VS 鶴臣 シングルス3 春前はるか 4 ”貴女のようになりたくて”
ワタクシの前には、いつもお姉さまが居た。
1番近しい人。好きな人。愛する人。尊敬する人。そして、目標とする人。
「おねえさま、おねえさま」
「なぁに? はるか」
「はるは、いつかおねえさまみたいになりたいです!」
それは幼い日のワタクシの口癖のようなもので。
「おねえさまのような、りっぱなじょせいに!」
言葉の意味も本当に理解押していたのか怪しい頃から。
ワタクシの目標は、春前紫雨・・・ただ1人だった。
あの人以外、ワタクシの世界には誰も居なかったのだ。
さみしい時は肌を寄せ合い、嬉しいときも抱き合って。
生まれた時からお姉さまが一緒に居てくださったから、ワタクシは何があっても平気だった。
優しいお姉さま。とても思慮深く、賢い自慢の姉―――
「ていっ」
そんな彼女に憧れて、お姉さまと同じテニスの道へ歩いて行ったのも、ある意味必然だった。
目標はただ一つ。お姉さまと同じくらい強くなること。
お姉さまと肩を並べられるようなプレイヤーになること。
それ以外の事に、興味は無かった。
「おねえさま、サーブが入りました!」
「よしよし。すごいですねはるか。さすがワタクシの妹です」
「えへへー」
さすが、ワタクシの妹。
それ以上の褒め言葉はなかった。
その言葉が欲しくて、来る日も来る日も努力に努力を重ねた。
当然、お姉さまのプレーもよく参考にして―――それこそ、試合の日は誰よりも気合を入れて応援して、定位置は常に最前列。
「おねえさまー、がんばえー!」
お姉さまの試合を見ていて、気づいたことがいくつかあった。
凄まじいサーブの速さ。
それは気づいた事の中でも特に大きなものだったのだ。
そして、その超高速サーブは誰にでも打てるようなものではないということに気づくまで、そう時間はかからなかった。
そう―――
「ぇへいっ!」
誰にでも、打てるものでは。
「えいっ! えいっ!」
無かったのだ。
ワタクシにあのサーブを打つことは、出来ないというのを悟ったのはいつのことだったろう。
あれはテニスの女神様がお姉さまにのみ与えた天賦の才。
それが、ワタクシにはなかった。
だけど、ワタクシの理想とするテニスは変わらない。
お姉さまのように、サーブでバシバシ点を取る。サービスエースを決めて、かっこよくガッツポーズして、会場の視線を釘付けにする。
それこそが、ワタクシのテニス―――それだけを追い求めて、ワタクシはサーブの練習を続けた。
自らの理想とするサーブを打つために。
研究に余念はなく、取り入れることは全て取り入れた。
そして、たどり着いたのが、『スピンサーブ』。
才能の部分で大きく左右される『力』『速さ』ではなく、『技』を磨き上げたワタクシの必殺サーブ。
ネットを通過するかしないかのタイミングで、回転がかかり大きく落ちてギリギリサービスコートにボールが入る。
修練に修練を積んだ先に、このサーブを会得した。
そして、それだけじゃない。
変化幅を自在に曲げる練習もして、大きく落ちるスピンサーブから、小さく曲がるように落ちて相手のタイミングを外すサーブまで、可能な限りバリエーションに富んだ回転サーブを習得した。
これくらいしなきゃ―――お姉さまの超高速サーブには追いつけない。
ワタクシのプレースタイルはお姉さまを目指して習得したもの。
お姉さまのようになりたい。
ただその一心で、お姉さまと同じプレースタイルを選んだ。
テニスをやるにあたって、他にも道はあったのかもしれない。だけど、ワタクシは自分で選んだんだ。お姉さまと同じ道を行くことを。
このスピンサーブでサービスエースを取る瞬間、少しだけお姉さまの近くにいける気がした。
大好きなお姉さま。愛するお姉さまの御側に―――
ワタクシはこの人の妹なんだって、堂々と言えた気がした。
だから、ワタクシには"これ"しかない。
この道以外の選択肢なんて、最初から無かったのだから。
お姉さまのように。お姉さまみたいに。お姉さまにより近いテニスを―――
それがワタクシのテニスプレイヤーとしての矜持。誇りだった。
―――その圧倒的な目標だったお姉さまと、同じ学校になることができた
これは初めての経験だ。
テニススクールで大会に出る場合は個人戦。団体戦で同じチームになったのは、正真正銘、この鶴臣中学が初めてだった。
「お姉さまと同じチームですわっ」
「ふふ。嬉しそうね、はるか」
「それはもうっ。だって、お姉さまと一緒に全国を目指せるなんて、これに勝る喜びはありませんわ!」
ワタクシも嬉しいわ、はるか―――
そう言って笑ってくれたお姉さまの表情は、今も忘れられないほど目に焼き付いている。
だけど・・・、忘れてはならない。
(3年生のお姉さまは、夏の大会が終われば引退してしまう・・・)
つまり、この夏の大会が、"最初で最後"なのだ。
人生で1回だけ―――姉妹で中学テニスの頂点を奪うチャンス。
たった一度、この1回しかない。
(やらなきゃ・・・!)
ワタクシがやらなきゃ、全国へは行けない。
お姉さまと一緒に全国へ。
最初で最後のチャンスなんだ。
譲れない―――絶対に、この1回だけは。
何が何でも、誰にでも。譲るわけにはいかなかった。
この一度のチャンスに、全てを。
今持っているものの全部をぶつけて、ワタクシは全国大会へ行く―――
◆
そのプライドが、通用しなくなっている。
(追い詰められましたわね・・・)
サービスゲームで、15-40。
ここを落とせば次は藍原さんのサービスゲーム。落とせば負けのゲームに臨むことになる。
(させませんわ・・・!)
ワタクシにも意地がある。
ここで負けたら、お姉さまのようになるなんて夢のまた夢だ。
相手は同じ1年生。しかもシングルスには不慣れなダブルスプレイヤー。
負けるわけにはいかない・・・。エースとして、何より春前紫雨の妹として。
(獲ってみせるッ!)
このゲームだけは、
この試合だけは、絶対に。譲る事なんて出来るものか。
(ワタクシだって・・・!)
理想とするサーブの中の、そのまた理想。
これで点が取れたらどんなに気持ちが良いだろうというものがある。
それはシンプルな―――ただただ、見ていて万人が『すごい』と思えるようなサーブ。
一目見ただけで観衆が魅了されるような、必殺のサーブ。
(少し曲がって敵のタイミングをずらすサーブもいい。ですが、ワタクシの理想とするサーブは―――)
右腕を振るい、思い切りボールに回転を加える。
ボールがネットの遙か上を通過したかと思えば、ぐぐぐっと曲がって大きく落ちる。
(最大変化量で大きく変化し、沈む―――このサーブ!!)
1番練習したのは。
ここ1番の場面で使ってきたのは。
最も信頼しているのは―――このサーブだ。
これが決まって、敵プレイヤーがボールを見逃した時が・・・1番お姉さまに近づけたような気がする。
だから―――決まれ。見逃せ。
「いけぇ!」
藍原さんは、それにしっかりとレシーブ。
捉えられていた。
見逃しを奪うどころか、ちゃんと芯に近いところで捉え、そのパワーに任せて威力のあるレシーブを。
(くっ!)
まだだ。
まだ、このレシーブを返せば―――
手元でボールが暴れる、芯で捉えられない。
結果、力ないボールを打ち上げてしまう。
(ああ、)
あからさまなチャンスボールとなった打球を見ながら、思う。
―――スピンサーブを極めようとする余り、他がおろそかになってしまっていた
まだまだ、全国に行くには、やらなきゃいけないことが多すぎる。
「ッ!!」
藍原さんの放った渾身のスマッシュを見送りながら、ワタクシは自分の未熟さに、ただ呆然とすることかできなかった。
上には上なんて、いくらでもいる。
それを教えてくれたのが―――藍原さん、あなたで良かった。
負け惜しみでもなんでもなく、心の底からそう感じられたのは―――相手が、貴女だったから。
きっと、そうなんだと。
だって、スマッシュを決めた後の、貴女の笑顔・・・。
(とても、美しい)
それはもう、悔しいほどに。




