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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第7部 関東大会編 1
269/385

VS 大鷲台 シングルス1 久我まりか 対 網島伊吹 4 踏み出す勇気

『大丈夫ですよ。足に痛みは無いです。今は慣れてませんが、調子を上げていけば中盤くらいにはいつもの調子でいけると思います』


 あの子は1ゲーム目が終わった段階で、確かにそう言った。

 だがその言葉を額面通り受け止めるほど、盲目ではないつもりで居る。


 この時期の選手の『大丈夫』と『大したことない』ほど、信頼できない言葉も無い。

 大会を勝ち上がれば勝ち上がるほど疲労は蓄積されていき、スケジュール的にも過密になり怪我の危険性や身体への負担は大きくなる。

 だからこそ、選手の身体は細心の注意を払って扱う必要がある。

 怪我は選手生命を終わらせてしまう、もしくは大きく削ってしまう可能性がある危険なものだという認識の下、正しい判断をしなければならない。


(久我が決勝で負った怪我は間違いなく、その中でも上位の危険性を持つ負傷)


 本来ならこの試合、久我を使いたくは無かった。

 念には念を入れて、休ませるべきだったのは間違いない。


 だが―――この1回戦(しあい)、負ければ3年生は即引退の危険性を孕んだ試合なのだ。

 ここで久我を温存して負けたとなれば、もう二度と取り返しがつかなくなる。

 だからこそ、私は久我をコートに送り出した。本当なら温存しておきたいエースを、あえて使う判断を下したのだ。全て、私の責任で。


(シングルス2までに試合が終わってくれることを期待した)


 だが、現実はそう上手くは回ってくれないものだ。

 久我に出番は来た。

 しかも相手は大鷲台のエース・網島伊吹。敵は逃げることなく、真っ向勝負でエースを久我にぶつけてきた。その真っ直ぐさが、ここまで白桜(わたしたち)を苦しめることになろうとは、誰が予想しただろう。


(このサービスゲーム、ここを落とせば後がなくなる)


 5-5。

 足のコンディションを考えても、タイブレークには持ち込みたくない―――


(頼んだぞ・・・! このゲーム、何としてでも取ってくれ)


 今はもう、祈る事しか出来ない。

 エースを信じて、目の前の戦いを見守ることしか。


 久我まりかのサービス、1本目―――ジャンピングを封印し、厳しいコースにサーブを打ち込む。


(サーブレシーブではなく、ラリーでの勝負に賭けたか!)


 ラリーはむしろ、網島選手の得意分野だ。

 そこに足を踏み入れたということは―――


(何らかの勝機がある・・・!)


 そういうことだな、久我。


「ハハッ!!」


 網島選手が笑い声と共に、踏み込んでショットを打ち出す。

 まっすぐに飛んだボールは地面に跳ね、回り込んでいた久我がそれを反対側(クロス)へ―――


(ノロ)いんだよ!」


 そこには既に、網島伊吹の姿があった。


(また一段、速くなった!?)


 ここまで来てまだ加速するか―――体力も既に限界を迎えているはずの彼女が。


 ネットの近いところへ、短いストロークを叩いて落とすような感覚で決めてくる。

 しかし、ボールの方向は真正面だ。久我は何とかそれを拾って、ぽーんと後方へロブを上げた。

 スピードで勝負してくる相手に対して、揺さぶりをかけたのだ。


「残念」


 しかし、網島選手はそれを追わない。


「アンタも相当コントロールが乱れてきてるみてぇだな」


 ボールが跳ねた、その場所は。


「アウト。0-15」


 ベースラインの、向こう側―――


『うおおおおぉぉ!』


 観客のボルテージも1つ上へ、上がった感覚がある。


「いけー! 伊吹部長!!」

「久我まりか、倒しちゃいましょう!」

「いーぶーき! いーぶーき!」


 この試合で初めて、小さい声ではあったが「伊吹コール」が飛び乱れる。

 頭の上を大声が飛んでいくその下で、久我はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、すぐに顎に滴り落ちてくる汗をリストバンドで拭って、ボールを受け取りサーブ位置へ駆けていく。


(大丈夫だ。あの子は折れてない)


 まだ、何も諦めていない。

 闘志は、萎えていない。

 エースとしてのプライドは、彼女を再びコートの上へと駆り立てる。


「ッ!!」


 凄まじい気迫と勢いがあった。

 ジャンピングサーブではない、通常のサーブを打ったはずなのに。


「15-15」


 網島選手が、手を出すことも出来なかった。


「おおおお!」


 さっきほどではないが、また会場が震えた。


「今度はこっちの番ッスよ! やっちゃってください、ぶちょおー!!」

「まりか、あと一息だよ!」

「お前ならこんな敵、どうってことないはずでしょう!!」


 白桜(ウチ)の応援も、負けていない。

 人数的には圧倒的にこちらが上なのだ。あとは、士気―――これを保てるか、更に上へいけるか。


(久我・・・!)


 お前の右腕に、全てはかかっているんだ。

 ここから観衆を魅了するプレーが出来るかどうか―――"今"がこの試合の、分水嶺だぞ。


(気合を入れろ、久我まりか!)


 白桜女子のエース!!





 確かに、足に異常はない。

 痛みも無い。

 だが、"自分自身の意識"が敵となった。


 一歩、踏み出す勇気。

 それが手に入らなかった。何度、ルーティーンを繰り返しても、大丈夫だと頭の中で反復しても、埋まらない『最後の一歩』。

 そこさえ何とかなれば、この試合を何とかする自信はあるし、出来る自負だってある。


「ふう・・・」


 ポイントとポイントの間、ゲームが止まった時。

 ふと日本晴れの空を見上げる。

 真っ青な青が、一面に広がっていた。頭の上から照らす太陽を隠すものが何もないことが、こんなに怨めしいとは思わなかった。今日はここ1年間でも指折りの熱く、暑い日だ。

 そんな日にこういう試合展開にまでもつれ込むのも、ある意味因縁めいたものを感じる。

 この状況下でも、完璧なパフォーマンスをできるよう、今までお前は練習してきたのか―――と。テニスの女神様に問われているような気分だった。


(してきたさ)


 やってきた。

 どんなに辛い練習も、膝を折りそうな時も、前だけを見て一歩一歩突き進んできた。


 だから―――


(ここで止まるわけには、いかないな)


 ―――今は、私の方が強い!


 強かったのは、本当に『あの時』だけか。それでいいのか。

 私はどんな時であろうとも、五十鈴(かのじょ)より強くなりたい。そうじゃないのか。


 顎の下から大きな雫がぽたりと落ちた時に、視線を下に遣る。

 そしてもう一度瞳を上げ、ふと見た景色に―――


(藍原ちゃん)


 彼女は居た。


(あの時も、そうだったな)


 君はそこに居てくれた。

 私に、最後の勇気を出させるために―――こんな風に解釈するのは、自分本位だろうか。


 大きく口を開けて、声が響くよう両手を頬に着けて、表情が歪むくらい、一生懸命。


(が、ん、ば、れ)


 その大きな口の変化から、何となく何を言っているのか、読み取ろうとしてみる。出来るかな。


(く、が、ま、り、か―――ああ、分からなくなっちゃった)


 部長かな? 先輩かな?

 どっちかだとは思うけど。


 ―――まりか、か


 あの子は私のこと、名前では呼んでくれないよね。

 "久我部長""部長"。だいたい、この二択だ。


(さりげなく、頼んでみようかな・・・)


 まりか・・・さん、とか。まりか先輩・・・とか。

 本当に仲の良い、近しい後輩が居ないからか、後輩ちゃん達はあんまり気軽に呼んでくれないからな、私の名前。

 1人くらい、そういう後輩が居ても良い気がする。

 藍原ちゃん(あのこ)なら、屈託なく「はい!」って返事して呼んでくれるだろうし。


 ―――頭の中の整理を終え


「ふう」


 視線を、前へ―――


("(はい)れた")


 ようやく、だ。

 遅いよ久我まりか(わたし)


 『ここ』に来るのに、どれほど時間をかけた?


 しかし、"今"は。

 そんなことがどうでも良くなるくらい―――


(気分が良いッ!)


 ―――右腕をしならせ、落ちてきたボールを、


「叩く!!」


 自然と声が出た。

 納得のいくサーブが打てたのだ。

 それでも網島さんは恐れない。踏み込んで、レシーブを打ってくる。向こうも本気だ。


「ッ!」


 回り込んで打つと、既にその先に網島選手が居る。

 この試合何度も見た光景だ。

 そして彼女は余裕を持って両手で強いショットを返してくる。


 ―――向こうも、このゲームに懸けてるな


 その事が手に取るように分かる程度には。

 私は目の前のプレーに、のめり込んでいた。


(君が超スピードでどんな打球も拾ってくるとして―――)


 勝負だ。


(一体どれだけのショットを打ち込めば、拾えなくなるのかな・・・!?)


 私か、君か。

 どちらが先に尽きるか―――


 灼熱の地獄の中で、最後の我慢比べといこうじゃないか。

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