VS 灰ヶ峰 シングルス2 水鳥文香 対 香椎双葉 1 "互いに"
試合前の、挨拶握手の時。
「よろしくお願いします」
白桜の水鳥選手が頭を下げると、一緒になって彼女の透き通るような銀色をした髪が揺れる。
わー、すごく綺麗な子・・・。
かわいい、かわいすぎる。
「よ、よりぉしゅく、お願い・・・しましゅ」
握手の時の挨拶も、噛み噛みで自分でも何言ってるのかわからなくなってしまうくらい。
(こんなかわいい子と、握手っ)
この手、洗えないかも・・・。
(いや、ダメだダメだ)
何考えてるんだ・・・でも。
ドキドキしちゃう。
肌を直接触れ合っただけで、心臓がバクバク言って跳ね上がる。
試合前なのに、こんなにドキドキしてたら疲れちゃうよ。
(わた、わ、私が白桜行ってたら、あんな綺麗な子と、1日ずっと一緒に・・・)
緊張でおかしくなるぅっ。
目が回りそうだった。
ただでさえ美少女を目の前にして、いっぱいいっぱいだっていうのに。変な妄想をしてしまった。
「香椎!」
そこで、監督から呼び出しを食らう。
私は我に返り、監督の下へぴゅーっと飛んでいった。
「お前、1回冷静になれ。少しアテられ過ぎだ」
「私はいつもこぅ・・・ですよ」
「しかしいくらなんでも今日は酷い。深呼吸だ、吸って!」
息を大きく吸い、
「はぁぁぁ~」
吐く。
「落ち着けたか?」
監督の言葉に。
「はい・・・」
静かなトーンで答える。
「いいな。あまり敵選手の顔を見るな。お前はああいう綺麗な子を前にするとすぐ逆上せるんだから」
「はい」
ようやく、冷静になってきた。
そう思って、再び顔を上げようとすると。
「若葉あ~。がんばえ~。麻里亜ちゃんはいつもかわいい若葉の味方だぞ☆」
「ふぇっ!?」
突然のコート外から聞こえた麻里亜部長の声に、再び心臓がドキンと高鳴る。
「おい麻里亜! こんな時に後輩で遊ぶな!!」
「えへへ~、ごめーん祥子ちゃん」
な、なんだ。
からかわれただけか・・・・。
ふぅ、と肩から力が抜けていく。
そうだよね。私なんか、あの子からしたら、なんでもない存在。雑草みたいなものなんだ。
あはは、ちょっと浮かれちゃってたかな。
(女の子らしくないんだ、私なんて・・・)
この髪型も、同級生のクラスメイトの女子にたった1回、『似合う』って言われただけ。
たったそれだけの理由で、ずっと肩口で切りそろえたショートカット。
これのまんまだ。他の髪型にしようとは、考えたことがない。
―――その1回が、残っちゃうんだよ
美少女にかけられる1回は、千回にも、一万回にも匹敵する。
(だけど)
それとは関係なく、私にこの髪型はよく合ってると思う。
自分でも気に入っている髪型だ。
肩の先にある髪先を、指でちりちりと摘まんで弄び、指を放して。
「いってきます」
切り替える―――試合モードへ。
自分の中でも頭のスイッチがバチンと変わったのが分かった。
監督に軽く頭を下げ、コートへと歩いていく。
(2勝1敗、灰ヶ峰のリード。だからサービス権は敵選手から」
でも、水鳥選手はレシーブが強力な選手だと聞いている。
だから、向こうからサーブが始まるというのは、考えようによっては良いことなのかもしれない。
(水鳥選手のサーブは、)
如何ほどのものか。
「0-0」
見極めさせてもらいます・・・!
水鳥選手がトスを上げ、高い打点でそれを叩く。
―――なるほど、スピードも威力もレベルが高い。
関東大会で勝ち上がってきたこともわかる、『関東レベル』のサーブだ。
だけど。
(手も足も出ないようなサーブじゃない!)
しっかり見定めて、インパクト。
レシーブが敵コートへと戻っていく。
向こうはベースラインから少し位置を上げて、コートの中間あたりでこちらにボールを返してくる。
(さすがはオールラウンダー!)
どの戦い方でも出来る、器用な選手だけはある。
こちらの出方次第で、戦法を変えてくるつもりだ。
(様子見は終わり)
ここらで私の戦い方を―――
(お披露目する!)
右手一本だったラケットに、左手を添え。
「ッ!!」
両手フォアハンドで、ボールを叩きつけるようにインパクト。
その強い打球はライン際、ギリギリ外側に切れることなく、内側に潜り込んで。
「0-15」
まずは、1点。
ポイントを手繰り寄せることに成功した。
◆
「出た」
あれが噂に聞く―――
「香椎双葉選手の両手フォアハンドショット」
昨日のミーティングでも、要注意警戒と監督やコーチに念を押されたショットだ。
「智景、気になるの?」
「うん・・・」
咲来の言葉に、小さく頷く。
試合が終わったばかりの彼女が休憩もそこそこに、立ち上がって試合観戦をしているのは、毎度毎度頭が下がる。
「通常、フォアハンドは片手で行う選手が多いのに対し、香椎選手の場合は両手で振りぬくことでラケットのヘッドを安定させ、『打球にパワーを乗せると同時にコントロールの安定化も図ってる』・・・って事だったけど」
「ここから見ている限り、確かにパワーは籠ってると思う。ってことは、コート内で感じるボールの威力はもっと強いだろうね・・・」
うん。なんだろう。
今は、水鳥さんの試合に集中したい・・・。
そう思うのに、考えてしまうのは"自分が試合を外れたこと"。
今日の試合、出られなかったのは本当に悔しい。
確かに前の試合以降、杏とはちょっと疎遠になっちゃったというか、なかなか話もうまくできない状況にはある。
監督コーチにはその辺を見抜かれたのだろう。
だけど、もし。
咲来と河内さんが同じような状況だったら―――果たして、スタメンから外されただろうか?
(きっと、外されなかった)
あの2人なら試合の間に修正出来る、と信頼してもらえていただろう。
それは、なぜか。
山雲・河内ペアが、白桜ダブルスの『エース』だからだ。
エースは並大抵のことじゃ動かされない。
私だって―――そんなことを考えて、少し試合から思考を外していた、その時。
「おお」
「サービスエース」
試合会場が、ざわりとどよめく。
「水鳥さん・・・!」
コート内の彼女は、いつものように涼し気な表情で返ってきたボールを受け取っているところだった。
サービスエースなんて、1つ奪ったところで別に何とも思っていない―――自分の目指すところはそこではない。
彼女の淡々とした表情からは、そんな意思が感じられた。
(サービスゲーム、簡単には落とせない)
きっと彼女も胸の奥で、そう強く思っていることだろう。
左手でトスを上げ、インパクト。
その当たり前の一連の流れに、美しさすら感じる。
水鳥さんの銀色の髪が揺れ、広がり、そして動く。そのプレー1つ1つに連動して、あるいは意思を持っているかのように。
(ラリー戦に持ち込まれた)
サーブで決めきれないと、こうなる。
そしてこの展開になれば―――
「両手フォアハンドショット!」
香椎選手の"押し"に、押し負けてしまう。
水鳥さんの放ったショットは、ふらふらと力なくコート外へ切れていくのだ。
「ゲーム、香椎双葉。1-0」
ああ、と白桜側の応援団から残念がる声が漏れた。
「まだまだこれからだよ、水鳥さん!」
「鬼レシーブ見せてー」
「姐さん!いっちょ次のゲーム、ブレイクいきましょう!!」
だがすぐに切り替え、彼女に激励の声が飛んでくる。
「みんな、気合入ってるね」
「藍原さんの試合の直後だからかな? 負けはしたけれど、場を暖める力はさすがだね」
「それもあるけど、水鳥さんの調子の良さに、みんな期待してるんじゃないかな・・・」
この1ゲームを取られるまで、彼女は関東大会で1ゲームも落としていなかった。
逆にここであっさり1ゲーム取られたことで、水鳥さんとしては気楽にやれるかもしれない。
(この関東大会、常に試合に出続けて、チームを引っ張ってきた)
1年生が、これは凄いことだ。
勿論、向こうの香椎選手もそれは同じなんだろうけど・・・白桜の仲間として、誇りに思う。
「いいよ水鳥さん。まずは1ゲーム取ろう!」
だから私も、大きな声を出して彼女に声援を送る。
声を出すのは苦手だけれど・・・、今はそんなこと、言ってる場合じゃない。
(・・・でも、ちょっと気になるな)
コート上の彼女を見ていて、思うこと。
(フルスロットルの全力テニスって感じだけど、これを続けてて"持つ"のかな・・・?)
体力が有り余ってる1ゲーム目のうちはいい。
だけど、後半・・・もっと言えば終盤、このテニスをし続けていて、体力が持続するのか・・・ちょっと不安。
―――その瞬間、
彼女の打球が、香椎選手のはるか向こうを通過していく。
「おおぉ、リターンエース!」
水鳥さん自慢のレシーブが、唸りを上げたのだ。
「さすがなのー!」
「いけー、水鳥さん!!」
「この調子で1ゲーム取っちゃいましょう」
それでも水鳥さんは、何事もなかったようにコート上に佇む。
そして。
目を瞑り、かと思うとその左手で銀の髪を梳いて見せた。
銀色のそれが、糸を引くようにキラキラと舞い、粒子をまとっているように光ったのだ。
(出た!)
彼女の調子のバロメーター・・・好調のしるし!




