帰る場所
風花先輩復帰後、チームはとある問題に頭を悩ませていた。
それは、風花先輩に続く"2番目"の選手がなかなか出てこないと言うこと。
風花先輩にシングルス1を任せるとして、そこまで繋ぐ選手が今の部には居ないのだ。
このまま夏を迎えたら、風花先輩が宝の持ち腐れになってしまう―――そんな焦りにも似たものがチームを支配し始めた、ある日。
いつも通り練習をしているワタシのところへ。
「由夢、ちょっといいかな?」
響希先輩がやってきたのだ。
「な、なんでしょうか・・・」
風花先輩の真似してたこととか、怒られるのかな。
そんな風にびくびくしていたワタシに向かって、響希先輩は。
「お願い! 由夢の力を貸して欲しいんだ!!」
ぱん、と。
目を瞑ってワタシを拝むように、顔の前で両手を合わせた。
「ピ、ピぃ!?」
訳が分からず、思わず叫んでしまう。
「あ、ごめんね急に大きな声出してっ。でもね、今の初瀬田には、由夢の力が必要なんだ!」
「ワ、ワタシの・・・?」
力が、チームに必要とされてる・・・?
「うん。由夢、最近は怪我なく練習にも参加できてるじゃない?」
「それは、ひ、響希しぇんぱいと、一緒に作った料理のおかげで・・・。あれから、いっぱいご飯食べるように気をつけるようにもなったし・・・」
言われれば、確かに。
こんな数か月にわたって怪我をしていないのは、いつ振りだろうか。
「身体が出来上がってきてるんだよ!」
「そ、そうでしょうか・・・」
自分では、よくわからない。
「それでね! 由夢、去年の夏前にレギュラーの3年生の先輩に勝ったこともあったでしょ!?」
「ピぃっ!?」
響希先輩、あの時のこと、憶えててくれたんだ。
「あたしね、思うんだ。由夢って本当はものすごくテニスが上手なんじゃないかって!」
「しょ、しょんな・・・」
「才能があると思うんだよね!」
才能―――
その言葉は、ずしりと重い。まるで何かが身体の上にのしかかってきたよう。
「そんなこと、言われたの・・・」
でも。
「初めて、です」
嬉しくなかったと言えば、嘘になる。
「だからね。今日から由夢には風花との特別レッスンに付き合ってもらおうかと思って!」
「ふ、風花しぇんぱいと!?」
「ふふふ」
気づけばいつのまにか風花先輩がいるし!
「私の指導は生易しくないと思うけれど、いいかしら?」
そう笑顔で手を指し伸ばす、風花先輩―――夢みたいだ。
ワタシの憧れ、舞踏会のお姫様が、ワタシに向かって、手を・・・。
これが現実かどうか分からなくなって、頭がくらくらしてくる感覚に襲われる。
だけど。
その時だった。
『この時が来たのね』
あの声が、ワタシに向かって囁く。
『千載一遇のチャンスよ。これを逃したら、貴女は一生灰被りのまま・・・』
手を取れ、と。
『お城の舞踏会へ、行きたくはないのかしら?』
ワタシは―――
「よろしく・・・お願いしますっ」
その言葉に従った。
風花先輩の手を、両手でしっかりと握って。
そのままぐいっと、頭を90度・・・地面と平行になるくらい力強く、下げた。
◆
「由夢の1番の課題は、そのメンタルの弱さだね」
「ピぃ・・・」
「そうね。ちょっと、あまりに貧弱すぎるかもしれないわね」
戦い向きの性格じゃない、と一刀両断される。
そんな事を言われても・・・と、また目をくるくるさせていると。
『ラケットを握って、コートに立ちなさい』
また、彼女の声が聞こえた。
『代わってあげるわ』
その言葉を、信用できるとは思えない。
ワタシはどこまで行ってもワタシだし、こんな頭の中の誰かが自分の代わりになってくれるなんて、そんな甘い考えは、あまりに傲慢すぎる。
でも、それでも。
今は―――
「よ、よろしくお願いしましゅ・・・」
それを、信じてみることにした。
コートに入って、ラケットを握る。
何も変わらない。
ここに居るのはワタシだ。
「じゃー、サーブ練習からいこうかー。由夢、打ってみて―」
ボールを持って、サーブ動作に入ろうとする。
その時だ。
『お姫様のサーブは、そんな不格好なものでいいのかしら』
頭の中の彼女が、そう言ってくれた。
「ッ・・・!」
ワタシはサーブの動作を止め、手に握られたボールをじっと見る。
「由夢?」
先輩たちは怪訝な表情でワタシの方を見るけれど、今はそのことより。
(そうだ、風花先輩なら・・・!)
ワタシが憧れ、見続けてきた先輩なら、こんなサーブの打ち方はしない。
動作のひとつひとつ、サーブを打つにしても、レシーブをするにしても、ただショットを放つだけにしても。
風花先輩は、優雅だ。
まるで踊るように、リズムを取って。舞を見せるように、綺麗にやってみせる。
だから、ワタシも―――
(それを、意識しなきゃ・・・!)
自分の中のリズム。
優雅であろうとする姿勢。
思考すら、変えて。
自信の無いワタシじゃない、舞を踊る風花先輩―――そして、頭の中でワタシに呼びかけてくれた"彼女"に、思考を同調させる。
(あの子に、身体を貸してあげる!!)
そう考えることで、少しでもワタシの中の自信が大きくなるなら、それでよかった。
ふわっとしたサーブフォームから、心地いい乾いた音が聞こえ、強い打球が風花先輩の足元に決まる。
「!?」
風花先輩は、あっけにとられたという様子でぽかんとして。
「すごいよ由夢! 今の、どうやってやったの!?」
響希先輩は、素直に喜んでくれた。
「風花みたいだった!」
ワタシが1番欲しかった、その言葉も。何のためらいもなく言ってくれて―――
(こんな時、どう返したらいいんだろう)
違う。
こんな時、"お姫様"だったら、なんて言葉を返すのだろう。
ワタシの中の彼女だったら、どう返すのだろう。それを考えれば、言葉はおのずと。
「風花先輩のサーブを、参考とさせていただきました」
出てくるんだ―――
「ワタシなりの『舞』・・・如何でしたか?」
言って、くすりと笑う。
「きゃーっ! どうしたの由夢、かっこいい!」
「も、もしかして、私の真似・・・?とか?」
「ふふ。どうでしょう」
「私、そんなんじゃないわっ!」
ううん。
ワタシの中の風花先輩は、いつもこうだよ。
優雅な庭園のお姫様。それが、ワタシの風花先輩だから―――本当の風花先輩とは、違ってもいいんだ。
『言ったでしょう? コートの中でだけ、代わってあげるって』
声の言うとおりだ。
ワタシは彼女の力も使って、自分の本当の気持ちを、このコートの中でだけ表現できる。
恥ずかしくない。真似って言われても。似てないって言われても・・・。このワタシは、コート外のワタシじゃないから。
コートの中には、魔法がかかっている。
ワタシがお姫様でいられる魔法。
それが解けるまで―――
「踊りましょう。ワタシと貴女の、舞を・・・」
このワタシで、いられる。
それだけで、十分なんだ。
理想のワタシ。理想のお姫様。魔法がかかった、不思議なワタシ―――テニスをやっている時だけは。才能を発揮している時だけは。この自分で。
―――だけど、
「由夢ッ!!」
―――結局、ワタシは、変われなかった
「よりにもよって、この時期に・・・」
「夏の大会までもう時間ないよ!?」
「由夢なしじゃ、初瀬田なんてせいぜい地区予選止まりだ・・・」
夏の大会を目前にした練習試合で、怪我。
ここまで来て、ここまで先輩たちによくしてもらって。
入院だ。
病院の病室、ベッドの上で・・・ワタシはただ、呆然と虚空を見ることしかできなかった。
(うぅ)
ダメだ。
何もしてないと、涙が出てきて。
あふれ出してきて、我慢できない。
「ピぃぃぃ゛・・・」
こぼれ出す雫を、指で救い上げて、涙は軌道を変えて落ちていく。
結局そうなんだ。どうせ零れ落ちるだけ。
そのコースが変わっただけで・・・。ワタシがやってきたことなんて、それくらいの価値しかなかったんだ。
「わ、どうしたの由夢!?」
気づくと、病室の仕切りのカーテンをがしゃっと開いて、響希先輩が顔を出す。すぐ後ろには風花先輩も居た。
「ほら。売店で色々買ってきたよ」
「検査みたいなものだけで、明日には退院できるんでしょう?」
「ホント、ビックリしたよー。入院って言うからどんな重い怪我なんだろうって」
響希先輩と風花先輩は、ワタシのベッドの左側に隣同士になるように座って。
「何食べたい?」
って、優しく声をかけてくれた。
「・・・病院って、怖いよね」
「えっ」
しかし、そこで急に響希先輩の声がトーンダウンする。
「あたしもね、小さい頃から病院に通うことが多かったから、分かるんだ。なんか、すごく物悲しいし、夜とか不安で寝られないくらい怖いよね」
そっか。
響希先輩、持病があるんだって、先輩たちが話していたのを聞いたことがある。
―――小学校低学年の頃、入院した時のことを思い出す
「怖かった・・・」
ただ、何かに怯えていた、あの頃を。
「だから、今、先輩たちが来てくれたゃの・・・すごく、嬉しかった」
白い病室の中に、白い包帯を巻いて白い顔をしている自分の姿。
あの物悲しい空間から、この人たちは連れ出してくれるような―――そんな、気がして。
「でもッ!」
それなのに。
「その先輩たちの想いを、ワタシ・・・っ」
涙がボロボロと溢れてきて、止まらない。
「また、怪我しぢゃっだ・・・ッ!」
裏切った。
裏切ってしまったんだ。
「しぇんぱいたちの、期待も、ワ、ワタシにかけてくれた時間も、全部、無駄にしちゃったんでず・・・!!」
ピぃぃぃ、とまた情けない泣き声が口から洩れる。
「それは違うよ!」
それでも。
響希先輩は、パッとワタシの手を取って。
「あたし達が由夢と過ごした時間は、無駄なんかじゃない!!」
ワタシの目を真っ直ぐに見た先輩は、大きな声でハッキリと言葉を続ける。
「でも、ワタシ、もう・・・」
「諦めるな!!」
―――先輩の言葉に、
「どうして諦めるの!? 由夢は、対戦相手に負けるんじゃなくて、怪我に負けてこの夏を終わらせるの!? 本当にそれでいいの!?」
―――熱く、どこまでも真っ直ぐなその言葉に、
「怪我自体は大したことないんでしょ。だったらさっさと治して、一緒に全国のすごい選手たちと戦おうよ!」
「響希ちゃんはね、勿論私も・・・貴女が絶対コートに戻って来れるって、信じてるのよ」
―――胸を打たれた
「治す・・・?」
「そうだよ。明日明後日には無理でも、数週間後、1か月後・・・、絶対治って帰って来れるよ」
響希先輩の握ってくれた手に、風花先輩の手が重なる。
「由夢が帰って来れる場所を、あたし達が残し続ける!」
「地区予選、都大会・・・そこを勝ち上がっていけば、いつかあなたの力を借りる時が、必ず訪れる」
「それを信じて、戦い続ける。勝ち続けるから!」
そこで、初めて。
「だから、もうダメなんて・・・。由夢のやってきたことが無駄だったなんて、そんな悲しい事、言わないで・・・!!」
響希先輩が、泣いていることに―――気が付いた。
「は゛い゛・・・ッ!」
だから、ワタシも。
上を向かなきゃって、そう思ったんだ。
1日でも早く、怪我を治して―――そして、コートに戻ってくる。
それがいつになるのかは、正直まだ分からない。
だけど、ワタシの帰る場所は、先輩たちが守ってくれるから。
信じて、どんなに厳しいリハビリだって、一生懸命にやって。
また笑顔で、この人達と一緒にテニスをしたい。
ワタシは―――
◆
(ワタシは、)
手をすっとさし伸ばす。
ピンと伸びたその先にあるボールを、ふっと浮かして。
(先輩たちの、『娘』だから―――!)
リズムに乗る。
舞を踊るように、軽やかに―――強く。ボールを押し出す。
第7部 完
第8部へ続く




