ここから、ここから、ここから
その試合は圧倒的だった。
黒中麻衣―――彼女がコートで表現するテニスは、相手を蹂躙するテニス。
一切の敵を退け、敵コートに立つプレイヤーの全てを否定しねじ伏せる・・・、"潰す"という表現がまさに近いのかもしれない。
完璧なまでの力、研ぎすまされた技術、一切ブレないプレー内容。
同い年の選手がここまでのプレーが出来るのか。
わたしは呆然と彼女の試合を見ていた。
―――だが、何故だろう
心臓の、1番奥・・・身体の芯が、熱くならないのは。
今まで、ここまでのすごいプレーや試合を見ていたら、自然と心の奥底から熱いものがこみ上げて、全身が震えていた。まりか部長も、燐先輩も、文香も、綾野さんも、龍崎さんも―――彼女たちのプレーを見た時、わたしはいつもそういう感覚になって、しばらくの間ドキドキと心臓の鼓動の高鳴りが止まらないくらい、自分でもどうしようもなくなっていたのに。
―――彼女のプレーには、感情が揺り動かされない
確かに、強い。
だけど・・・"それだけ"だ。
強いだけ。
ただ目の前の敵を倒すために、磨き上げられた技。
上手く表現が出来ない。
ただ強いというのはそれだけで大きなことだし、凄いことのはずなのに。
彼女を見ていても、ドキドキしない。
なんだろう・・・。この感覚。今までに無い感じだ。
(どうして?)
どうしてわたしはこんな事を思うの?
コート上に立つ彼女は、またふふっと口角を上げて。
目の前にひれ伏す、敵コートのプレイヤーを見下ろしていた。
◆
負けた・・・。
全く、手も足も出ないまま、されるがままに敗北。
敵コート上でこちらを見下す『奴』を見上げると、そいつはニンマリとあの笑顔を浮かべて、こちらをただ何を言うでもなく、じっとりと見つめていた。
瞬間―――
「てめぇー! 最初の1ゲーム、あれワザとだなあ!? 舐めやがって・・・馬鹿にしやがって!!」
あたしはあいつに向かって、座ったまま・・・見下されたまま、ブチ切れていた。
みっともない。
そんな事分かってる。
だけど、言わずにはいられなかった。叫ばずにはいられなかった。
(こんな屈辱・・・っ、こんな事があるか・・・!?)
自分のテニス人生の全てを否定された気分だった。
最初の1ゲームを取った後、何も出来ないまま連続して6ゲームを取られたのだ。
奴のプレーは圧倒的だった。とても勝てるようなものじゃないことが分かったのが精一杯。
こいつの実力は間違いなく全国レベル―――1年生のガキが、そのレベルに到達していることにも腹が立ったし、そいつに良いようにやられる自分にも腹が立った。
衆目に晒されて・・・、こんなたくさんの人たちの前で恥かかされて、あたしはどうしようもできなくなってしまっていたのだ。
「うふふ」
そいつは、また笑う。
「これでお姉さん、私のこと忘れられなくなったでしょ?」
頭の線が切れそうだった。
ここまで貶され―――
「今日から"その地獄"でもがくといいよ♪」
それを聞いた瞬間、全身の力がスッと抜けていった。
怒りも全て通り越して・・・、虚しくなったのだ。
「ぐ・・・!」
覚えてろ。
これで終わるかよ。
あたしはこれで終わらない。
絶対にお前にやり返してやる・・・。その時まで―――覚えてろ・・・!!
◆
「「ありがとうございました」」
ネットを挟んで、両コートで整列して、一礼。
頭を下げた選手たちの表情は、そこを境にして真っ二つに別れていた。
「終わってみれば3勝0敗で黒永の圧勝・・・」
「青稜相手に1試合も落とさないなんて、強すぎ!」
「明日の決勝、灰ヶ峰とどっちが勝つかなぁ?」
「私黒永ー!」
「あ、ずるい-」
試合が終わった後の試合会場は閑散としていた。
ガヤガヤと色々な声が飛び交う中、私はこの試合の内容を思い返していた。
(ダブルス2は黒永のペアの圧勝、ダブルス1もタイブレークに持ち込んだ接戦を黒永が取った。そしてシングルス3の圧勝・・・。都大会の時より、確実に強くなっている)
もし、今もう一度白桜が黒永と戦うことになったら、恐らく勝つのは相当厳しくなっていることだろう。
それくらい、チーム状況が違いすぎる。
関東大会を1回戦から準決勝まで、全ての試合で3勝0敗。まだ1試合も落としていない。
(まさに、圧倒的な強さ・・・!)
五十鈴。
「これが君の求めたチームなのか」
だとしたら、君はやっぱりとんでもない―――
「そうだよ」
後ろを振り向くと。
「都大会ぶりだね、まりちゃん」
五十鈴が―――黒永のレギュラー面々を引き連れた彼女が、人垣を分かってそこに立っていた。
対する私の後ろにも、
「まりかっ・・・」
私を心配する声を上げてくれた咲来をはじめとして、白桜の3年生・・・、その奥には試合を観戦していた部員達が居る。
これは・・・部長と敵エースの話し合いだ。私と五十鈴ではない。
「やあ五十鈴。やっぱり強いね、君たち」
「そりゃあそうだよ。私たちは全国で1番強くなきゃいけないんだ」
五十鈴はフッと、何を当たり前のことをと言わんばかりに私の言葉を笑う。
「全国大会には『あのチーム』が居る。私たちの覇道を遮る唯一の敵・・・、春の大会では後れを取ったんだ。この夏の全国で、『彼女たち』と決着を付ける」
それを語る五十鈴の表情には、少しだけ陰があって。
「そのために、私たちは最強にならなくちゃならない」
「でも、まずは明日の試合だろう?」
「勝つよ。私たちは相手が誰だろうと、どこだろうと負ける気は全くない・・・。それより、」
キッと、五十鈴の表情がより険しくなる。
「他人の心配より、まずは自分たちの心配をすべきだよ。まりちゃん」
「・・・!」
「曲がりなりにも一度私たちに勝ったんだ。これ以上みっともない姿を見せることは、私が許さないよ」
「分かってる・・・」
そんなこと、
「分かってるさ・・・!」
君に言われなくても。
「ふぅん。ならいいけど」
五十鈴はいつものように顎を上げ、こちらを見下すような視線で私の方を見ると。
「全国のてっぺんで、まりちゃんともう1回戦えること・・・楽しみにしてるよ。今度は怪我とか、そういうのなしでね」
「ああ・・・」
五十鈴たちも、"これ"を・・・この敗北という荒道を、超えてきたんだよな。
(このままじゃ、ダメだ)
今のままの白桜では、全国は勿論―――黒永ともう一度戦うことなど夢のまた夢。
乗り越えなきゃならない。
この苦境を、この苦しい状況を、乗り越えて。
全国で勝てるチームを、作らなきゃならない・・・!
(そのためには―――)
『まずは、私が』―――そう思った、その時。
「・・・まりか部長」
後ろから声をかけられる。
振り向くと、そこに居たのは。
「燐・・・?」
燐だ。
普段、練習や試合以外のところではあまり話さない彼女。その彼女が、私の後ろに・・・今は前に、立っていた。
「私、勝ちたいです」
彼女は、意を決したような視線を私に向け、語り出す。
その姿は、どこか―――
「私だけじゃない。このチームのみんなが、そう思ってます」
「燐」
「部長もそうですよね・・・?」
何故、彼女なのか。
咲来ではなく、智景や真緒でもなく。
『燐がそこに立っているのか』
(ああ、そうか)
このときの私には、少しだけ・・・分かった気がした。
「みんな、聞いて!」
だから、大きな声で私は伝える。
「私たちは今日、負けた! 完敗だ!!」
自分の今、思った事を。
「だけど、私たちにはまだ帰るべき戦場が残されている!」
形にする。
「全国だ! 全国という戦場で、今日の分・・・」
私の出来ることを。
「やり返してやろうじゃないか!!」
ここに―――残せるものを。
「「はい!!」」
部員達の声が、わあっと全身にかかるように返ってきた。
気持ちは同じ―――みんな、一緒なんだ。
全国の舞台でテニスがしたい。勝ちたい。その気持ちに、ブレがないことを・・・確認できた。
「私たちの実力はこんなもんじゃない。絶対にもっと上を、もっと先を目指せる。その先には全国大会の優勝だって見えてるはずだ!」
私たちは、敗者じゃない。
「もう1回、みんなで目指そう!」
―――挑戦者だ
◆
まりか部長の大きな声が聞こえる。
それに呼応する部員たちの声も。
―――だけど、どうしてだろう
今日は分からないことだらけだ。
わたしはこの言葉を、真正面から受け止められずにいた。
刺さらなかった・・・と言い換えることも出来る。
今のわたしにある感情は、悔しさと、やるせなさと、どこに向けたらいいのか分からない怒り―――"黒い気持ち"ばかりだったのだ。




