ニュー・ゲーム・スタート!
「今年の関東大会は過去に類を見ない混沌とした状態になっている」
ホワイトボードの前でいつものように腕組みをしながら仁王立ちしている監督。
練習後のミーティング―――今日はいつもの倍の時間を設定されたその会合は、白桜女子テニス部部員寮の食堂で執り行われていた。
それに参加するわたしの中にはピリッとした緊張感があり、眠いはずの目をバッチリと開けてくれている。
いつもより倍の時間をかけてミーティングを行う、その理由はただ1つ。
関東大会で対戦するであろうチームを知って―――その分析と対策を聞くこと!
「白桜が関東の絶対王者である黒永を打倒した為だ。これによって、白桜は第1シードを獲得したが、逆に黒永はノーシードで大会に出場することになる」
「他校にとっては脅威ですね・・・」
「どういうことですか?」
はいはーい、と手を振って質問をしてみる。
すると、それは私がお答えしましょう、と監督の向かい隣に居たコーチが。
「シード権とはいわばトーナメント表の確定番号のことよ。関東大会の場合、第1シードは『1』、第2シードは『16』、第3シードは『9』、第4シードは『8』の番号が割り振られるの」
「優勝候補同士が1回戦で急にぶつかって潰し合いになる事を防ぐ為のシステムですね」
「な、なるほど」
このみ先輩の補足説明を聞いて、何となく理解できたような気がする。
「本来ならね。ただ、黒永は都大会の準優勝校とはいえ、関東大会でも普通に優勝候補の強いチーム。その学校がノーシード・・・くじ引きに参加するっていうのは他校からしたらとんでもないことなの。1回戦でいきなり黒永と当たりたいチームなんて無いでしょうから」
「白桜が1回戦で黒永と当たる可能性は無いんですか?」
「シード校は同じ都県の代表校と1回戦では当たらないようになってるから、そこは大丈夫よ」
「改めて考えると至れりつくせりですよね」
うわー、なんか・・・すごい。
「この"副賞"はデカイッスね・・・」
隣に座る万理が冷や汗をかきながらも、その糸目の奥が少しだけ輝いているように見えた。
きっとこの子は、楽しいんだ。
こういう話を聞くことも、考えることも―――
(そういう性質だもんね)
うんうん、と勝手に納得して首を縦に振る。
「話を本題に移そう。そのシード権を獲得した、各県の王者についてだ」
ホワイトボードに貼られた写真や資料、書かれた学校名などに、目を向ける。
「まずは何を置いてもこのチーム―――第2シードを持つ神奈川の女王、『青稜大附属中学』」
手元に配られた資料へ、目を落とす。
「名門青稜において2年生にしてエースを掴んだ『一条汐莉』さんを中心としたチームですね」
派手な赤髪が目を引く、美人さん。右側で結んだリボンの色が正反対の群青色をしているところも、その派手さを引き立たせていた。
活発そうに釣り上がった目元や瞳から、活発で強気な印象を受ける。
「関東の2年生シングルスプレイヤーなら新倉さんか、この一条さんか・・・あとは山梨の中田さんが世代ナンバー1を競っていると言っても過言ではないほどの実力者です」
「燐は去年、直接戦ったことあるよね?」
コーチの言葉から、部長が燐先輩へ質問を繋ぐ。
「ええ。ギリギリの試合でしたけれど、勝てました。性格通りの攻撃的なテニスをしてくるプレイヤーです。ただ、」
「ただ?」
「テニスと直接関係ないかもしれないですけど・・・ちょっと変な子です」
この場に居たほとんどの人が、首を捻ったと思う。わたしもだ。
「燐先輩、どーゆーことですか?」
「うーん。なんて言えばいいのか、どの言葉が適切なのかが分からない・・・」
気軽に質問してみたけれど、燐先輩が本当に困っている様子だったから、これ以上は追及しないでおく。
(プレーに関係しないことなら、そこまで深く知らなくてもいいよね)
そう納得して、話の続きを聞くことに。
「更に青稜の3年生は脅威だ。部長の樋田をはじめとして神奈川を代表する選手たちが揃っている。その証拠に、青稜は圧倒的な大差で神奈川大会を優勝したチームだ」
「関東の3年生世代全体に言えることですが、この世代は越境して東京に進学した選手が極端に少ないんです」
その説明をしようかしまいか、迷ったように。
「原因は、恐らく―――」
コーチは部長の方へ目を遣る。
「黒永・・・いや、もっと言えば五十鈴の影響、ですよね」
「はい。綾野五十鈴さんが東京の有力選手をかき集めて黒永に進学したこと・・・それによって東京が黒永の天下になることを見越し、他県から有名選手が東京へ来ることが極端に少なかったのが今の3年生の世代―――」
「だから、今の3年生が最上級生になった今年のチームは、どこもここ数年で1番強い状態である学校が多い」
「あの試合の後、五十鈴は言っていました。『黒永が抑え付けてきた関東の強豪たちが、今度は自分たちが関東のトップを獲ろうと躍起なるだろう』って」
「当然の帰結だな」
全国でも最強クラスの黒永に勝って、ちょっとだけ天狗になっていたその鼻をへし折られた気分だ。
(天狗になんて、なってる場合じゃない・・・!)
ここから進む関東大会の道は、より一層険しく、禍々しくなる―――
―――話を聞く先輩たちの表情が、それを物語っていた
「そして青稜を語る上で外せない選手がもう1人・・・」
そう。
わたしが1番、話が聞きたかったのは。
「1年生で青稜のレギュラーを掴んだ『宮嶋美南』選手」
この1年生のこと―――
「プレースタイルや選手のタイプとしては久我さんや黒永の綾野選手に近いテニスをする選手です」
「天才タイプって事ですか・・・!」
思い切って、コーチに質問してみる。
だってこの子のこと、気になるんだもん。同じ1年生だし、名門でレギュラーを獲ったことも。
そして今、天才タイプだって聞いて、余計に。
「ところが、考え方や普段の言動に関しては貴女に近いタイプですよ、藍原さん」
「えっ?」
まったく想定していなかった言葉に、変な声が出てしまった。
「ムードメーカー的存在・・・突飛な言動も多いがそれが良い方向に作用するタイプだと聞いている。実際、この選手が勝つとチームに活気が出る。この辺は後で映像で確認しておこう」
はい、という声が前から後ろから監督の方へ返っていく。
わたしもワンテンポ遅れたが、大きな声で返事をしておいた。
「関東の名門という括りなら、このチームも外せませんね。埼玉県大会優勝チーム、第4シードの『灰ヶ峰中学』」
あ、資料変わるんだ。
そう思って手元を確認したけど、どこを開けば良いのか分からなくなってしまった。
少しの間、困っていると。
「ここよ。千葉の柏大海浜の次」
見かねた左隣の文香が、すっと手を差し伸べて資料をめくってくれた。
しかも丁度、灰ヶ峰のページをジャストで。
「わ、あ、ありがと文香」
「まったく。貴女、コートの外じゃてんでダメなんだから」
「『私が着いてなきゃ、危なっかしくて見てられないわ』ッスか?」
「・・・踏むわよ?」
おちょくる万理を、言葉一つで封殺する。
(怖えーッス・・・)
万理が顔を真っ青にしているところで。
「灰ヶ峰というチームの特徴は」
コーチによるチーム紹介が始まった。
「なんと言っても、エースで部長、チームを支配する"幼帝"・・・『龍崎麻里亜』さん。この子に尽きると言っても過言ではありません」
「あっ」
そこで。
「長谷川さん?」
万理が「やべっ」というようなあからさまに嫌な顔をして、口を両手で押さえる。
「どうかしましたか?」
「い、いえ。ウチ、この人ちょっと知ってるんで。その、思わず・・・」
こんなにしどろもどろになってる万理は珍しい。
初めて見たかもしれない。
「そう言えば、長谷川は埼玉出身だったな」
「は、はいッス!」
滅多に話さない監督に直接名前を呼ばれたことが効いたのだろう、背筋を伸ばす万理。
(分かるよ。怖いから最初、緊張するよね・・・)
うんうん、と頷く。
わたしにもそういう頃があったよ。万理、そこはみんなが通る道なんだ。
「知っている、とは?」
コーチの言葉に、万理は観念したのか―――
「面識があるんス・・・」
その事実を、包み隠さず吐いた。
「長谷川さんから見てどうだったかしら? この龍崎選手は」
「みんなから尊敬され、愛されると同時に怖がられてもいるっていう不思議な人でしたッス。この人の周りにはいつも親衛隊みたいな人達が居て・・・っていうか、そういう人たちを従えてた感じッスね」
それは、わたしの知らない万理の記憶。
彼女が自分の過去を語るのは珍しいことなので、ぽかんと万理の方を見て、聞き入ってしまう。
「なんか、」
万理の表情はどこか、暗く。
「『幼帝』って、言い得て妙でこれ以上無い二つ名だと思うッス・・・」
何かを恐れているかのように、切迫していた。




