VS 灰ヶ峰 シングルス3 龍崎麻里亜 3 "背中を押して"
声が出なかった。
最初は、試合を見ることすら憚られたのだ。
それでも、自分にできることは応援だと思って、声を出そうとした。
―――しかし、あの人を目にすると
喉まで出ていた声援が、お腹の中へ引っ込んで戻っていく。
あとは口から出すだけなのに、その一歩が踏み出せない。
(麻里亜さん・・・っ)
久しぶりに生で見る彼女は、あの頃と何も変わっていなかった。
ちんまりした身体。そして愛くるしすぎるくらい愛くるしいその容姿。
灰色の髪はまっすぐさらさらで、その振る舞いは堂々として美しい。
あの時のままだった。
―――ウチが好きなった、あの時の
試合の立ち上がりは予想外のものだった。
姉御が麻里亜さんに対し、かなり食い下がったテニスをして、なかなか1ゲーム目が終わらない。
それでも、最後は麻里亜さんの粘り勝ち。貫禄ともいえる形で1ゲーム目を奪う。
(何か言わなきゃ)
姉御はこの1ゲーム目を取れなくて落ち込んでいるはずだ。
こういう時こそ声援を・・・。そう、思ったのに。
「・・・っ」
まただ。
また、声が出てこない。
声を出す勇気がないのだ。
(麻里亜さんの、前・・・!)
変わった自分を彼女に見せたいんじゃなかったのか。
なのにどうして、こんなにも緊張するんだろう。
こんなにも全身が強張って、何もできなくなってしまうんだろう。
ウチがもたついている間にも、試合は進んでいく。
2ゲーム目以降は麻里亜さんの一方的ともいえる試合展開だ。
姉御は何とか食い下がるものの、打球の速度や質がそもそも違う―――姉御の打球を、ベースライン上から鋭いショットの連続で打ち返し、姉御のラケットの向こう側をボールが通過していくのだ。
そんなことが、しばらく続いた。
まるでその実力を誇示するかのように、麻里亜さんは姉御をねじ伏せていった。
そして―――
「ゲーム、龍崎麻里亜。5-0」
あまりにも一方的な展開で、5ゲーム目を獲る麻里亜さん。
(姉御・・・!)
何やってんスか。
いや、それはウチにも言えることだ。
何をやっているんだ。麻里亜さんが怖くて、声すら出せなくて。
でも、その麻里亜さんと姉御はコートの中で、1対1で戦っているんだぞ。
対峙して、全力の戦いをやって―――そして今、その姉御が何もできないまま負けようとしている。今まで、彼女のこんな姿は見たことがなかった。
あの人が、このまま一方的に負けるわけがない・・・!
ウチが少しでもそう思っているのなら。
(声を出すんだ・・・!)
勇気を振り絞れ。
麻里亜さんが、すぐそこにいるからとか。
あの時のことを思い出してゾクッとするだとか。
そんなことは今、関係ない。
ウチは、自分にできることを―――
それこそが、ベストを尽くすってことじゃないのか。
◆
「・・・厳しいな」
ベンチに帰り、水分補給を済ませた後。
監督は苦々しく、そう切り出した。
万策尽きた―――そうも思えるような、辛い状況。
それもわかっているのだろう。彼女のつぶやきにはどうすることもできない現状を受け入れるしかないというこの状態を、慮っているように思えた。
(違う)
こんな顔、させたかったわけじゃない。
もっと、ちゃんと期待に応えたかった。
任せてよかったって、前の試合みたいに―――言ってほしかった。
だって、わたしは白桜女子テニス部の代表としてここに立っているんだ。
勝たなきゃ、意味がない。
勝たなきゃ、ベンチにも入れなかった先輩たちに、勿論同級生たちに、顔向けができない。
わたしは負けるために、この試合に出たわけじゃない。
「・・・監督」
だから。
「わたし、勝ちたいです」
自分の気持ちを、まっすぐに。
「勝つ方法を、教えてください・・・!」
この人に、言ってみることにした。
「こんな情けない試合やっておいて、何を今さらって思われるかもしれません。でも、わたし・・・勝ちたいんです。諦めたくない」
正直な気持ちを、そのまま吐き出す。
「どうやったら龍崎選手に、この試合に、勝てますか・・・!?」
監督は、最初わたしの言葉に目を見開いていたけれど。
何かを考えるように、すっと目を瞑り。
そして、開く。
「可能性は、ある」
力強く―――
「だが可能性は限りなく低い。それでも」
「やります!」
だから、わたしも精いっぱいの気持ちで、応える。
「やらせてくださいっ!」
どれだけ可能性が低くても、無理そうに見えても、かまわない。
そこに少しでも勝利につながる"何か"があるのなら―――それを、信じたい。
「龍崎麻里亜は本来、ネットプレイヤー・・・。前に出て、ネット付近でのプレーを中心に組み立てるタイプの選手だ」
その情報は、事前に聞いている。
でも。
「だがこの試合、龍崎は前陣に上がっていない。ベースライン上に留まり、長いストロークのショットを中心に試合を組み立てている。それは"何故"か」
そうなのだ。
わたしはこの試合、あの人がネット際に出てプレーをしている様子を、ほとんど見ていない。
「1つ、向こうが本来の戦い方ではないプレーを試している。それほどナメられているという、それだけの問題。この場合はほとんどこの試合を立て直すのは不可能だが・・・」
「・・・、何か、『理由』があるんですか!?」
気づくと、自分から監督に食い下がっていた。
「そう、もう1つ。敵に何か、ネット際に出たくない事情がある」
そうか、それなら―――
「この理由なら、ここから龍崎を崩すことも可能だろう」
監督の口元が、笑っている。
「なぜなら、お前には『必殺技』がある!」
それを聞いて、ピンと来た。
(そうか、『あれ』なら・・・!)
もしかしたら、龍崎さんを追い詰める要因になるかもしれない、と。
その瞬間。
「いぃっけー! 姉御おー!!」
一際大きな、魂籠った声援が―――白桜側の応援団から、聞こえてきた。
「5ゲームがなんスか! これまで乗り越えてきたことに比べれば、どうってことないッスよ!」
ああ、わかるよ。
聞こえる。貴女の声が。
「まずは1ポイント!! 取り返していきましょう!」
(万里・・・っ!)
ありがとう。
ラケットを握るその左手に、自然と力が入った。
踏み出す両足に、胸をたたく右手に、勇気と気合が巡ってきて、それが指先の先まで伝っていく。
いつも貴女がそうやって1番近くで応援してくれたから、わたしはこうして心強く、コートに向かっていける。
背中を押してくれる手が、暖かかったから―――
◆
「何か作戦を練ってたみたいだね」
コートに帰ると、龍崎さんがとんとん・・・、とラケットを担ぐようにして首元に当てながら、ふふんと余裕の表情を浮かべていた。
「いいよ。どんな作戦だろうと、私を倒せるんならやってみるといい」
ビシッ。
ラケットをこちらに向けながら、彼女はニヤリと笑う。
「やれるもんならねぇ」
その言動は冷静で、自分が負けることなど全く考えていないように見えた。
・・・わたしが、1ゲームも取れていないから。
わたしが、いいようにやられているから、こういう風に見られているんだと思う。
(―――まずは、1ポイント)
そこを取ることから、始めよう。
だが、タイミング悪く相手のサービスゲーム。
(龍崎選手は、サーブに絶対の自信を持っている)
それを崩すのは、並大抵のことじゃない。
だけど、いや、それは関係なく。
「やるんだ!」
ここでやらなきゃ、何もできないまま試合を落とすことになる。
それだけは絶対にイヤだ!
龍崎さんのサーブが、飛んでくる。
それに合わせるようにレシーブ―――
「くっ!」
少し浮いた。
それでも、何とかリターンできたのだ。
龍崎さんは余裕を持って打球に回り込み、そこをインパクト。
鋭い打球が正面に飛んでくる。
(でも、コースは甘い!)
仕掛けるなら、こういう時に攻勢に出るしかない。
監督の言葉が脳裏を過ぎる。
―――まずは龍崎をネット際に出させろ
―――そのために、距離の短いショットを打て
(短いショットをッ!)
だけど、そんなこと言われても、それが簡単に出きたら誰も苦労しない。
力加減を間違えたら、ネットを超えられない可能性だってある。
そこを間違えず、絶妙な威力で前に出させるショットを打たなきゃ、わたしに勝機はない。
「ッ!」
なるべく威力を抑えられるよう、バックハンドで。
切り返すように、威力の弱いショットをネット際に向けて打つ。
「なにっ?」
その、意外にも上手くいったショットに、龍崎さんも驚いたようだった。
すぐに前へ上がってきて、こちらに丁寧に返してくる―――
(ここだ!)
ここしかない。
距離は十分とれている。
そして―――
身体を沈み込ませ、膝を折る。
『ドライブボール』
この必殺のショットを打つには、ここしかない!
「いけえッ!!」
そして下から上へ、浮き上がるように。
ボールを上へ打ち上げるような角度で、ショットを放つ。
「!!」
ロブのように、弧を描いた打球が―――龍崎さんが思い切りジャンプして手を伸ばすが、届かない―――威力を保ったまま後方まで飛んでいき、ライン際で。
鋭く落ちる!
「15-0」
その打球は吸い込まれるようにラインの内側に入る。
まるでボールが意思を持ったように沈み込んだのだ。
『おおおおお!』
瞬間。
この試合で初めて、白桜側の応援団が大きく沸き立った―――




