傍観者
たった今、試合が終わった。
「ウォンバイ、春前紫雨。7-5」
結局、燐ちゃんの追い上げむなしく、紫雨ちゃんの勝利でこの試合は終わりを告げた。
「勝てなかったか・・・」
ふむ、と下唇を噛む。
勿論、私としてはどちらかに肩入れしているわけではない。
燐ちゃんも紫雨ちゃんも綺麗系の美しいJCだし、両方がお姉ちゃん属性持ってるっていうのもポイントが高い。
(私の趣味とはズレるけどね)
どっちかっていうと妹系の方が・・・おっと、話が大きく逸れ始めた。
さっきの"勝てなかったか"というのは、私から見て試合内容が互角のものだったからだ。
特に中盤以降、時には燐ちゃんが押しているという場面を見ることも多くなった。
試合の勝敗を分けたのは序盤にどれだけゲームカウントを稼いでいたかの差であって、両者の間に大きな力量や実力の差があったとは思えなかったのだ。
「燐ちゃんの不調も、出口が見え始めたんですかねぇ・・・」
いつの間にか隣に居た、上司に話しかけるようにつぶやく。
「そうね。今日の試合、結果はともかく、良い内容の試合だったわ。いいようにやられることしか出来なかった1回戦とは雲泥の差。何より新倉選手の基本戦術である氷壁を使えていたし、調子の悪さみたいなものは感じられなかった」
だけど、と上司は続ける。
「それでも勝てなかった」
これは大きい、と。
「それ自分も思いました。これで勝てないのかーって」
「相手の春前紫雨選手は間違いなく全国区レベルのプレイヤー。あの超高速サーブはきっと、全国の大舞台でも通用するもの・・・でもね、逆に言えば全国大会に行けばあのレベルのプレイヤーに勝てなきゃ、チームは勝ち進めないの」
「そんでもって、篠岡さんは燐ちゃんに"そのレベルのプレイヤー"に勝つことを求めていたでしょうね」
燐ちゃんが居る立場というのは、そういうものを求められる立場だ。
(全国でも屈指のプレイヤー、久我まりかの前を任されるっていうのは、そういうこと・・・)
全国レベルのプレイヤーに勝ってこそ、燐ちゃんは初めて認められる。
今までそういう育てられ方をし来てたんだろうし、チームでの自分の立場も分かっている子だ。
だからこそ―――
「この試合では結果が欲しかった」
それは監督、選手。両方の立場から同じ意見だったろう。
そして事実として、勝てなかった。
「白桜はいよいよ追い詰められましたね。まりかちゃんを温存した事が、ダイレクトに勝敗へ直結する場面まで・・・」
「ええ。1回戦から連続してシングルス1にまで試合がまわってしまった」
上司は、どこか寂しそうに上を見上げると。
「白桜としては、勝っても負けても苦しいチーム運営が続くことになりそうね・・・」
苦々しく、こぼす。
ずっと取材してきたチームだから、分かる。
今の白桜は、都大会を制した時とは別のチームになってしまったかのようだということが。
◆
「文香・・・」
胸の前に持ってきた手に、力を込める。
心配じゃないと言えば、嘘になる。
全国大会出場のかかった試合―――この試合に勝てば、全国進出が決まる、その戦いが回ってきた。シングルス1にまで・・・。
監督は久我部長の負担を考えてあえて温存の道を選んだ。しかし、代わりにあそこに立っている文香は今、一体どういう心境なんだろう。
さっき、コートの中に入る前。
『行ってきます』
文香はしっかりした口調で、先輩達にそう言って金網フェンスをくぐった。
『水鳥ちゃん、焦らなくていいからね』
『不安になったらいつでもこっちを見て』
『お前に懸けてんですよ、全国を! 恥じないプレーをしてこいです!』
先輩達はそれぞれの言葉で、文香にエールを送っていた。
思うことは、ただ一つ。
この試合を制して、全国に行きたい。ただ、それだけ。
3年生の先輩達にとっては最後の大会―――その全国大会出場がかかった大一番に臨むは、まだ入部してからたった数ヶ月の1年生。
どうなるかは分からない。
ただ、チームとしてこの試合は文香に託した。
監督は1番調子の良い選手をシングルス1に選んだと言っていた。確かに、ここ最近の不安定な燐先輩に比べれば、上り調子の文香があの場には適任なのかもしれない。
―――わたしが立てる場所じゃないのは、自分でも分かっているつもりだ
「「よろしくお願いします」」
試合が始まる。
2勝2敗の為、じゃんけんが行われ、結果文香がサービス権を得た。
「まずは1つ、良い流れを取りましたね・・・」
隣で戦況を見守るこのみ先輩も、視線が文香から外せないようで。
少しだけ小さく震えるその身体が、ちょっとだけいつもより小さく見えたから。
「先輩」
ぎゅっ。
反対側の肩を抱いて、わたしの方に寄せる。
「大丈夫です」
そして、言うのだ。
「文香は、強い」
そのことはわたしが1番よく知っている。
「文香なら全国くらい、軽く獲って帰ってきます!」
わたしが信じなくて、誰が文香を信じるんだ。
同じ部屋で生活し、おはようの時も、おやすみの時も顔を合わせている。
ご飯も一緒、クラスも一緒、一緒に生活して・・・一緒に練習して。そうやって2人でここまで来たんじゃ無いか。
(文香―――)
いけ。
決めろ。
美味しいとこ全部、持ってけ。
「ッ!!」
―――瞬間、
鋭いサーブが、敵シングルス1の足下を抜けていく。
「水鳥さんっ!」
「文香ぁ!!」
その一撃で、目が覚めたように。
「ッ!」
二度目のサービスエースを奪い、返ってきたボールを左手で受け取る。
その一連の動作すら、滑らかで、無駄がなく。
―――その一球一球のボールの鋭さに、目が奪われるようだった
全てを背負った選手の覚悟。
全国大会出場権を奪いに来た者の顔を、文香はしていた。
「ゲーム、水鳥。1-0」
あっという間に1ゲーム目を取ると。
「すごい・・・」
「これが白桜のスーパールーキー、水鳥文香」
会場から感嘆にも似た、どこか呆然とした声が聞こえてくる。
(すごい)
―――同時に、
―――わたしの全身の血が、沸騰するように熱くなった
(すごいよ文香・・・!!)
目の前で行われている試合の異様さ、凄さ。
それを体感した身体が、熱暴走を始めたかのように体感の体温は上がっていき、ドクンドクンと心臓高鳴った。
―――全て、文香のプレーを見ての昂ぶりだ
(やっぱり、文香は天才だ・・・っ)
ここに来て、ここまで来て、このプレーが出来る。
背負った重荷も、目の前に輝いている目標も、関係ない。
ただ、目の前の敵を倒すことにのみ特化したプレー―――全ての雑音が聞こえていないかのような、洗練された試合内容
監督もここまで見越して文香を抜擢したわけではないだろう。
しかし。
今の文香はその期待に120%・・・200%の力で応えている。
水鳥文香、ここに在り―――
そう万人に思わせるような、圧倒的なプレ-。
見る者の目を奪い、釘付けにさせるような試合展開、内容。
敵3年生をものともしない、寄せ付けない、反撃の糸さえ掴ませないような速く、鋭く、しなやかなテニス。
文香の関東大会を象徴するような試合が、目の前で展開されているのを。
(っ・・・!)
コートの外から見ていることしか出来ないこの状況に、歯がゆさすら感じ始めていた。




