この時のために
大会8日目、準決勝戦。
この神奈川県内テニス場コートで、その2試合は行われようとしていた。
まずはAブロックとBブロックを制した、白桜と灰ヶ峰の試合。そして午後からはCブロックとDブロックを勝ち上がってきた、黒永と青稜の試合が予定されている。
「遂にここまで来ましたね」
「ええ、関東ベスト4・・・」
「ここまで来たら、全国大会と比べても遜色無いレベルのプレイヤーばかりですよ」
激戦の関東大会も、終わりが見えてきた。
ここまで残ったチームは既に全国大会の出場権をその手にしている。
これから行われるのはそういう学校同士の試合―――取材する私たちにも、ピリピリとした緊張感が伝わってくるほど。
シャッターを押す指にも汗が滲んで、震えてくる。
「あ、ほら。互いのスタメンが発表されたみたいよ」
「マジッスか!?」
戦術レベルの、最後のやり取り。
このスタメン発表で、ほとんど最後の"出来ること"は終わる。
・・・逆に言えば、何かを仕掛けてくるにはこのタイミングしかない。
「これは・・・!」
その表を見た時、私は正直驚いた。
想定してないことが起きたと言って良い。
「仕掛けてきた・・・!!」
そう。
彼女は"仕掛けてきた"のだ。
この試合、簡単には終わりそうにない。終わりようがない。
―――激戦の火蓋は、こうして切って落とされた
◆
ダブルス2、コート上。
「が、頑張って・・・! 貴女たちにならできるっ」
私が声を思い切り張って、そう口に出すと。
これから試合場へ行こうと言う2人が、顔を見合わせ笑い合う。
「小椋コーチ」
「緊張しすぎ、です」
「へ、へえ!? そうですか!?」
どうやら、私の緊張が前に出すぎてしまっていたようだった。
いけないいけない、こんなんじゃ。
この子たちは今日、初めてダブルスペアを組むんだ。
本当なら私なんかと比べものにならないくらい、緊張しているはずなのに・・・。
「私たちなら大丈夫ですから」
「コーチも深呼吸、ほら」
「すー、はー」
言われたようにすると、2人はくすくすと笑いながら。
「緊張、ほぐれましたよ」
「ありがとうございます、コーチ」
軽やかなステップで、コート上へ向かっていく。
(これでよかった・・・のかな)
まあ、結論はこれから出る。
彼女たちが相対するは、灰ヶ峰のダブルス2ペア―――
(松田・川崎ペア!)
◆
「今日の試合はダブルス2、シングルス3、2の"計3試合"を獲って灰ヶ峰が勝つ作戦だ」
監督の言葉に、私は思わず何も言えなくなった。
「斎藤、泉」
「「はい!」」
あいつと、声が重なる。
「お前たちに任せるのはダブルス1・・・今日の作戦上では重要ではないポジションだ。相手は全国レベルのダブルスペア。胸を借りるつもりで、自分のプレーをしてこい」
監督はいつも通り、感情の起伏が少ない、淡々としたしゃべり方で作戦を伝える。
・・・そうは、言われたけれど。
「アンタ、今日の試合・・・負ける気?」
泉に、問いただす。
「バカ言わないで。誰が負けるもんか。麻里亜先輩の前で・・・」
「そうだよね」
うん。
やっぱり私、間違ってなかった。
「私の足、引っ張らないようにせいぜい頑張りなさいよ」
「はあ? アンタこそ、あたしの邪魔しないでくれる? いっつも、アンタのせいで立ち上がり悪いんだから」
「それ言ったら、泉のせいで中盤ダレるんでしょ? 集中力落ちてきてさ」
ぐるる・・・。
お互いに相手の方を見て、ラケットを持っていない左手で左のほっぺたを引っ張り合う。
(こいつ、昔はこんな話わからない奴じゃなかったのに!)
どうしてこうなった。
小学生の時は息もぴったりで、相手が何考えてるのかもわかってたのに・・・。
今はこいつのこと、何も分からない。分かりたくもないし!
「あらら、元気な対戦相手だ」
「先輩。これは元気じゃなくて仲たがいしてるだけですよ」
敵ペアがネット際までやってきて、乾いた笑みを浮かべている。
(こいつらが・・・!)
(白桜のダブルス1!)
奇跡的に、泉が何を考えているのか、分かった。
あの目は敵を見つけた時の目だ。
そして、その気持ちだけは私も同じ―――こいつらを倒さなきゃ、私たちは認めて貰えない。
(監督にも、麻里亜先輩にも・・・!)
わざわざ、負けてもいいなんて場所に配置されたんだ。
だったら、監督の思惑を超えて、あいつらを倒してやる。勝って、みんなを驚かせてやる。
―――私たちには、その力が・・・ある!
◆
わたしは、ただただ驚いていた。
事前のミーティング、そして頭の中で反復したのも香椎選手、児玉選手との試合。
シングルス3とはそういう場所だ。
その名の通りチームで3番目にシングルスの能力が高い選手が配置される。
―――そう、
「へえ、君が白桜のシングルス3か」
作戦で、意図してここに"配置された"場合を除いて。
「面白い。君とは一度、実際にぶつかってみたかったんだ」
私の前に立つ選手は。
身長140cm未満、このみ先輩より小さく。
「私曰く、君からは同じ匂いがするんだよね」
まりか部長と同じだけの力量を持つ、関東『三強』の一人―――龍崎麻里亜選手。
頭の後ろで大きく二つにまとめたその灰色の髪が、小さな頭に連動するように揺れる。
ぴょこぴょこと動かすその頭が、とても愛らしく見えた。
(万里の言ってた通りだ。なんか凄く・・・"雰囲気"がある)
テニスプレイヤーとしてだけじゃない。
"女性"として―――その小さく子供みたいな体型とは反して、色気にも似た、情欲をかき立てる何かを感じる。わたしの頭の奥がじんじんと鳴って、その反応を示している。
(これが、『幼帝』・・・!!)
こちらを威圧する、そのオーラじみた何かが、今まで戦ってきた選手の比ではなかった。
この感覚が、一流プレイヤーが身に纏っている何かをわたしの身体が本能的に感じ取っているのなら、きっとそれは間違っていないのだろう。
(初めて戦う・・・全国レベルのプレイヤー―――『敵』!)
これから、この人とテニスをするんだ。
この人を倒すために。この人に勝つために。
わたしなんかが、1年生の、まだシングルスを始めて数試合の、わたしなんかが手合わせするには全然足りない相手かもしれない。
だけど、この場に居る以上は・・・この人を倒さなきゃ。
この人を薙ぎ倒して、次のランクに行かなきゃ。
今、わたしに求められているのはそういうことだ。
「負け知らずでここまで勝ち上がってきたルーキー。でもね、当然、シングルスで試合に出るからには想定しなきゃならない――」
龍崎選手はラケットをコートに付け、そのラケットの持ち手先端に手のひらを重ねて置く。
まるで突き刺した剣の上に、手を添えるように。
「――敵エースと邂逅する可能性を」
「・・・!」
「そして、今・・・そのときは来た」
息を呑んだ。
彼女の言葉に。
「"はじめて"が私で良かったね、1年生」
その、こちらを飲み込もうとする"何か"に―――
「見せてあげよう。『全国』を・・・君がこれから追いかけることになる、その"もの"の高さと大きさを」
言葉が出なかった。
わたしはただ、それを聞いているだけ。
「ちょっとばかり、痛くて怖いかもだけど♪」
ふふ、と不敵に笑う、龍崎麻里亜―――
(―――、来るッ!!)
この人は、全力で。
わたしをねじ伏せに・・・目の前にノコノコと出てきた、"確実に倒せる相手"を、その力で組み伏せに来るつもりだ。
(覚悟を決めろ)
もう逃げ場も隠れる場所も無い。
全力で組み伏せにくるのなら、それに抵抗するまでだ。
どこまで出来るか分からないけれど・・・。
(今、自分にある"全て"を使って、わたしは勝つ!)
『関東三強』『全国区』『敵エース』
勝てない理由は山ほどある。
だけど、わたしは勝たなきゃならないんだ。そのためにここに立っているんだから。
全国で勝つために―――わたしは田舎を飛び出して、白桜に入学した。
そうだ。今日という日の為に、ここまでやってきたんだ。
他校のエースと戦って、そして勝つ。
この時のために!




