天国か地獄か 前編
◆
「白桜女子さん!」
抽選会場に入る前、受付正面の小スペースで咲来と打ち合わせしていた時のこと。
可愛らしい声に呼び止められ、ふと後ろを振り向く。
「あ、」
この薄赤い色のクラシックなセーラー服、間違いない。
「初瀬田の部長の・・・七本さん」
「わー。あたしの事、知っててくれたんですか! ありがとうございます!」
「こう言っちゃなんですけど、敵チームの部長さんですから」
「それでも、超超超有名人・あの"白桜の久我さん"が名前を覚えてくれてるなんて、嬉しいですー。きゃー」
嬉しがってくれているとはいえ、ただのミーハーと大差ないような反応だ。
(敵・・・って、言ったよね・・・?)
自分の言葉に自信がなくなるくらいの喜びように、思わず困惑する。
「ごめんなさい。驚いたでしょう? 響希ちゃんてば、いつもこんな調子だから」
「だって凄いよ風花! あの綾野さんに勝った久我さんだよ?」
「・・・私だって、響希ちゃんの為なら勝てるもん」
えー、その。
「あの」
「・・・」
「鏡藤風花さん、だよね?」
どこからか戻ってきたのか、七本さんに合流した"彼女"に話しかける。
―――だって、"彼女の方"は知らない顔でもないから
(ジュニア全国選抜―――3年前、私たちは同じチームで世界を相手に戦った)
その中で、一際『綺麗なテニス』をする少女のことを、私は忘れたことが無い。
まるで演舞を踊るように美しく、リズムとテンポの取れたテニス。他のどこでも見たことが無い、彼女だけのテニス。そして。
(数週間前、五十鈴を追い詰めたあの試合で)
私は、君と再会している。
鏡藤さんからしたら、意図せぬ出来事だろうが。
「はい。私が鏡藤風花です。ジュニア選抜以来ですね、久我さん」
「君も、私のこと覚えててくれたんだ」
「貴女は有名人ですから」
それに、と付け足す形で。
「人の顔を覚えることには慣れていますので」
と言って、うふふと笑う。
「・・・変わったな」
「え?」
「いや、ごめん・・・急に。でも、鏡藤さん―――君、変わったよ。すごく明るく、柔らかく、可愛くなった」
少なくとも、私の記憶の中に居る鏡藤風花は、今みたいな笑い方はしなかった。
私が見た鏡藤はどこまでも美しく、洗練されていて、何の混じり気もないそんな色をしていた。孤高―――どこか、人を寄せ付けない雰囲気すらあったのだ。当時の私がそれを感じ取り、彼女に話しかけるのを躊躇する程度には。
「むむっ。いくら久我さんでも、風花を口説くのは許せませんよ!」
「あ・・・。そんな意図は全くないんだ。気を悪くしたのなら謝ります」
「なーんだ。あたしの方こそごめんなさい。勘違いしちゃった」
「響希ちゃん以外の人に靡くことなんてありえないから安心して」
この2人からは他人の介入を許さない雰囲気というか、絶対に割って入れないようなものを感じる。
そうだ。
例えるなら咲来と河内さんみたいな―――
「それじゃ、あたし達は次、黒永さんに挨拶へ行くので!」
「く、黒永へも行くの?」
「あれ、ダメですか?」
「ぜんぜんっ。ダメなんてことは無いけれど・・・」
これを言うと、彼女たちに失礼だろうか。
それでも聞かずにはいられなかった。
「自分たちを負かした相手だよ?」
その黒永に、挨拶って―――
「はい。でも、部長としての役目ですから」
こんな戸惑いを、彼女は一蹴する。
「あたし達は都大会でも上位に来たの久々だし、初瀬田は強豪校との交流もあまりなかったので、この機会に強豪校との関係づくりをしておきたいんです」
「・・・!」
この子―――
「そしたら、後輩たちが練習試合とか組みやすくなると思うし・・・。ゆくゆくは自分たちの為ですので!」
「すごいな」
「へぇっ?」
「私じゃ、そこまで出来なかったと思う」
この名門白桜ではなく、彼女たちのような一般中学に入学して、部長になったとして―――今の七本さんのような振る舞いが、私に出来たか? 考えもしなかっただろう。
「頑張ってください」
「はい! 勿論、白桜と当たることがあったら初瀬田が勝ちますよ!」
「都大会優勝校として、そこは譲れないな」
風のように吹き抜けていった七本さんと鏡藤さん。
彼女たちの爽やかなムードが、私の心に小さくない響きを残していった。
その確かな感触が、最後に握手を交わした右手から、なかなか離れていかなかったのだ―――
◆
『第1シードの白桜は"1番"になります』
場内のアナウンスと共に、まりかが"白桜女子"と書かれた札を係の人へ手渡す。
檀上でライトを浴びる彼女の姿は普段では考えられないくらいキリッとしていて、この眩しさが照明の明るさだけでもたらされたものじゃないことを確信させてくれる。
(コートの中だと、いつもああだもんね)
多分、まりかの"スイッチが入った状態"って言うのがあれなんだろうなと思う。
今の彼女なら、どこに出しても恥ずかしくない。私たちの代表―――部長なんだって、胸を張って言えるんだ。
(寮とか学校でも、そうやってくれてたらなぁ)
うん、そこがちょっと残念かな。
瑞稀に比べたらそこがね。あの子は部屋から一歩出たら、いつも私のことを想ってキッチリしてくれるし、危ないものから守ってくれるし、あと意外と勉強もできるし・・・。
(意外とは余計か)
普通に勉強もできるし。
(って、そうじゃないそうじゃない!)
ぶんぶんと頭を振って、気持ちを切り替える。
「咲来。どうしたの? 頭痛い?」
いつの間にか檀上から戻ってきたまりかの顔がこちらを覗いていた。
「ううん。ちょっと気が散っちゃって」
「珍しいね」
「そ、そうだよね。集中しなきゃ」
私は副部長としてこの場に居るんだから―――
ふと目を落とすと、トーナメント表をメモしておこうとしていたスマホ画面が真っ白だ。
(集中集中!)
ものの数秒で、四角で囲った部分に『白桜女子』と打ち込む。
コーチがノートに部の正式な記録として残してくれてるし、後々トーナメント表を写真で撮る予定だけど、そう言うことじゃない。
これは副部長として、私のポリシーみたいなものだ。
対戦校の名前が載ったトーナメント表を、自分で作る。
そうすることで対戦校の名前を憶えられるし、何よりこのチームはどうとか、こことここが準々決勝で当たるんだとか、そう言うのを確認する意味合いもある。
それで少しでも、引き締まった思いで練習が出来るのなら―――それに越したことはない。
『第4シードの灰ヶ峰は"8番"になります』
檀上に居るのはエースで部長の龍崎さん―――ではなく、副部長の松田さん。
(龍崎さん、どうしたんだろう)
彼女が何らかの理由で壇上に行けないから、副部長の彼女があそこに居るのだ。
急に体調を崩したとか、そういうことだろうか。
松田さんはキリッとした顔立ちと長い黒髪ロングを背中の後ろ辺りで小さく2つに結った麗人だ。
(まりかより、黒永の穂高さんに近いタイプっぽいな)
そんな印象を受ける。
ほぼ初対面の相手なので、真偽のほどは分からないけれど。
シード校が事前に決められた番号どおりにトーナメントに名前を置くと、いよいよノーシードのチームがくじを引く番になる。先頭を切るのは―――
「山梨の"怪童"中田さん率いる籐愛甲府か」
籐愛甲府の部長さんが箱に手を入れ、すぐに取り出すと。
「12番です」
学校名が書かれた札が、『12』と書かれたところの下へかけられる。
「良い番号引いたね」
「準々決勝の柏大京浜戦に勝てば全国も見えてくる位置だ」
まりかが苦笑いを浮かべながら頷く。
自分がくじを引いたときのことを考えているのだろうか。
その後も、順当に番号が読み上げられ、トーナメント表が埋まっていく。今のところ、大きな波乱はない。そう、今のところ―――
だが。
「・・・!」
『彼女』が登壇した瞬間に。
「黒永だ」
「うわー、きたかー」
「お願いだから別の山いってよー」
「青稜の横! お願いっ」
悲鳴と祈りが入り混じったようなざわつきが、会場を駆け抜けた。
「・・・」
それを一瞥するようにこちらをちらりと見た穂高さんが。
「ふっ」
何か面白いものでも見たかのように、笑って息を1つ噴き出したのを、私は見逃さなかった。
「笑ってるよ」
「何にだろ?」
「この会場の様子に、じゃない?」
「あー・・・」
さすが、まりか。
くじを引くだけでこの盛り上がりよう、悲鳴まで出てる始末のこの会場を笑ったのなら、なんだか穂高さんらしい気がする。
(どこに入ろうが関係ないって思ってそうだもん)
それだけの実力を持ったチームだ、黒永は。
穂高さんは箱に手を突っ込むと、全く迷う様子もなく即座に腕を振り上げ。
「10番です!」
刹那、会場が震えた。
「い、1回戦でいきなり柏大と黒永・・・!?」
「準決勝でもおかしくないカードだよ!」
「ってことは、どっちかは負けた時点で全国への道が終わるの!?」
「きっつー」
この震えはしばらく落ち着くことが無かった。
誰よりも1番動揺していたのは柏大海浜の部長と副部長だったのだ。くじ番号が読み上げられた瞬間に、副部長の選手は席を立って会場から出て行った。
「うわー・・・」
そして会場が少しだけ落ち着くと、まりかは手で口を押えながら。
「穂高さんも柏大海浜も、くじ運無いなー」
小さくボソッと呟く。
他人事だとは思えないだろう。まりかの表情はその真意が読み取れないほど神妙なものだった。
その時。
「2番ッ!」
白桜の1回戦の対戦相手が、檀上には居た―――




