパタと団扇で扇いでいると、彼女は何かを絞りきるような重々しい声色で話し始める。
「私、間違ってたのかな・・・」
「風花?」
「転校したのは私のわがまま。だけど、その結果で誰かを深く傷つけてしまうなんて、当時の私には分からなかった。考えもしなかったのかもしれない。私は初瀬田で響希ちゃんにも会えて、こうして全国にも来られたけど・・・。私のしたことって、私のしてきたことって・・・」
風花の表情は曇っていた。
「私、響希ちゃんとの関係は誰にも恥じないものだって、誇れるものだってずっと思ってきた。今だってそうだよ」
分かりやすく淀んだその表情は暗く、本当に辛そうで。
「でも、こうやって私たちの間柄を真正面から、まっすぐに否定されるのって、」
どこか弱弱しいその言葉に―――
「こんなに辛くて怖いんだね゛・・・っ」
まだ試合は終わっていないのに、彼女の気持ちが切れかけている。
あたしはこの時、そう確信した。
「風花・・・」
「初瀬田のみんなは優しくて・・・温かいから、忘れちゃってたのかもしれない。立花さんが言うように、私、変わって弱くなっちゃったのかなぁ」
ただでさえこの暑さの中、6-6まで戦い抜いてきた。
身体的な疲労は相当なものだろう。
それに加えて更に、今は精神面でも不安定。
立花さんの強く、まっすぐで、曲がらない・・・でも、風花とは全く違うその『気持ち』に。負けかけている。
―――あたしより付き合いの長い友達に、あたし達の間柄を否定されたんだ
ショックは余程大きなものだったのだろう。
風花は今、ギリギリのところで戦っている。
(このままじゃ・・・、風花が"負けちゃう")
イヤだ。
それは絶対にダメだ。
あたしは部長で、風花はエース。
チームを任されている立場にある。
全員の思いを背負って、ここに立っているんだ。このまま風花を、タイブレークのコートに立たせちゃダメだ―――
何より、恋人として・・・。
今の風花の表情、あたし、見てられないよ。
―――こんなに辛そうな風花を、独りで戦わせていいのか?
その想いが、あたしの中の何かに決意をさせたんだと思う。
「風花」
あたしは、風花の肩を掴んで、ぐっと力を入れる。
真正面から。
彼女の顔を見た。
「風花は間違ってなんかない」
その視線を捕まえて、引き上げるように。
「前の学校で起きたこととか、風花が転校した時に考えてたこととか・・・、あたしには全部は分からないのかもしれない」
風花の目を見る。
「だけど、」
―――愛しい恋人の
「それでもあたしは、風花の味方だよ!」
―――綺麗な顔を
「誰がなんて言ったって。どういう言葉で風花を責めたって、あたしだけは最後まで風花の味方」
この言葉が、風花の心の奥底に届くまで、言い続けてやる。
「だから風花も、風花のことを信じて。自分のこと、愛してあげて・・・。『間違ってた』なんて、そんな悲しいこと・・・言わないでよ」
「響希ちゃ・・・」
「やっと、こっち、向いてくれたね」
顔を上げてあたしの方を見る風花の瞳の中に、ちゃんとあたしを見つけることが出来た。
「ありがとう」
だから、躊躇いなくこう出来るんだよ。
「ちゅっ」
風花を抱き寄せ、顔を近づけて。
その唇に、あたしの唇をほんの数秒の間だけ、触れさせる。
「・・・っ」
「キス、しちゃった・・・」
「~~~~~!!」
突然の事で驚きすぎたのか、風花は言葉が出てこない様子で。
両手で口元を覆うように抑えて、それでも泣きそうなその目線はあたしの事をずっと捉えたままで。
「試合に勝ったら・・・、この続きも、しよう」
半べそかいている風花に、追い打ちをかけるようなことを言っちゃったけど。
「はいっ・・・!!」
こくん、こくん。
何度も頷く彼女が、今は本当に愛おしくて。
「えへへ・・・」
少しだけ、にやけてしまったのも・・・しょうがない、よね。
◆
「鏡藤さん、2人でこそこそ何やってたんですか・・・?」
コートに戻ると、開口一番、ネット際に居る立花さんにそんな事を聞かれた。
―――私は、
「秘密♪」
今、出来る限りありったけの力を使って、笑う。
まだ試合は続いているのに。勝ったわけじゃ無いのに。こんな風に笑ったら、いけないだろうか。
でも、しょうがない、よね。
だって私、今、こんなに幸せなんだもん。
嬉しくて、楽しくて、仕方ないんだもん。世界がこんなに、輝いて見えるんだもん。
「・・・そう、ですか」
立花さんはそう言うと、くるりと反転し。
手元を震わせて。
「さようなら、私の初恋ッ・・・」
小さく、漏らす。
その言葉を、私は聞き逃さなかった。
これは私が引き受けなきゃ・・・背負わなきゃいけない言葉だ。
「私は貴女をここで終わらせることで、自分の気持ちも一緒に終わらせます・・・!!」
「うん。かかっておいで。私はもう、逃げも隠れもしないわ」
包み隠さない、私の本当の気持ち。
今思う、私の本音。
すべて。
「バカッ・・・!」
最後にチラッと聞こえた、その言葉が。
きっと、立花さんの―――彼女の"包み隠さない本音"なんだろうと、なんとなくだけど理解できた。
「0-0」
勝ってみせる。
私の全てを賭して、この試合に勝つ。その腹が決まった。
立花さんの全力のサーブを受け止め、返す。
『鏡』を使用するために、踊るようにステップを踏む。
私は、響希ちゃんの為に―――貴女には負けない。
立花さんのパワーショットを『鏡』で返せたときには、自分で自分が乗っている事に気がついた。
だが、彼女のショットにも次第に力が増していく・・・ここまで全力の試合をやってきたのに、彼女の力には衰えを感じなかった。
(ジリジリ、ジリジリ・・・!)
削られていく。
そして多分、私の『鏡』も、立花さんに残された最後の力を削っていく。
勝負だ。
どっちが先に尽きるか―――その勝負。
それまでは、全力で相手に向かう。
「くっ!」
返し損ない、ボールが浮く。
その甘いショットを立花さんは逃さない。
「いけえ!!」
ネットに近い場所に力あるショットをたたき込まれて、ボールは大きく弾み、後ろに抜けていく。
「4-3、立花」
全身から吹き出す汗。
もうこれ以上は走れないと震え出す膝。
疲れて何も考えられない・・・思考がストップしかける。
「こんなものですか、鏡藤さん」
立花さんが、私の方を見て呟く。
「私の想いを踏みにじった貴女の想いが、こんなものだなんて・・・認めませんよ」
苦々しく、眉をひそめて。
私の方をくしゃっと歪んだ表情で、見ながら。
―――だから、私は
「ふふ」
笑おう。
「いいえ、まだまだよ」
この土壇場だからこそ―――もう一度、響希ちゃんの事を思い出してみる。
しちゃったんだ・・・私たち。
さっきの光景が脳裏によみがえって。
自然と、笑えてくる。
(いこう、響希ちゃん)
私達は、負けない。
私と貴女の想いは、誰にも屈したりしない。
きっと一緒に、どこまでもいける。
(貴女とだから!!)
立花さんの長い距離へのボールを、全力で追いかけ。
ボールを視る。視線で捉える。狙いを定める。
まるで一瞬、全てが静止したかのような感覚に包まれた。
観衆の声は止み、何も聞こえない。ボールが空中で、ピタリと止まっているように見えた。
(この感覚―――)
間違いない。
ここで勝負が決まる。
私は本能的に、そう感じ取った。
決めるなら―――今!
「ッ!!」
ラケットでボールを切るように捉える。
面に衝突したボールは、力の全てを吸い取られたかのようにふわりと浮かんでいった。
コート内に吹き流れた一陣の風だけが、そのボールの行方を決める。
ゆっくりと、そして力なく・・・。
―――打球は、ネット際にぽとりと落ちた
「乱反射」
私が、そう呟いた瞬間。
「ゲームアンドマッチ、ウォンバイ鏡藤風花! 7-6!!」
審判のコールと共に、試合は終わりを告げ―――試合の行方を固唾をのんで見守っていた大観衆が声を上げて、黄色い声援と悲鳴のような声が入り乱れる。
全てが終わった。
全てを出し尽くした。
気づくと私は、その場に倒れるように膝から崩れ落ちていた。
「風花っ!」
一目散にベンチを駆け出してくれたのは勿論、響希ちゃん。
「大丈夫!?」
「ごめんなさい、大丈夫じゃないかも・・・動けない」
「肩、貸すよ!」
左腕を持ち上げて手を回し、肩で身体を担いでくれる彼女の献身的な姿を見ていると、ホッとすると同時に。
「ふふ・・・」
安心とはまた違う種類の笑みが、溢れてきて仕方が無かった。
「ありがとう、響希ちゃん」
「当たり前だよ。あたしの風花だもん」
密着する身体と身体。
この大観衆の中で、私たちにしか聞こえない距離。
「風花なら誰にも負けないって、勝てるって信じてた」
「ふふ。これからも、ずっと私のそばで、こうやって私を支えてね」
「わかってる」
「約束だよ?」
「うん」
何度も大きく頷く響希ちゃんのその頬を、一筋の雫が流れ落ちていく。
「風花、愛してる―――」
小さく囁く彼女のその泣き顔は、他の何にも代えがたく、愛らしかった。




