軋み
―――関東大会初戦、2日前
練習もいよいよ本番を想定した実践的なものが多くなってきた。
明日は開会式もあるし、試合前日ということもあって厳しい練習メニューは少ない。
・・・端的に言えば、今日の練習が1番厳しい、と言うことになる。
「先輩! ここは任せてください!!」
前衛と後衛の中間地点に、やや甘いボールが浮く。
「ッ・・・!」
落ちてくるそのボールに照準を定め、重心を足に置きながら、ジャンプするような感覚で気持ちを上へ上へ。
(なるべく、上から下へ振り下ろすような感覚で―――)
スマッシュを、打ち込む!!
真芯で捉えた感覚と、気持ちの良い打球音がした。
叩きつけたようなスマッシュは相手コートで大きく跳ね、コートに居る2人の間を抜けていく。
「ゲーム、菊池・藍原ペア。6-6」
審判役の先輩のコールを聞いて、思わず胸をなでおろす。
「タイブレークだあ~~~」
一時はマッチポイントを取られたゲームを、ここまで巻き返せたのは単純に嬉しい。
「さすがだね、このみ。藍原さん」
「敵に回すととんでもないしつこさですわ・・・。最後の1ポイントが全然決まりませんもの」
「そこが2人の強みなんだろうね」
敵コートに居る熊原先輩、仁科先輩が息も絶え絶えになりながら呟く。
「でも、攻撃力においては智景のペアの方が一枚上手ですよ。体力が切れてくる終盤までは押されっぱなしでしたし」
このみ先輩が、ラケットを担ぎながら先輩たち2人に話しかける。
わたしはと、言うと―――
「だあ~・・・、はあ、はあ・・・んぐっ、はあぁあぁ」
膝に手を付いて、呼吸を整えようとすることで精いっぱいだった。
(この人達、12ゲーム本気でやって、まだ喋れる余裕あるの・・・!?)
わたしにそれは無い。
日もとっくに暮れて、ナイター設備で昼間のように照らされているとはいえ、1日の終わりだ。
今日1日、厳しい練習メニューをこなしてきた。その最後の最後に、まだ体力的余裕が残っている先輩たちはさすがとしか言いようがない。
こっちはもう、ちょっと気を抜いたら倒れちゃいそうなのに。
「ほら、藍原さん苦しそうだし、タイブレーク前の最後の休憩にしようよ」
「そうですわね」
「行きますよ藍原」
「あ゛い゛・・・」
先輩たちの一声で、ベンチへ退き返していく。
「お疲れ。このみ、藍原ちゃん」
そこには。
「まりか? どうしたんですかこんなところで」
予想外の来客があった。
「や、ちょっとね。試合を見てて気になったことがあったから、それだけ言っておこうと思って」
「気になったこと?」
部長はピンと立てた右手の人差し指をほっぺに付けながら、すっと視線をわたしの方へ向ける。
「藍原ちゃん、ラケットの先端が普段より下がってたよ」
ペットボトルのスポーツドリンクを飲みきったわたしは、口元を手の甲で拭いながら耳を傾けた。
「猛練習の終盤で疲れてるのは分かるけど、こういう極限状態の時だからこそ、基礎中の基礎が疎かにならないようにね。1つ1つ確実にやっていこう。こんな何でもないところから、フォームが崩れていく事もあるから」
「は、はいっ」
自分でも気づかなかった。
疲れもあったし、実戦形式の練習が続いていたからフォームを強く意識することもなかったからだ。
「こういう事はこのみ。君が気づいてあげなきゃ。試合中や練習中、藍原ちゃんの1番近くで彼女を見ていられるのは君なんだから」
そして部長は、このみ先輩にもやんわりとした口調で。
「藍原ちゃんのフォームやテイクバックは独特だ。フォームが乱れているのかいないのか、コートの外からじゃ判断が難しい。だからこそ、1番近くに居るこのみがそれを見逃したらダメだよ」
だけど、厳しい口調じゃなかったけれど。
内容は同級生への叱咤―――言われたくないのは勿論、"言いたくもない言葉"だ。
「分かりました。私も疲れてて、そこまで気がまわりませんでしたよ。藍原の保護者面してるくせに、まだまだですね」
「私が言いたかったのはそれだけだから。ごめんね、ランニング中にふと気づいて、言わないわけにはいかなかったんだ」
「いえ、助かりましたよ。藍原もまりかに言われるのが1番効くと思いますし」
おや。
今、流すようにさらっと言ってたけど、部長、すごく重要なこと言ってたような・・・。
「ランニングって、足はもういいんですか!?」
ここ1週間弱、部長は上半身や筋力強化の練習だけで下半身を使った練習メニューは行っていなかったはずだ。
決勝戦で負った右足の負傷―――ずっと治ってなかったと思ってたのに。
「うん、まあね。お医者さんからも試合をする程度ならもう何の問題も無いって」
その言葉を聞いて、思わずこのみ先輩と顔を見合わす。
「やりましたね、まりか!」
「なんとか関東大会初戦に間に合ったよ」
部長は少しだけ、口元を緩め。
「私のワガママを押し通したんだ。何が何でも治すつもりだったけど・・・改めて、安心した」
そう語る部長の表情はとても嬉しそうで。
右足首を伸ばし、とんとんと地面を軽くたたく仕草は軽快。
「負ければ終わりの関東大会1回戦―――私が出ないわけにはいかないからね」
そしてその言葉からは、エースとしての自覚が滲み出ていた。
◆
練習後、片付けが終わった後。
選手同士で歓談しているその間を突っ切って、私は寮への道を足早に歩み始めた。
「ねえ」
室内練習場の角をまっすぐ進もうとしたところで、誰かに話しかけられる。
けれど、声色から大体誰かは想像がついていた。
「新倉。アンタ、なに焦ってんの?」
私は足を止め、彼女の方へ向き直る。
「河内さん・・・」
そこに居たのは同級生の河内瑞稀さんだった。
この子が山雲先輩と一緒に居ない―――1人だったことにも驚いたが、それ以上にこんな誰も居ないような場所で、私に話しかけてきたことが意外だった。
普段なら、こんな事はまずない。
「何か、用かしら」
だから私は無用に驚いたりせず、平静を装いそう返す。
「何か用かしら、じゃないよ」
距離が離れていても、暗くて表情が見づらくても、声で分かる。
「なに? 今日の練習」
河内さんが明らかに怒っていることくらい。
「監督やコーチは"あれ"が気合の表れかもしれないって期待してるから余計なこと言わないんだよ。そりゃアンタはこれまでチームに貢献し続けてきたし、実績もあるからね。そこまで信頼されてるアンタが、こんな事でどうするんだよ・・・!」
「・・・何の話?」
「あたしには分かるんだよっ」
彼女は腕を組んだまま練習場の壁にもたれ、こちらを下から覗き込むような鋭い視線で睨むと。
「アンタが、ただ焦ってるだけだって」
言って、こちらから視線を外さない。
『あたしの納得する答えを言うまで逃がさない』と言った風の雰囲気だ。
「新倉らしくもないじゃん!」
「私らしくない・・・?」
その言葉が。
「そうだよ。今のアンタからはまったく余裕が感じられない。何を・・・」
「私らしくないって」
まるで心臓に杭を打たれたように。
「私らしいって、何・・・?」
全身に響き渡ったのを感じた。
「新倉・・・?」
「ねえ河内さん。私らしいって、"私らしさ"って何なの?」
「それは」
「"貴女から見た新倉燐"の姿が、私らしいって、そういうこと?」
嘘みたいに、言葉が溢れ出してくる。
まるで打たれた杭の穴から、心臓の中にあるものが零れていくように。
「・・・」
一拍置いても、河内さんは何も言わない。
「答えられないの? じゃあ、適当なこと言わないで」
「新倉・・・!」
「私らしいとか、私らしくないとか、私らしさとか・・・。そんな曖昧なこと、言わないで」
だから、"無視"することにした。
「私は新倉燐。それ以上でも、以下でもない」
耳を塞いで、何も聞こえないように。




