先輩から後輩へ
「ふーむ」
いつものようにひたすら素振りを続けていた時のこと。
このみ先輩は腕組みをして、何かを考えている様子。
「ちょっといいですか」
「は、はい」
一言断りを入れると、わたしのラケットを持っている左手に先輩自身の左手を、添えるように重ねる。
「まだ少し手打ちになってる。肩と腰の回転を利用して、ボールは最後の最後で・・・打つ」
先輩はそう言いながら、わたしの腕を掴んだ自分の腕で動かして説明する。
それは良いんだけど・・・ちょっと身体が密着過ぎやしませんかね!?
(先輩は身体の凹凸が無いからあんまり気にならないけど、これがないすばでぃの人だったら・・・)
ダメだ、理性を保っていられる自信が無い。
「聞いてます?」
はっ!
「き、聞いてます聞いてます!」
ダメだダメだ。えっちなこと考えてないで集中しないと!
「しっかりしたフォームを固めれば色々な道も見えてきます。お前みたいな変則フォームの選手に会ったのは初めてだから、一概には言えませんが・・・」
先輩はわたしの肩に手を置きながら。
「下手に技を覚えてない分、これからなんでも吸収できる。だから今はその変則フォームを完成させることに全力を注ぎましょう」
その時の先輩の顔はいつになく自信に満ち溢れていた。
出会った時の、半分死んだような目をしていた先輩からは想像もできないくらいにキラキラ光る瞳。
(先輩が迷わずに道を指示してくれるから・・・わたしは迷わずについていくことができるんだ)
最初は疑っていたけれど、やっぱりこの人は白桜で3年間プレーしてきただけの選手だ。
だから、今はフォームを固めること、安定させること・・・それに集中しよう。
「フォーム固めが終わったら、1つだけお前に覚えてもらいたい事があるんです」
「覚えてもらいたいこと?」
「そう。時間が無いから付け焼刃の技術になると思いますが・・・絶対に役に立つ技になると思いますよ」
おお、それってまさか・・・!?
「必殺技ってヤツですか!?」
ナントカサーブみたいな!
そんな感じでわたしが息を巻いていると。
「お前は漫画の読み過ぎですよ」
と、先輩に鼻で笑われてしまった。
◆
ある日の練習終わりのこと。
陽がどっぷりと沈み、ナイター設備の照明がグラウンドを照らす中、1,2年生で練習器具やボールの片づけをしていた。
そんな時。
「水鳥さん、これを倉庫まで運びたいのだけれど付き合ってもらえるかしら?」
話しかけてきたのはボールが山盛りに入った箱を持つ新倉先輩。
先輩の足元には同じ大きさの箱がもう1つ、置かれていた。
「分かりました」
「ありがとう、助かるわ」
よいしょ、と箱を持ち上げ、それを部室の倉庫へと片付ける。
「練習、辛くない?」
倉庫に箱を置くと、先輩はそう切り出す。
「あ、いいえ。確かに大変ですけど、苦になるレベルでは」
「なら良いのだけれど、辛い時は辛いって遠慮なく言ってね。1軍に1年生は貴女だけでしょう? 先輩相手に萎縮して、自分の言いたいことが言えないのは良くないわ」
先輩はそう言って少し表情を崩す。
有紀がこの人の事を天使、と呼んでいたらしいことを不意に思い出した。
確かに練習の時の厳しい表情からは考えられない顔。思わず見惚れてしまう。
"天使"―――。その意味が・・・少しだけ分かった。
「ご心配ありがとうございます。でも、今は本当に大丈夫ですので」
私はぺこっと頭を下げる。
「・・・水鳥さんは、私に似ているわ」
倉庫から出て、先輩は戸締りをしながら言う。
「他の1年生と深く交流するより前に1軍へ上がって、先輩と接する機会の方が多くなる。それは仕方がないことだけれど、いきなり難しいわよね。既に信頼関係が出来上がってる中に入るのって」
「先輩は入部初日で1軍昇格になったと聞きました」
「ふふ。小椋コーチから聞いたんでしょう」
「どうしてわかったんですか?」
「そんな事をしゃべるのはあの人くらいだから」
鍵は寮で寮母さんに渡すのが決まりになっている。
なので私は寮までの道すがら、先輩と2人きりになっていた。
「今の水鳥さんと同じ。すごい先輩たちにどうやって着いていくか、毎日試行錯誤していたわ。貴女の気持ちは多少なりとも分かっているつもり。だからね」
先輩はそこで一拍を置くと。
「頼りたいときはいつでも私のことを頼ってね」
何でもないような顔をして言う。
「私は新倉先輩の事を尊敬しています。プレーだけではなく、コートの外に出ても先輩は2年生をまとめ上げているようにお見受けします。今は、1年生の私にだって」
まさに完璧超人。チームの主軸となる格を持った人。
なんでもこなして、無償の愛を振りまく姿はまさに天使だ。
「そんな事ないわ。私は私の出来ることを精一杯やっているだけ」
「・・・誰にでも出来ることじゃありません」
「そうかもしれないわね。でも、そうでありたいと思い続けることで、自分の描く理想に近づくことは出来ると思うわ」
そこまで言ったところで、先輩がぴたりと歩みを止める。
不思議に思って、私も歩みを止めて先輩の方を振り返った。
「先輩・・・?」
「監督は貴女をシングルス3の最有力候補として夏の大会を戦おうと考えている」
「!」
いきなりの言葉に、身体中に静電気のようなものが走った感覚がする。
「私の予想だけれど、貴女は去年、私が経験したことと同じような事を経験すると思うわ」
「・・・」
きっとこの時、口から何も出てこなかったのは驚きのせいではない。
私はこの時、プレッシャーで押し潰されそうになっていたのだ。
「そうなった時、何か助言や、他にもしてあげられることがきっとある。だから、私の事を頼って欲しい」
だから。
先輩のこの申し出は、何よりも頼もしいものだった。
「・・・こんな事を考えるのは、傲慢かしら」
「そんな事ないですっ。私も先輩に聞きたいことや教わりたいことがいっぱいあります!」
この生きた教科書みたいな人に指導してもらえるなら。
こんなに嬉しいことは無い。
「じゃあ、これからもっと仲良くなりましょう」
「はいっ!」
「そんな肩ひじ張らないで。楽に、ね」
背筋を伸ばして返事をした私に対して、先輩が笑う。
その笑顔はまさに天使―――
少し、顔が熱くなるのを。私は止められないでいた。




