天国か地獄か 後編
「死のCブロックだね」
「うん」
抽選会場からの帰り、コーチの運転する車に揺られながら、後部座席で咲来とトーナメント表を改めて確認していた。
まだオレンジ色には少し早い太陽が、絶妙な位置から車内を照らしているせいで、眩しさが半端無い。
手元にあるスマホの写真が日光で薄ぼけてしまっているくらいには・・・。
「1回戦柏大海浜と黒永、そこで勝っても準々決勝で籐愛甲府と、準決勝では青稜大附属とぶつかるわけだ」
「普段ならまりかが引きそうな番号だったよね」
「穂高さんに悪運が移ったことを祈るよ・・・」
別に、呪いを移動させる術式とか発動させた覚えはないんだけれど。
あの決勝戦でもし、白桜が負けてくじを引いていたら、あの番号だったのかも―――と解釈すると、少しだけ納得がいく。いやくじ運に納得も理屈も無いのは分かっている。分かってはいる。でも。
「なんか、強豪校ひしめくところに自分たちが居ないってなると、ちょっとむず痒いな」
「そっちの方が燃えるのにってこと?」
「ううん。そうじゃないんだけど・・・なんか、本当にこれで良かったのかなって」
居心地の悪さ。
何かを忘れているんじゃないかという謎の焦燥感。
「もう、まりか。くじ運の悪さに慣れ過ぎておかしくなっちゃってるんだよ」
そう。
多分、私が今、感じているものの正体は"それ"だ。
「なのかな・・・」
呟きながら、白桜付近へと目を落とす。
「1回戦の対戦相手、大鷲台中学―――」
資料によれば、千葉県大会準優勝のチームらしい。
「県大会、ノーシードながら数々の強豪校を倒して決勝まで進んだチーム。でも決勝戦では柏大海浜に3連敗で負けてるね」
「千葉の名門相手に尻込みして本来の力が出せなかったのか、それとも準決勝までの激戦で力尽きたのか、単に柏大が強すぎたのか・・・」
「白桜からしたら、1番最後の説だと助かるなぁ」
だけど、私たちは知っている。
「こういうダークホースが勢いを持ったままぶつかってくることの怖さは、地区予選で散々味わった」
「葛西第二戦―――」
あの時、地区予選で初めて監督から『勝ち前提の試合だと思うな』と念を押された。
結局、私に試合がまわってくることは無かったけど、あのチームの力と勢いは想像以上のものだったのだ。下から突き上げてくるものの怖さと、失うものは何もないの精神で突っ込んでくる敵の強さを、印象付けられた試合だったのはよく覚えている。
「油断は大敵だよ。相手の実績に関係なく、全力で試合をするようにみんなの気持ちを持って行かなくちゃ」
「うん。それが私たちの役目だしね」
「今、思えば・・・黒永戦はそこを心配することは全くなかった。勝てば優勝の試合だったし、3年間の因縁や宿命みたいなものが数えきれないくらいあった。でも、ここから先の敵は、ほとんど戦ったこともないような相手が大半―――」
その相手に対して、如何に高いモチベーションを持って戦えるか。
本来の力を出し切れず、私たちの3年間が終わるようなことだけは絶対に避けなきゃならない。
「試合に対する考え方も、臨機応変にしていく必要があるね」
「その辺も、これから帰ってしっかりミーティングしておこう」
1回戦を勝てば、すぐに準々決勝。
その相手も―――
(神奈川県大会準優勝の横浜南と栃木・鶴臣の勝者か・・・)
侮れない相手ではあるものの、黒永の対戦相手よりは1つ、ランクが落ちるチーム。
準決勝まで勝ち上がれば、ようやく龍崎麻里亜選手率いる灰ヶ峰との試合になる。
そこまで考えたところで―――抽選会の前、にこやかに笑いながら話をした彼女の記憶が脳裏をかすめた。
「初瀬田は・・・」
ぼそっと、それだけ言っただけで。
「1回戦は群馬の柳学館とだね」
意図を全部汲み取ってくれる咲来は、やっぱり最高の副部長だ。
「でも、準々決勝―――」
「青稜大附属戦、か」
1回戦で柏大海浜と当たる黒永が1番悪いくじを引いたのは間違いないけれど、初瀬田も厳しい道を歩むことになるのは必至だろう。
最も、初瀬田は抽選順が後ろから2番目だったから、"ここ"じゃないもう一方のくじを引いていたら灰ヶ峰の真横だったわけだけれど。
(神奈川3位のあのチーム・・・くじを引かずして・・・)
何故か、他人事だとは思えなかったので、眉間にしわを寄せ目を瞑って彼女たちを弔う。
・・・隣に座っている咲来からは、会話の途中に急に表情険しくしてどうしたんだろうとか思われてそうだけど、気にしないでおこうか。
深くはツッコんで来ず、流してくれるのが咲来の優しさだったりするんだ。
◆
コートを駆ける少女からは華麗さなどなく、どんなボールにも食らいついていく泥臭さが前面に出ていた。
最後の瞬間までトップスピードを落とさず、そのボールを叩いては、相手コートのネット際に落とす。
「すごい水鳥さん! 今のよく返せたねっ!?」
「ちょっと厳しいところに打ち過ぎちゃったかなって思ったんだけど」
「大丈夫です! もう1本、厳しいところにください!!」
先輩たちに向かってそう叫ぶ彼女には、入部当初の弱弱しく、自己主張も間違ったところへといってしまっていた面影はない。
(レギュラーの自覚―――)
そういうものが、芽生えつつあるのかもしれない。
自分が白桜シングルスの一角を担っているという、そういう自負みたいなものを感じはじめているのだとしたら。
(次の試合、楽しみだな)
本人の士気と意欲も非常に高い。
関東という1つ上のランクの選手を相手にして、今みたいなプレーが出来るのなら、彼女の地位は揺るがないものになるだろう。
「うわっ!」
それに、シングルスと言えば少し気になることがある。
「新倉さん、ちょっと強いよ。気持ち、抑えて!」
「・・・すみません」
「今の審判によっちゃアウトにされちゃうくらいライン上ギリギリだったから」
「無理に強く叩こうとせず、余裕を持ってもいいかもね」
「次、お願いします」
―――新倉燐
(気合が入り過ぎているだけかなのか・・・)
都大会準決勝の試合以来、新倉に関して、何か違和感のようなものが散見できる。
それは小さな小さな針が身体のどこかに刺さっているだけの僅かな違和感・・・いや、違和感なのかどうかすらも分からない。
だがあの試合以降、新倉の様子が少し変わったのは分かる。
(これは何かの兆候なのか? それとも―――)
今の段階では何とも言えない。
普段の生活態度や、藍原、水鳥と共に精力的に自主練習をしているところからも、特に異常を感じる点は何もない。
"いつも通りの新倉燐"だ。
もともと、感情を表現するのが苦手なタイプの選手だったが故、本人が心の底で何を考えているのかが読み取れないのが、少しだけもどかしい。
「監督、少しいいですか? 明日の紅白戦のことなんですが」
「ん。ああ」
「メンバーの発表を今日のミーティング後に行いたいので―――」
考えごとを中断し、頭を紅白戦のことへと切り替えた。
(・・・些細過ぎる変化だ)
これが良いことか悪いことか、まだ判断するには早計過ぎる。
今日はそう思い、この事に関しては考えるのを一旦、先送りにすることにしたのだが―――




