そのときへ向かって
「今日も練習終わったね」
もう陽が沈んだ練習終わり。
いつものように寮へと帰るその道すがら、確認するようにつぶやく。
隣に居る、瑞稀に向かって。
「・・・」
だけど。
「瑞稀?」
今日は、少し違う。
いつもなら"はいっ!"って気持ちよく返事してくれて、ぎゅっと抱きついてくるくらいのテンションの彼女が。
「・・・咲来、先輩」
胸の前で手を握りしめ、こちらを凝視している。
「・・・っ」
それに、気がついたから。
「どうしたの?」
優しく。
いつもより、もっと優しく。
語りかけるように、彼女の目を見る。
「・・・あたし、チームに貢献できてるんでしょうか?」
「え?」
何が来るんだろうと思っていたけれど。
「この間の試合見てて思ったんです。チームが負けてるのに、あたし達に出来ることなんて、黙って見ていることくらい・・・。他の試合でもそうなんだ。"あたし達が試合を決めることは出来ない"」
それは想定していたことより大分ズレていて。
「もし次、負けることがあっても・・・、また黙って見てることしか出来ないんだろうなって・・・」
瑞稀が感じているのはきっと、『当たり前の違和感』。
私が当たり前に流してきてしまっていたこと。
ダブルスが、試合終了の瞬間に立ち会うことは無いから―――『団体戦』だからこそ、感じること。
「あたし、悔しいんです・・・! あたし達で2勝も3勝も稼げるんなら、それが1番良いし!」
「瑞稀」
「連戦になってもあたし、戦えます。咲来先輩とあたしなら、誰にだって」
表情をぐしゃりと歪め、瑞稀は続ける。
「ぜんぶの試合、あたし達が出て、あたし達が勝てればいいのに・・・!!」
あまりにも、チームの事を思いすぎてしまっているから。
ちょっとだけ、周りが見えなくなっている。
私たちがやっているのは『団体戦』だ。
全てを1人で抱え込むなんて無理な話だし、私たちだけの力で"チーム"を勝たせることも出来ない。
そんなこと、瑞稀も分かっているはずなのに。
「大丈夫だよ」
すっと、瑞稀の腰に手を回す。
そして、彼女を抱き寄せた。
「いいんだよ。私たちがそこまでしなくても・・・。このチームには頼もしい仲間がたくさんいる。瑞稀は、みんなのこと、信用できない?」
「そんなこと・・・、ないですけど・・・!」
口ではそう言うが、言葉の端々に納得できていないことが出てしまっている。
素直になりたいけどなれない、瑞稀らしい反応だと思う。
「私たちが負けた時も、みんなが勝ってくれたよね?」
「・・・!」
「今は、私たちが勝ってチームを盛り上げる番。長い間戦ってれば、そういうときって絶対あるから」
だから。
「瑞稀が信じられないなら、私がその分、みんなを信じるよ」
私たちは2人で1組。
「先輩、だもんね」
2人で1つのペアだから。
「・・・信じられないって事は無いんです。先輩たちも、同級生も、後輩も。ただ、不安で・・・」
「うん、うん」
私の胸の中で泣く彼女に、頷く。
この子のこういうところ・・・、よく分かってるから。
「あたし達も一緒に戦えるの、あと何試合も無いかもしれないから・・・!」
「―――っ」
そっか。
全国に進むってことは、"勝っても負けても"。
もう、近づいているんだ。
『その時』が―――
瑞稀と一緒に居られる時間はもう、本当にあと少ししかなくて。
「はは」
「せんぱい?」
「ううん。何でだろうね。私が励ましてるのに・・・、ちょっと、」
うん。
「不安に・・・なっちゃった」
認めよう。
私だって瑞稀と離れたくない。
ずっと一緒に居たい。居れられるものなら、ずっと。
「咲来先輩、ちょっといいですか?」
瑞稀に言われ、視線を落とす。
すると―――
「・・・っ!」
唇を唇に押し当てられて、そのままぐいっと、下の方へ引き寄せられる。
後頭部を抱き寄せられるように掴まれて。
瑞稀の温かさが、ぬくもりが、ダイレクトに伝わってくる。
「ぷはっ」
唇を離すと、お互いの間を唾が糸引いているのが見えてしまったことが、ちょっと恥ずかしくて。
「まだ不安、ですか?」
瑞稀が下から上目遣いで見上げ、囁くように言ってくれたその表情が、
「―――!」
あまりにも色っぽくて。
「ごめん、それとは別のことでちょっと耐えられないかも」
口元を手の甲で押さえながら、彼女から逃げるように視線を逸らした。
「なんですかぁ? お部屋に帰ってから続きですか?」
「・・・うう」
「いいですよぉ。先輩とならあたし、なんだって出来ます!」
「瑞稀ぃ」
そういうことをさらっと言っちゃうところとか。
私が瑞稀をかわいいと思う点。
好きって、思う場所。
―――練習後だから、シャワー浴びなきゃ絶対に汗とか匂っちゃうのに
(それを考えさせない、この子の魅力)
やっぱり私にとってのいちばんは、瑞稀だけだよ。
◆
その日は特別だった。
朝、当然のように起きて、当然のように早朝練習へと向かう。
その流れの中で、有紀と会うのはいつもどれくらいの時間だったろう。
目が覚めた瞬間に彼女も起きていたような気がしていたし、私から起こしていた日もあっただろう。
「有紀、練習は?」
だから、その日もベッドに寝込む彼女に、当然のようにそう声をかけた。
―――だが、
「今日は、いい・・・」
彼女がそんな事を言ったのは、初めてのことだ。
だから最初は冗談だと思ったし、寝ぼけているのだとも思った。
「いいの?」
だから、私は一言、それだけ問い返す。
しばらく間があったあと、
「いい・・・」
元気なく聞こえた彼女の声が―――確固たる意思で、それを言っているのが分かって。
「そう。じゃあ、私行くから。新倉先輩にも言っておくね」
「うん・・・」
部屋をいつも通り出る。背中に誰かがいるのを感じながら・・・。
「藍原さんは?」
新倉先輩にも開口一番、それを聞かれた。
「今日は、いいそうです」
そう言うと、先輩も驚いた様子で。
「珍しい日もあるものね」
と、一言。
「・・・はい」
私が早朝練習に加わるようになってから、こんな事は一度としてなかった。
だから、こんな先輩の対応を見るのも初めてで。
「行きましょうか」
少し気まずい雰囲気だったから、先輩の方から言ってくれた。
私は軽く返事をして、走り出す。
(有紀・・・)
貴女が何を考えているのかは今の私には分からない。
だから、貴女が言ってくれるまで、私は待つね。
私たち2人の関係性って、ライバルと言っていいのかルームメイトと言っていいのか、それともただの同級生なのか。分かりづらいところがあるから、他の人じゃ分かってくれない。
私たちだけの関係だから、これでいいのかも分からない。
だけど、今まで貴女から何かを言ってくれたから。今はそれを待つことにする。
「水鳥さんは今のチームについて、どう思う?」
「え・・・」
新倉先輩にそんな事を言われたのは、ランニングから帰ってきた直後のこと。
「貴女に今の白桜はどう見える?」
「・・・」
これはどういう質問なのだろう。
何をどう返せば正解なのか、分からなかった。
新倉先輩の意図が分からない。
だから―――
「私は・・・このチームで1番になりたいです」
今の自分の最も強い気持ちを、そのまま曝け出す。
「全国のエース達と戦うには、まずチームで1番にならないとって・・・、そう思うから」
私が目指すのは・・・ナンバー1。
誰よりも上。誰よりも先。誰よりもの高み。
「だから新倉先輩よりも、久我部長よりも強くなりたい」
この人に直接こんな事言えるの・・・きっと、なかなか無いことだから。
「それが私の想いです」
この言葉をそのまま、彼女にぶつける。
「そっか―――」
燐先輩は小さくそう呟くと。
「私も、貴女に負けるつもりはない」
彼女も私に、そのままの気持ちをぶつけてくれた。
エースを目指す者同士。
きっと私の行く先には、この人の背中がある。
だからそんな新倉先輩が、直接こう言ってくれることが、私にとってはすごく嬉しかった。
"その言葉"は何よりも強くて―――
「蹴落とすつもりなら、容赦はしないよ」
凜と、していた。
◆
「全国大会出場チームが全チーム、決定しましたね」
予選最後の戦いとなっていた北海道・東北ブロックの予選が丁度今日、終わった。
「順当に強豪校が勝ち残ってきたか・・・」
監督がふむと口元に手を添えて、出場校のメンツを見る。
(確かに大きな番狂わせもなく、春の出場校を中心に名門強豪が残ってきたイメージ)
私の中にもそういう認識がある。
「8校だな」
そこで、彼女が強く、頷く。
「久我と同レベル、もしくはそれ以上のエースを持っている学校は、白桜を加えて8校」
視線を鋭く、手元に落として―――
「これらのエース達を倒さずして、上位進出は無い・・・。全国を進む以上、必ず倒さなくてはならない敵」
全国でも上位の実力を持つ者たち。
これらの学校を倒して、私たちは険しい全国大会の頂へと続く山道を登ることになる。
その『強敵たち』とは―――




