VS 大鷲台 シングルス2 新倉燐 対 奥澤嘉音 2 "エース・オブ・エース"
伊吹に着いていくのは、並大抵の事じゃなかった。
元々、私たち幼馴染の中で1番テニスが上手いのは伊吹だったのだ。
昔から駆けっこをすればクラス1位は伊吹だったし、ドッジボールをすれば小学生とは思えないような鋭いボールを投げていた。
球技をすれば、彼女がメキメキと腕を上げていくのは必然だったのかもしれない。
その伊吹と、仮にも並ぶことを私は目標に掲げた。
『こいつにだけは負けたくない』
そう自分に言い聞かせた。マトとの事は有耶無耶になって(というより伊吹とマリが間に入って有耶無耶レベルで止めてくれていた)、私はその事から逃げるようにテニスに没頭した。
シングルス転向後―――初めて迎えた千葉県大会で、他校の選手と対戦して、驚いた。
(私―――ここまで出来るんだ)
まだ転向して1ヵ月だけど、それでも他校の上級生を倒せるその事実が、嬉しかった。楽しかった。
大会を勝ち進んでいくうち、自分にも力が付いて行っているのが実感として降ってきたのだ。
楽しい。チームに貢献できるのが嬉しい。
結局、私たちは2年生だけのチームで千葉県大会ベスト4まで勝ち進んだ。
あと一歩のところで、関東大会―――関東に指がかかったその感覚が、確かにあった。このまま力をつけていけば、次こそは必ずもう1つ上のレベルに上がれる。絶対に、上がることが出来るんだと。
「伊吹」
「あん?」
「私、貴女にだけは絶対負けない」
「おいおい。あたしに勝ってどうすんだよ。他校の選手に勝ってもらわねーと、あたしが困んだ」
私が伊吹に張り合うと、彼女は決まってそう言って、私のことを真正面から受け止めはせず、流すように矛先を外してくる。
これが伊吹の意外なところだ。喧嘩っ早いような言葉遣いなのに、本当は繊細で誰よりもチームのことを考えている。1年生の時から自らがエースだと決めて、その役割を誰にも譲らなかった負けん気の強さ、その強情さを持ちながらも、時には柔軟に動く臨機応変さを、彼女は持っていたのだ。
(ただ、突進するだけじゃない)
考えながら突っ走れる―――それは伊吹の強みだし、きっと『エース』の証なんだと思う。
このチームのみんなが、エースは伊吹だと認めている。
それは勿論、私もそうだ。
だけど、伊吹のワンマンチームになったら、大鷲台が死ぬことも分かっていた。
(だから、私が伊吹の後を追いかけなきゃ)
絶対に離されないように。
伊吹だけを突っ走らせないように―――私が全速力で追って、その背中をいつまでも見ていなきゃならない。
私と、伊吹と、ダブルスのマト―――3人で、エース。大鷲台はそういうチームにならなきゃならなかった。
そうしなきゃ、関東は、あの頂は目指せない。
千葉県内の大会でも化け物のような強さの選手がうじゃうじゃ居た。
だったら、その上、更にその上の全国を目指すには、彼女たちと互角にやり合うだけじゃダメだ。チームとして、勝たなきゃならない。
そのための、『3人でエース』構想だった。
「嘉音! 良いテニスするようになったじゃねーか!」
ある日の練習終わり、伊吹が叫ぶ。
「おもしれえ! おもしれえよ嘉音!!」
その目はキラキラに輝いていて、私はそこで初めて、伊吹に認められたような気がした。
"あの日"から―――誰よりも近くに居てくれた、伊吹に。
(ねえ、アンタはもう、最高で1番のパートナーだよ)
ずっと背中を追いかけてきたから、分かる。
貴女は口には出してくれないけれど、きっと貴女もそう思ってくれてるんでしょう?
伊吹―――私は貴女の背中を追い続ける。この先もずっと。
それがあの時、ふさぎ込んでいた私に話しかけてくれた貴女への、私からの感謝のしるしだから。
そしていつかきっと、貴女と肩を並べて一緒に走れるような存在に、私は―――
◆
鋭いスライスショットが、敵から逃げるような軌道で飛んでいく。
「40-15」
今のは抜群だった。
自分でも打って、気持ちよかった。得意のスピンショット。上手く回転をかけられたどころか、それにスピードも乗って飛んでいくのが分かったのだ。
このショットが―――
『マッチポイント!』
―――私を勝利という扉に手をかけさせてくれた
「嘉音先輩、絶好調じゃん!」
「あの新倉燐に対して、完璧な試合展開っ!」
「さすが大鷲台のトリプルエースの一角だよ」
まだ気を抜くな。
聞こえてくる聴衆、絶対的に優位なゲームカウント、状況―――関係ない。
勝利の扉を開くまで、私に油断なんてものが許されるわけがなかった。
(勝ちを意識しすぎるな・・・。敵プレイヤーのネームバリューも関係ない)
自分に言い聞かせる。
(私は、私のテニスをするだけ)
胸の高鳴りを必死で抑え、頭に入ってくる勝ちの文字をかき消す。
まだ終わっていない。
まだ何も決まっていない。
その最後の瞬間を迎えるまで、絶対に。
大きく息を吹き出し、ボールをもう一度強く握ると。
ぽーん、と。
宙に浮かばせたボールを、ラケットで叩く。
良いサーブだ!
自分でそう思える納得のサーブ。
今日の新倉燐に、これが返せるかと思うほどの。
―――あのレシーブが生命線の新倉燐が、この試合絶望的にレシーブを決められていない
こちらとしては助けられた格好だが、そんな事はどうでもいい。
敵のコンディション、悪いなら悪いに越した事なんてないんだから。
私はチームに貢献できれば、勝利を1つでも拾えればそれでいいんだ。たとえ、最高の試合なんてものが出来なくても―――
(勝った方が、正義だ!)
それはどんなものより優先される。
新倉燐の返して来た気の乗っていないレシーブを、コートの隅目がけて突き飛ばす。
しかしさすがにマッチポイントだ。敵も食らいついてくる。
この試合で1番じゃないかと思えるほどの鋭角なショットを、コート中央へ。
(力が乗ってきた!)
思わず、ボールが上ずった。
この試合では少なくとも感じられなかったパワーの乗ったボール。それが飛んできて、思わず気圧されてしまったのだろう。新倉燐は後方から、鋭いショットを再び打ってくる。
(―――だけど!)
そのボールに合わせるようにラケットの面を少し上に向けて。
(ちょっと、遅かったようね!)
ボールをスラッシュ。
弱い威力の短いストロークのショットが、ネットの前に落ちる。
新倉は急いで前面にダッシュして上がってくるが―――
「ゲームアンドマッチ」
時すでに遅し。
「奥澤嘉音! 6-2!」
私の、勝ち―――
◆
その瞬間、試合会場が震えたのを明確に感じた。
悲鳴のような声と共に、燐先輩は動きを止める。
「はぁ、はぁ・・・」
大量の汗を、拭うことなく。
垂れていくその雫が、灼熱のコート上をほんの数滴、濡らしていた。
「燐先輩・・・」
思わず、グッと拳を握る。
強く、強く。
「どんな時でも澄ましてポーカーフェイスな新倉先輩が、あの汗・・・。やっぱり、並大抵の調子の悪さじゃなかったんスね」
「それにしても、」
ぴょこんと伸びた、このみ先輩のアホ毛が。
「試合内容が悪すぎです」
心なしか萎びて、元気が無いように見えたのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「ほとんど何も出来ずに負けちゃったもんね」
「信じられないの・・・」
「敵のレベルを考えても、この試合展開はちょっと予想できなかった」
先輩たちの語気も、一様に低く、暗い。
皆が下を向きかけた、その時―――
「おいおい。なんて雰囲気だ。ここはお通夜会場かい?」
現れた。
「まりか」
"エース"が。
準備運動で僅かに蒸気した顔、暑さで少しだけ汗ばんだ肌。
しかしそれでも、表情は"いつもの"部長―――そのままだった。
全く、チームが置かれたこの絶望的な状況など、意にも介さない様子で。
「どうしたの? まだ試合は終わってないよ」
「まりか、それが」
「いや、今はいい」
状況を説明しようとした咲来先輩の声を、部長が遮る。
「とりあえず、勝ってくる」
「―――」
か、
「だからみんなは、応援お願い。なるべく元気にね。みんなも暑いと思うけど、あと1試合、頑張ろう」
カッコいい―――!!
ビクンと全身が震えて、背筋に冷たいものが伝うような感覚。
それと同時に頭から熱いものが溢れてきて、バーッと広がっていく。
「ま、まぁ・・・。まりかがそう言うなら」
「みんな! ここが正念場だよ!」
「声出して、応援しましょう!」
「「「おーーー!!」」」
再び部員たちの士気が上がる。
極限まで下がった状態から、一気に上へ、上へ。
わたしも思わず右手を挙げて、掛け声を出すほどには―――
「これが、エースの姿・・・」
見せるべき背中なんだ。
ここまでやって、初めて真のエースって呼ばれるんだ。
身震いする感覚と共に、わたしは感じていた。部長が背負うものの大きさを。
◆
「ハハッ」
思わず、笑いが出た。
こんな状況、笑わずにいられるだろうか。
「お前を倒しゃあ、大番狂わせだぜ!」
ネットを挟んで、反対側に居る彼女にそう叫ぶ。
「関東王者の座ぁ、譲ってもらおうか。久我さんよぉ!!」
彼女は極めて平静に、こちらをじっと見つめていた。
―――だけど、知ってんだぜ
とんとん。
二度、自らの右足シューズのつま先をコートに叩いてみる。
―――てめぇが東京都大会の決勝戦で右足を怪我したことも、その病み上がりだってことも
全部な。




