VS 大鷲台 シングルス3 水鳥文香 対 榎田愛美 "ストレート"
◆
あれから私たちの関係は、少し変わった。
イブの仲介もあって、決定的に仲たがいすることは無かったけれど、それでも以前より少し、カノとの間に距離を感じるのは―――まあ、当たり前のことだった。
カノはその後、シングルスプレイヤーとしてメキメキと力をつけていって、イブと競うまでのシングルスプレイヤーになった。
そしてカノの地位が確立し始めた、ある日。
「おいマト」
私は、イブに首根っこを掴まれ。
「ちょっと顔貸せや」
学校の屋上に連れていかれて、
「てめぇ、大鷲台のダブルスエースの座から降りたら、そんときゃあたしが承知しねぇからな」
そんな事を言われた。
「大鷲台のダブルスはマトに任せるって決めたんだ。ぜってー、そこから降りんじゃねぇぞ!」
イブはその時、カノの名前を口にはしなかったけれど。
(カノを泣かせた落とし前を付けろって、そういうことだよね)
この時ばかりは、彼女の言わんとしていることが手に取るように分かった。
カノへの贖罪―――それも、勿論。
だけど、私は。
今の私の中には。
「わかってるよ・・・!」
強く歯を食いしばって、イブの目をまっすぐに見つめ、言葉に力を込める。
―――みすみんの優しさに包まれた、あの温かさがある
こんなどうしようもない私とダブルスを組んでくれたあの子への感謝。
そして2人で1から積み上げたダブルスペアとしての時間。共有した物は掛け替えのないものだ。
たとえ始まりがあんな始まり方だったとしても―――それでも、私たち2人の中には、ちゃんとある。
ペアとしての絆も、想いも、繋がりも。ちゃんとあるんだ。
「イブとカノがシングルスを、私がダブルスを支える。そうすれば大鷲台は負けない・・・!!」
だから、決してマイナスの感情なんかじゃない。
「3人で大鷲台のエースになろう!」
この気持ちは―――
一方的に傷つけてしまったカノへの。
そして、迷惑をかけてしまったチームへの。
少しでも歯車がかけ違っていたら、一生修復不能になっていたかもしれない幼馴染たちへの、この感情は絶対に失ったらいけないものだ。
(ね、みすみん)
私たちは間違えてなんかないんだって、証明しよう。
◆
―――まずい
頭の中では何度もその言葉が駆け巡っているのに、身体が追いつかない。
敵ペアの1年生の放つ打球、あのクセ球への有効的な対抗手段が未だに見つからないのだ。
特徴的なフォームから繰り出されるショットは、インパクトの前に一瞬だけラケットの軌道を見失い、ワンテンポ、タイミングがズレて飛んでくる。
更にそのボールは小刻みに揺れており、ラケットで捉えた瞬間、差し込まれるような元々のショットの強さに加えて芯を微妙に外され、打球に強さが生まれない。
たとえ、まともにボールが飛んだとしても。
「先輩!」
「任されたですっ!」
ペアのちっちゃい3年生は1年生―――藍原選手の動きを熟知しており、彼女のカバーに余念がない。
藍原選手を前陣に置いてクセ球を攻撃の主軸に置きつつ、自身は後衛で走り回り、彼女が出来ない守備面を豊富な運動量でサポート。
(恐らく菊池さん自身は、攻撃力・突破力に優れたプレイヤーじゃない)
そして藍原さんは逆に、攻撃力やサーブ能力に優れながらも、スタミナや基本技術に課題を残すタイプのプレイヤーなのだろう。
そのお互いの弱点を、お互いのプレーでカバーしている―――
―――一種の理想的な、ダブルスペア
「くっ!」
また、パワー負けだ。
放った打球は敵コートまで届かず、自陣に落ちてしまう。
「ゲーム、菊池・藍原ペア。5-2」
審判のコールと共に。
「っしゃあー!」
藍原選手が大きく叫ぶと。
「姉御、その調子ッスよー! あと1ゲーム!」
「藍原さん素敵なのー」
「あーいーはーらー!」
「あーき! あーき!」
白桜側の応援団から大きな声が上がり、彼女の名前のコールが始まる。
不思議だ。
向こうのコートでやってるダブルス1の方が人数的には多いはずなのに、こっちの応援の方が1ランク上くらいの盛り上がり方をしている。
それは、やはり―――
「えへへー。やあやあ、それほどでも無いんですけどね! みんな応援ありがとー、ありがとー、そしてありがとう!」
「いつまでも手振ってないで早く戻りますよ」
―――藍原選手
彼女がポイントを取ると、歓声が違う。応援が湧く。
1つ1つのプレーを、その出来不出来を、観客がのめり込んで見てしまうような選手―――
最後はペアの先輩にぎゅうぎゅうと背中を押されながらもベンチに引き上げて行った彼女。
少なくとも私には、あんなプレイヤーはなかなか居ないように思えた。
(大鷲台で言ったら、イブくらいだよ)
その"イブくらい"のプレイヤーがダブルス2を任されている―――都大会王者・名門白桜の選手層の厚さを、まざまざと見せつけられている気分だった。
「でも、負けるわけにはいかない」
私にだって、意地くらいある。
2つ年下のプレイヤーに良いようにやられて、黙って負けてやるわけにはいかなかった。
(少しでもいい。何か少しでも、シングルス2に繋がる良いプレーを・・・!)
このまま敵をノせて、応援を盛り上がらせて、最高の雰囲気で負けるのだけは、何としてでも阻止しなければならない。
何でも良い。ほんの少しでも、一矢報いるようなプレーをしなきゃ。
(足引っ張りっぱなしじゃ、格好がつかないもん)
ペットボトルに入ったスポーツ飲料を、ぐいっと身体に入れて、もう一度火照った身体を冷やし、頭を切り替える。
「食らいつく―――」
「鞠先輩?」
「どんなに泥臭くても、みっともなくてもいい。次のゲーム、全部の打球に必死で食らいついていこう」
隣の彼女も、今、私たちが置かれている状況は分かっているのだろう。
「はい・・・!」
しっかりと、そして力強く、頷いてくれた。
やるべき事は決まった。チームの為、勝利の為・・・。
絶対にこの試合、タダでは終わらせない!
◆
身体が軽い。
通り過ぎていく風を切るのが気持ちいい。ラケットを通じてボールにパワーが伝わる感触が逆に手を通じて頭の中に入ってくる。
―――都大会決勝では一度も無かった、
(試合を支配する感覚!!)
それが今の私には、確かにある。
打球が敵プレイヤーの遥か横を通過して、奥のフェンスにがしゃんとぶつかった。
「っ!」
言葉にするほどでもなく、小さすぎる息を吐き出すように少しだけ口元を緩めると。
長髪の先を、すっと左手で梳いてみた。
『おおお~~』
何故か上がる歓声。
(・・・?)
今、誰か何かした?
(私・・・、よね)
少しだけ違和感を覚えながらも、次のプレーに移るべく、腰を落としてラケットを構える。
―――得意のレシーブ
今なら。
確実に敵コートの厳しいところへ、威力のあるボールを打ち込む自信がある。
その確信めいたものが、今の私の心には渦巻いている。
(来い・・・!)
来い。
サーブ、来い。
私の届くところへ、そしたら。
―――レシーブ、できる!
そう思った瞬間には。
「ゲーム、水鳥。5-0!」
私は敵コートにリターンエースを決めていた。
土つかずの5-0。
分かる、この感覚。この全身を突き抜けるものの正体。
調子が良いという言葉では言い表せない何か―――
「良い表情だな」
ベンチに戻り、タオルで顔を拭いていると、不意に監督に声をかけられる。
「今のお前になら、この試合を任せられる」
「・・・!」
言われた瞬間に、頭の中を色んなことが巡った。
初めての練習試合で怒られ、2軍行きを言い渡されたこと。
葵との試合で言われた、『負けるのか』という言葉。
決勝戦での『この悔しさを忘れるな』は、今に至るまで、私の中に燻り続けている。
―――そのすべてが、
「暴れてこい、水鳥!」
―――まるで、1つに繋がったような、
「はいっ」
何かを手にした、確かな感触。
そんな充実感―――
(この試合、)
"ある決意"と共に、コート上へと戻っていく。
(このゲームで決める・・・!)
『1ゲームも与えない』
今の私にはきっと、それが出来る。
それが出来たら。
(私の中で、何かが変われる気がする)
感触をイメージに、そのイメージをより現実的な『形』に―――変えられる気がしたのだ。




