VS 大鷲台 シングルス1 久我まりか 対 網島伊吹 1 "胸の中に残った言葉"
コートに入るとすぐ、燐とすれ違った。
浮かない表情をしている。下を俯いて、口を結んで―――
「燐」
すれ違う瞬間、声をかける。
「なんだい、その表情は」
―――だけど、
一度、その場に立ち止って。
燐の方を振り向きながら。
「君は今、何と戦ってる?」
―――"それだけ"だ
今の燐からは、強い『想い』がまったく感じられない。
ただ、負けて、どうしたらいいのか分からないといったような、ある種の"甘え"にも近いようなものが、私の目からは見て取れたから。
「少し、考えてみることだよ」
ぽつりと言い残して、コートへ再び駆け出す。
もっと強い言葉で言おうかとも思った。
だけど、彼女は・・・少なくとも1年半一緒に過ごしてきた新倉燐は、こんなところで終わるような選手じゃない。
そう思えたことが、私に最後のブレーキをかけさせてくれた。
だが、しかし。
もし、次、彼女がこんな試合をするようなら、その時は―――
(・・・今は、それを考える時じゃないな)
戦う時だ。
「よぉ」
今は目の前のその事だけに、集中しなくてはならない。
「アンタ、"五十鈴ちゃん"倒したんだってな」
「まあね」
「ハハッ! じゃあアンタを倒しゃあ、あたしが最強ってことだよな!」
彼女は自らが放つ闘争心、対抗心を隠そうともしない。
逆にそれらでこちらを威圧し、武器にし、呑みこもうという気概すら感じる。
「おもしれえ! 勝つのは大鷲台だ。アンタを倒して、あたしはもっと上へ行くぜ!」
彼女は敵がどんなに強大であろうとも、まったく怯む様子が無い―――まさしく、狩人。ギラギラに光るその瞳が、それを表していた。
(網島伊吹・・・)
関東大会に出場する他校のエースと比べても、彼女の持つ雰囲気は異質なものだった。
何故か。
それは彼女たちが歩んできた道のりを考えれば、よく分かることだ。
(何もない状態で、ゼロからテニス部を作って、関東大会出場まで押し上げてきた―――いわば"雑草魂")
名門の選手に、部の設立申請をした選手は居ないだろう。
部員集めをした選手も居ない。練習場所やグラウンドに困ったことも、名門はない。
(下から這い上がってきた彼女たちだから、あの目は出来るんだ)
逆に、その学校の中心がこの網島伊吹だという事実には、妙な納得感すらある。
『彼女にしか出来ないこと』だったのだろうと。
それほどのバイタリティ、意欲を持つ選手だと言うのは見て取れた。
(だけど、名門には名門の意地がある)
テニスに懸ける情熱は、まったく負けていないという自信がある。
(だから君達を、)
―――大きくトスを上げ、ラケットを強く振る
(ここで止めて見せる!!)
これ以上先へは―――進ませない!
強く打ち出したサーブが、サービスコートに突き刺さり跳ねる。
そのサーブを、球足の速い、球威のあるレシーブで返してきた。
(さすがに通らないか!)
結構、自信のあるサーブだったんだけどな。
強いレシーブを、逆方向へ打ち出すと―――
「ハッハァ!!」
そこには既に、
「遅いぜ、久我さんよぉ!」
伊吹選手の姿があった。
「てりゃあ!」
ネット手前から放たれた勢いのあるボールが、私のラケットの向こうを抜けていく。
「0-15」
審判のコールが聞こえると同時に。
「は、はやっ! 速い!!」
「何あのスピード!」
会場が、どよめきに包まれた。
「ボールより速いんじゃないの!?」
「部長が打ったと同時に、クロスに回り込んで・・・」
「しかもネット前まで斜めにッスよ!」
確かに、驚くべきスピードだ。
よほど恵まれた運動神経とバネの強さ、瞬発力があるのだろう。
(一歩目から、既にトップスピードに近い速度だった。これは厄介だな)
スピードだけなら間違いなく全国レベルだ。
恐らく関東大会を見渡しても、彼女のスピードに追従するレベルの選手は居ないと言っていいだろう。
「0-30」
またもや、レシーブからの3つ目を狙い打たれてしまう。
「っしゃあ!!」
周りの目を気にしない、お腹の奥底から出す叫び声で自らを鼓舞する網島選手。
抱え込むようにする大きなガッツポーズからも、抑えられないんだろう(もしくは抑える気がないのだろう)ということが散見できる。
(だけど―――)
負けるわけにはいかない。
チームを任されている身なのは同じだ。
―――そして退路が無いのも、互いに同じなのだから
(ここだッ!!)
跳ぼうかとも思ったが、今は押さえつけて地に足を付けたまま。
「15-30」
放った渾身のサーブが彼女の脇を抜けていく。
にやり。
網島選手の口角が上がったかと思うと。
「良いサーブ持ってんじゃねぇか!」
また、彼女が叫んだ。
「もっと打ってこいよ、久我ァ!!」
そのあまりに強い、強すぎる対抗心に、面を食らいそうになるが。
(そっちがその気なら・・・)
―――負ける気は無いよ!!
連続で、また良いサーブが打てた。
今のは振り切った瞬間に決まったと思えるほどの渾身の当たり。
「30-30」
再び、サーブが彼女の横を抜けていく。
今度は外ではなく、中のギリギリを狙って打ったサーブ。上手いこと1番良いところに飛んでくれた。
(今日のサーブコントロールは、まあまあだな)
五十鈴との試合ほどではないけれど、調子としては悪くない。
ここから上げていければ、十分通用するサーブを打ち続けることができるはずだ。
「おお、両者一歩も退かない!!」
「これぞエース同士のぶつかりあいだ!」
観衆も、良い感じに沸き立ってきたし。
(戦い甲斐があるよ・・・!)
こういう試合はね。
部長とかエースとか、その枠を超えて戦いたくなるような、血が煮える熱い試合。
灼熱地獄の気候も関係ない。内側から熱くなるこの感覚―――本当の強者と戦う時にだけ揺れ動かされるこの気持ちは。
―――退いて堪るか
私は、五十鈴を倒して今ここに居る。
―――退けるものか
彼女に誓った。
どんな敵が来ても、受けて立つと。
―――まりちゃんは本当に私たちを倒せたんだ
うるさいくらいに、五十鈴の残した言葉が頭に響く。
―――だからどんな奴にだって、負けないよ
彼女の言葉を、嘘にしたくない。
あの試合を、自分の手で汚したくない。だから、どんな奴にも負けない。
(負けられないんだ!!)
ネットの近くに返ってきたボールを、叩き返す。
「ゲーム、」
そのショットが、網島選手の頭上を越えていくと。
「久我まりか。1-0」
ようやく、1ゲーム。
長い1ゲームだった。2度のデュースの末に手にした、サービスゲーム。
「きゃー」
「さすが部長!」
「もっとやっちゃってください!!」
やあやあ、と観衆に手を振りながらベンチへ戻っていく。
「ハハッ」
その時、彼女は。
「すげえ、すげえよ。こいつぁマジもんの化け物じゃねえか!」
また、笑っていた。
「久我まりか! アンタは『本物のエース』だよ!!」
それを大声で叫んだ後、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱しながら下がっていく。
網島伊吹の後ろ姿を見つめながら。
(今のゲーム、サービスゲームじゃなかったらキツかったな)
―――感じるのは、確かな実力と強さ
敵の調子も相当良い。
何か1つでもバランスを崩せば、敵に傾いてもおかしくないゲームだった。
(初手の、サービスゲームなのに・・・)
私からも返させてもらうよ、網島さん。
貴女も"本物のエース"だ、と―――
「随分、苦労して取ったゲームだったな」
そしてベンチに帰れば、顔色1つ変えずに炎天下の中、ベンチに座る強面の女性と対峙しなければならない。
「敵のレベルは相当高いです。都内なら最上選手に匹敵する実力者と見ていいかと」
「ああ。あの爆発力と初速スピードは相当なものだ。これは想像以上の相手だと考えねばならんな」
そこで、監督は1つ、間を開けると。
視線を少し、下に向け。
「足の調子はどうだ」
ゆっくりと、重々しく―――そのことを、口にした。




