VS 大鷲台 ダブルス1 山雲・河内 対 平野・三隅 2 "この想いが届かなくても"
「はあ、はあッ―――っく」
吐き出した息が一度途切れて、さらに残ったものを最後にもう一度吐き出す。
「ゲーム、山雲・河内ペア。4-3」
ハイタッチを交わす敵ペア。
今日初めて会った人たちだけど、何となく分かる。
ああ、
(あの2人って、本当にお互いがお互いの『1番』なんだろうな)
って。
だからこその、あの息の合ったプレー。
"阿吽の呼吸"を体現するかのようにお互いの動きを完璧に読みあったコンビネーション。
灼熱の太陽は真っ赤に燃えて、直上から降り注ぐ熱線は肌をジリジリと焼き、身体から水分と体力と気力と、その他諸々をガンガン削り取っていく。
(今日の暑さは異常だな)
のど元から垂れてくる汗を手の甲で拭いながら、そんな事を思案していると
―――真澄先輩が、コート上で膝に手を付いてその荒い息を苦しそうに、もがくように吐いていた
「真澄先輩、ドンマイですよっ」
そう言って、片手では先輩の肩を抱いてお腹を支えるようにもう片手をまわす。
「苦しいですか?」
「うん・・・。ちょっとね」
「次で8ゲーム目。この試合の運動量だと、暑くなくてもしんどいですよね」
ゆっくりと、一歩ずつ。
転ばないように慎重に、ベンチへと戻っていく。
―――そうだ
―――あの人たちと『私たち』は、違う
「先輩」
―――私は、
「笑ってください」
「みすみん・・・?」
「辛い時こそ笑顔、ですよ」
言って、先輩に笑いかける。
すると真澄先輩は、やや困ったように視線を少し外しながら、何とか口元を少しだけ上げてくれた。
―――私はこの人が笑ってくれるなら、それでいい
真澄先輩が外した視線のその先・・・追わなくても分かる。
それはコートの外に向けられているんだ。
今は準備運動の途中だろうから、コート外を見たって居はしない"その人"の下へ。
(自分が1番じゃなくても、真澄先輩が笑ってくれるなら、それで・・・)
こんな辛い真実に気づいたのは、いつの事だっただろう。
◆
少なくとも、小学校の頃だったのは覚えている。
私は真澄先輩が大好きだった。当時はマトちゃんと呼んでいた。
1つ上のお姉さんで、どこか抜けた感じのするマトちゃん。私たち幼馴染5人の中で、目を離すと居なくなるのは、いつもマトちゃんだった。
「カマキリ~」
「「ぎゃー!」」
なんて言って、虫を採ってきたりすればまだ良い方。
全然帰ってこないマトちゃんを探しに行くのがその日の『あそび』になることもあった。
―――私はそんなマトちゃんが、
―――大好きだった
「マトちゃん」
「なに~?」
「よんだだけだよ」
他のみんなも大好きだけど、マトちゃんの大好きとはちょっと違う。
私の"大好き"はマトちゃんだけのものだった。
(マトちゃんも、そうおもってくれてるといいな・・・)
そんな風に考えるようになった、その頃だ。
―――マトちゃんの視線の先、なんてつまらないことに気づき始めたのは
マトちゃんはよく視線を向けている場所があった。
それは私がマトちゃんのことが大好きで、ずっと見ていたから気づいたこと。
マトちゃんの見ているものを一緒に見たい。共有したい。
そんな一心で、視線を追ったその先に居たのは―――
「もう、マト! また変なもの拾ってきて」
「えへへ。ごめんね、」
―――『カノ』
マトちゃんの言う『カノ』の一言には、違う意味が込められているのを、私は知っていた。
それは私がマトちゃんに向ける大好きが、他の大好きと違うのと同じ意味なのだろう。
子供の私にもそれくらいは分かった。
というか、それくらいしか分からなかった。
「マトちゃ」
「カノ~、ちょっとコレ切ってー。袋ー」
「あなたこんなことも出来ないでどうするの? 中学生になるのよ私たち」
「えへへ~」
―――そのやり取りに、私は入っていけなかった
入っちゃいけないと思った。
それはきっと、マトちゃんにとって辛いことだから。
(マトちゃんが辛いと・・・私も辛い)
だから私はそれを、『諦めた』。
「びええぇ~~~っ」
「みすみん、そんなに泣かないで」
「ちょっと学校離れるだけだろうがよぉ」
「いや中学と小学校は結構遠いと思う・・・」
「うええええ~~~」
「お前バカッ、ようやく泣き止みかけたのにっ」
この大泣きは、マトちゃんを諦めるための涙だった。
みんなからは、みんなと離れるのが辛いから泣いてるって思われてたし、私もそう言ったんだけれど。
ちっちゃい頃からの幼馴染たちにまで、嘘を吐いて―――でも、嘘くらい吐かなきゃ、私はマトちゃんを諦めきれないと思ったんだ。
こんな気持ち、さっさと忘れた方が良い。
だから嘘を吐いた。
自分の心の奥底にしまい込んで、辛くないって嘘を吐くことにしたんだ。
私が中学に上がる頃には、伊吹先輩が作ったテニス部はもうすっかり形を成していた。
顧問だけはまだ探し中だと言っていたけれど、外部から指導者も招聘して、秋と春の大会で結果を残したテニス部にはグラウンドの半分を毎日使う権利が与えられていたのだ。
「へへっ、すげーだろミスミ!」
「ミスミが来るまでには何とかテニス部として立派にしたいって、伊吹ったら頑張ったものね」
「うわバカ言うなっ」
伊吹先輩が嘉音先輩の口を両手でもごもごと無理矢理押さえつける。
「なんで? 言った方が良いじゃない。ミスミもあなたのこと、尊敬するかもよ?」
「ペラペラ言うことじゃねーだろ!」
「それに、黙ってた方がかっこいいし?」
「マ~リ~!」
伊吹先輩が鞠先輩に目くじらを立てている様子も、なんだか少し懐かしくて微笑ましかった。
「そ、そんなんじゃねーけど」
と、先輩はそう前置きした上で。
「また5人揃うまでに、何とかしてえって思ったんだ。悪ぃかよ・・・」
バツが悪そうに後頭部をかいて、そっぽを向いてしまう。
そこもまた、伊吹先輩っぽいなって思った。
「伊吹先輩、かわいい」
「なっ―――」
「そうやってすぐ顔真っ赤にするところも」
「っるせー! それよりお前なんだその『先輩』って」
「先輩は先輩でしょ?」
「昔みたいに『イブちゃん』で良いんじゃないの?」
すかさず、鞠先輩がフォローを入れてくれるが。
「ううん。いいんだ。一応中学生になったんだし、これで―――ね、」
そして私は、彼女の名前を呼ぶ。
「真澄先輩」
この呼び方は、自分の本当の気持ちが溢れてくるのを抑えつけるのに丁度良かった。
もうマトちゃんじゃない。
そう、自分に言い聞かせるのには。
「カノ、カノ!」
「なーに?」
「四つ葉のクローバー! あげる!」
「あらステキ。ありがとマト」
―――だってもう、1年だよ
「・・・」
傍目から見ても、あの2人の間に割って入れないのは明らかだった。
2人だけの空間が出来上がっていたんだ。
この1年の間に、何があったかなんて、そんな残酷なこと、
―――考えたくもない
(マトちゃん、ごめんね)
やっぱり私、ダメみたいだ。
諦めようかと思ってたけど、マトちゃんの嬉しそうな表情を見ているだけで。
どす黒い気持ちが、お腹の底から溢れてくる。
こんなのヤダ。私、なんて醜いの。
そうやって自分を抑えつけても、どうしても―――
(真澄先輩と、嘉音先輩、)
ダメみたいだった。
(上手くいかなくなっちゃえばいいのに)
そんな事を考えてしまう自分が、どうしようもなくそこに居て。
「マトはそれでいいの!?」
「今のマト、私には分かんないよ!」
それが現実になった時―――
(ああ、ダメだ私・・・)
今、何を考えようとした?
今、何を考えた?
私は、その瞬間に。
ほんの一瞬だけ。
笑いが込み上げてきて、それが表面に出ないよう、必死に抑え込んだ。
(最低の人間だ・・・)
こんな奴、チームに居ちゃいけない。
チームメイトの不幸を嗤う、こんな卑しい人間―――
◆
私の真正面に来た威力の高いボールを、何とか低い弾道で跳ね返す。
「真澄先輩ッ!」
次、こっちにボールが返ってきた時が勝負だ。
あの打球を返されたのは向こうも想定外だったはず。ならば次に敵が狙ってくるのは、真澄先輩―――
(対策通り!!)
白桜ダブルスの基本戦術―――それに従えば、そうなることはもう分かっている。
先輩がそのボールに手を伸ばし、渾身のバックハンドショットをクロスに叩き込む。
「ゲーム、平野・三隅ペア。4-4!」
―――退いていない!
全国優勝ペアを倒したあの山雲・河内ペアに、私たちは一歩も退いていない。
五分のテニスが出来ている。
「みすみん!」
「真澄先輩っ!」
ぱん、と手のひらと手のひらを合わせ、ハイタッチ。
(私は先輩の『1番』じゃないのかもしれない。それでも―――)
先輩が私の『1番』であることに、なんら変わりはない。
それだけでいい。
私は真澄先輩を想っているから、それでいいんだ。
(私はこの大鷲台テニス部のみんなで・・・全国に行きたい!!)
夢だった。
あの5人で何か大きなことを為すなんて、ただの夢物語だったんだ。
小さな頃。
今日は何しようとみんなで広げた宝の地図が―――今はもう、すぐそこに。




