VS 鶴臣 シングルス2 新倉燐 対 春前紫雨 1 "相容れない"
「ごめんなさいお姉さま・・・。はるか、力及ばず負けてしまいました」
目の前で肩を萎ませて小さくなる妹。
やめてはるか。貴女にそんな表情をされると、どうしたらいいのか分からなくなってしまうわ。
「いいのよはるか。後はワタクシに任せて、ゆっくり休んで」
「でも、お姉さまっ」
「チームのことなら、なんとか1勝して首の皮一枚繋がった・・・。この試合でワタクシがあの彼女を倒せば、たちまち五分に戻る」
そう。
ワタクシ達には、勝機がある。
「そうすれば、勝負の行方はシングルス1に持ち越されるわ。そう、白桜は久我選手の居ないシングルス1に、全てを託すことになる」
敵は所詮1年生―――
久我選手に比べれば、実力的に劣るというのは隠せない事実だ。
「この試合に勝てば・・・ね」
はるかの頭を撫でてあげる手を止め、彼女とすれ違うようにコート内へと向かう。
(新倉燐・・・!)
許せない人。
受け入れがたい女。
彼女を倒せば、我らが鶴臣の下に勝利は転がり込んでくる。
コートの中に入り、ネットの前まで歩いてくると。
新倉燐の姿はそこにあった。
まだ試合前だというのに、どんな準備運動をしたらそうなるのか、顔には汗が滲んで、その悲壮とも言える表情に口を真一文字に結び、キッとこちらを睨む。
「先ほどは失礼致しました」
だからワタクシは、それをかわすことにした。
「どうしてもと思って口が滑ってしまいましたの。許してくださいね」
その決意、何が何でも勝ってやると言う意思、負けん気―――受け取る必要は無い。流して、新倉燐には空回りをしてもらおう。それで無駄に体力が消費されるのならば、それに越したことは無い。
(無尽蔵のスタミナを持つと言われる貴女ですもの・・・)
それが8割でも、7割でも、少ない状態から始まってくれるのなら。
少しでも、ワタクシに有利な状態から始められるのなら。
そんな事を、考えていた最中。
「春前さん」
彼女に、呼び止められる。
「・・・何かしら」
少しだけ、お腹に力が入った。
何を言われるか、検討もつかなかったからだ。
「貴女との間には何も無い。お互い、良いプレーをして良い試合にしましょう」
出てきたのは、歯が浮くような台詞。
「・・・」
良い子ちゃんを通り越して、鈍感までいくレベルの、的外れな言葉。
「シングルス2、新倉燐 対 春前紫雨の試合を始めます。礼」
「よろしくお願いします」
「よろしく、お願いします・・・」
その彼女の発言に、まさに肩すかしを食らった気分になって、握手した手をすぐに引っ込める。
(何よ)
これじゃあ―――
(まるで、ワタクシが悪者みたいじゃない)
厭味を言って、それなのに悪びれる様子も無くすまして。
ワタクシだって、そんなつもりで声をかけたんじゃない。
ただ、腹が立ったのは事実だった。
新倉燐。
彼女の噂は、今や公然の秘密のような状態。
直接、ウチの他の生徒からも聞こえてきたし、ネットはそんな話で溢れている。
新倉姉妹の軋轢―――
白桜エリートと言われる新倉家から、妹2人が外部の学校に流れたのにはそれなりに訳がある。その大きな理由の1つが、姉との不仲だと言うのだ。
勿論、こんなもの噂に過ぎない。
だが、火の無いところに煙は立たないとはよく言ったものだ。
ワタクシもまさかと思って、さっき彼女に言葉をぶつけたところ、どうやらそれが外れてもいないといった様子だった。あそこで疑惑が確信に変わった。
(妹を―――自分と最も近しい存在と、いがみ合って不仲になる?)
信じられない。
少なくとも、ワタクシの人生からは考えられないことだった。
ワタクシにとって、はるかは何よりも優先される。最愛の存在。無くてはならないもの。生まれてこの方、喧嘩もしたことのない、愛しくて愛しくてたまらない人。その妹と、道を違うほどまでに憎しみ合うなど―――許せなかったのだ。
妹という存在を、冒涜された気がして。
「鶴臣の1勝2敗、よってサーブ権はワタクシから・・・」
左手でボールを、右手でラケットを握りしめ、サーブの構えに入る。
視界の中には新倉燐と、左手のボール。
そのボールの向こう側に彼女の姿を見る―――負けるわけにはいかない。
(あのような啖呵を切ったのだもの。負けられるはずが無い)
ここで負けたら格好悪すぎる。
それ以前に、新倉燐を肯定してしまうような気がして・・・絶対に負けられなかった。
ワタクシの想いが正しいと証明する為には、彼女を倒して、否定しなければ。
その思いで、ワタクシは今ここに立っている。
(貴女が間違っていると証明するため―――)
スッとトスを上げ、
(貴女には負けてもらいます!!)
そのトスを思い切り叩く。
ただ、真っ直ぐ。
力の限り。
突き進んだボールは加速し、そのままサービスコートに突き刺さり。
「ふぃ、」
あっという間に彼女の足下から姿を消す。
「15-0・・・」
審判のコールが上ずっていた。
「は、はや・・・」
「見えなかったっ・・・」
「すげー! さすが部長の鬼高速サーブ!!」
ワタクシははるかのように、観衆に味方してもらう必要は無いと思っている。
テニスは自らの内で完結するもの。
自分と敵との1対1のやりとり。そこに不純物は必要ない。
勿論、はるかのやり方を否定するわけではないけれど―――ワタクシのコートに、ワタクシ以外の存在は必要ない。
(このサーブを極めるのに、ここまでに到達するまでに、どれだけの時間を要したか・・・)
ワタクシ以上の、このサーブ以上のサーブを打てるプレイヤーが全国に何人居る?
これ以上のスピードを持つ者が。
そこだけは誰にも負けないようにと鍛えてきた。磨き上げ、洗練し、そして手に入れた。
これほどまでのスピードを!
「ッ!!」
ガシャン。
またもや、サーブがその勢いを持ったまま奥のフェンスに激突する音が聞こえる。
「30-0」
そう、簡単に打たれてなるものか。
たとえ相手が新倉燐だろうと、誰だろうと。
「燐先輩が2球連続で手が出せなかった・・・」
「あのレシーブの鬼の燐先輩が!」
ワタクシの誇り、テニス人生の全て。
このサーブはそういうものだ。
確かに貴女のレシーブ技術に関しては聞き及んでいる。だけれど、かと言ってそう簡単に対応できるものでもないでしょう。
「!」
新倉さんがラケットを振り、サーブにそれを当てると。
わずかにタイミングが狂ったのか、打ち所が悪かったのか―――打球は真後ろに飛んでいき、再びフェンスに当たる。先ほどまでと違っていたのは、ラケットに当てられたということ。
(そう何本も見逃しは取れないか)
だけど、貴女は前に飛ばすことすらままならない様子。
(あと1本)
あと1つで、とりあえずこのゲームは取れる。
サービスエースのみで1ゲーム取れたなら、良い方だ。相手は新倉燐―――決して油断は許されない相手。
(噂に聞く調子の悪さがどれほどのものか、分からない)
ならば。
(全力でねじ伏せるのみ!!)
良いサーブが打てた。
その感覚が右腕から全身に伝わってくる。
それほどまでの感触。良いサーブが打てた時の、全身がぞくりとなで上げられるような感覚に包まれ。
しかし―――
「!」
そのサーブを、彼女は返してきた。
「ゲーム、春前紫雨。1-0」
軌道は大きくコートから逸れ、ラインを割って明後日の方向へ飛んでいったが、それでも。
(この2年生―――!)
しっかりとボールをラケットで捉え―――それも芯に近い場所で―――速さにも惑わされず、前に打ち返してきたのだ。ワタクシの超高速サーブを、この女は。
(力量を見誤っていなくて良かった。やはり、この新倉燐というプレイヤー)
間違いなく、関東の2年生の中でも最強クラスだ。
一条汐莉に並ぶと評されるだけのことはあるし、確かにその通りだと感じた。
例の不調の噂も、今日ここに関しては信用しない方が良いようだ。
「紫雨~。良いじゃん今日もサーブ切れてる切れてる!」
「どうも」
監督の熱い言葉に頭を下げながら、ふぅとベンチに座って一呼吸。
「新倉燐が絶不調なんて、どこから入った情報なのでしょう」
「? どうして?」
「とてもそうは見えませんわ」
向こう側のベンチを、目を細めながらしっかりと見やる。
新倉燐がペットボトルを受け取りながら、向こうの監督と何かを話し合っているようだ。しっかりとした口調で、あの監督に向かって目を逸らさず―――
「ま、まさか勝てそうに無いとか・・・!?」
「冗談はよしてください。そういうことではございませんわ。ただ」
「ただ?」
「敵の不調だとかスランプだとかに頼ったテニスをすれば負ける・・・」
そう。
必要なのは実力でねじ伏せること。
"揺さぶり"でなんとかしようなどと、そんなことは考えてはいけないようだ。
「新倉燐・・・。全国へ行くための『最後の関門』となりそうですわね」




