あの日と同じ宝物
「都大会優勝、おめでとうございます」
理事長室に備え付けられた、黒色の革ソファへと腰を落ち着けると、校長が話を切り出した。
この場に居るのは白桜女子中等部の校長、理事長、そして私。
いわゆる、お偉方に呼び出されたと言う格好になる。
「ありがとうございます」
「篠岡先生が念願としていた黒永の打倒、遂に叶いましたね」
校長は白髪の高齢女性。
柔和で人が好さそうな人だというのがこの学校に着任して以来の印象だった。
「特に全国的にも有名な綾野選手を打ち負かした久我さんへの注目度は一気に上がりました。これで来年度の新入生も・・・こほん」
何か話が別のところに逸れそうなのを、自重する校長先生。
「まだまだです。我々の目標はあくまで全国制覇―――そこに到達するまでが、テニス部の戦いです」
「さすがですね」
そこで―――
「今年度も貴女にテニス部を任せて正解でした」
理事長の言葉が、場を走る。
「実は昨年の秋季大会が終わった段階で、貴女の進退をどうするかという話も出ていたのですよ」
「・・・」
理事長は年の割にはかなり若く見える人だ。(実年齢がいくつかは定かではない)
少なくとも私より少し年上か、下手したら同年代くらいの外見をしている。綺麗な群青色の髪を短くまとめた、清楚で凛とした印象を受ける女性。
「結局、後任が見つからず有耶無耶になりましたが・・・。この都大会優勝という結果で貴女をどうこうしようという声は無くなるでしょう。OG会や支援してくださる皆さんも良い顔をするでしょうね」
「だと良いのですが」
「貴女に直接会いたいと言ってくださる方もいらっしゃいます。これから練習の合間に、そういう時間を設けていただけると私としても助かるのですが。どうでしょう?」
「部を預かる監督というのは、それも仕事の1つだと自負しています。是非、よろしくお願いします」
篠岡先生は理解のある方で助かるわ~、と校長。
OG会や後援会に嫌われて良いことなど1つも無い。逆に、良い顔をし続ければテニス部の学校内での地位はもっと向上して練習環境を更に整えることも可能だろう。
だから、私はそのために働く。
(ゆかり、君の言っていたことが今なら少しだけ分かる気がするよ)
私も、大人になったんだな―――
◆
「シノ、貴女のやり方は古すぎるわ。アナログなのよ」
高校時代。
私がテニス部の部長を、彼女が副部長を務めていたあの頃。
「今時、怒鳴っても後輩は着いて来ない。やりたくない子なんて放っておけばいいじゃない」
「そういうわけにいくもんか。私はこの部、全員で全国優勝したいんだ」
「それが古い理想像だって言ってるの」
私たちはいつも意見が合わなくて、反発しあっていた。
あまりにも合わなく、監督に迷惑をかけることも一度や二度じゃなかったのだ。
最初はどうしてこんな水と油みたいな私たちを部長と副部長にしたんだ、と悩んだことも多かったが。
(きっと監督は、私たちのどちらが正しいか・・・なんて事が言いたいんじゃないんだ)
相反する意見が混在する中でも、どうやって部の気持ちを1つにするか。
それを、分からせようとしてたんだと思う。
ゆかりはテニスの実力は勿論、コートの外での人間関係にも長けた女の子だった。
彼女を頂点にした人の流れ・・・派閥のようなものは存在していたし、その派閥を操るのが抜群に上手かった。大人には良い顔をして、教師からの心象も良い。ただ、監督は彼女の"真意"に気づいていたようだった。
「コートの中でボールを追いかけることだけが『総て』じゃないでしょう?」
私はやっぱり、そんなどこかずる賢い彼女の振る舞いや生き方が、理解できなかった。
結局、3年間一緒に居ても私とゆかりが打ち解けることはなかったのだ。
最終的に全国でそこそこの成績は収めたが、悔いの残る結果になかった感は否めない。
だからだろうか。
私は"そこ"でも、テニスを諦めきれなかった。
ゆかりがさっさとテニスを辞めたのに対して、私は現役にこだわり続けた。
目標はプロに転向してテニスで食べていけるようになることだった。そして夢である四大大会に出場する―――そう、私はずっと現役でいたかった。この身体が無理だと言うまで、テニスをしていたかったのだ。
だが、周囲の同級生が大学を卒業し、就職して社会人になった頃。
未だに何も考えず、ただ夢を追いかけている自分というものを、見つめ直すことになる。
特に、ゆかりの存在。それが大きかった。
彼女は大学を卒業すると、すぐに黒永学院の総監督に就任した。
そして今までの黒永とは大きく違うやり方で、それこそ"ゆかり流"のやり方で、初年度にして黒永を全国大会上位にまで導いたのだ。
両親はまだ私の夢を応援してくれると言ってくれたが、私には見えていた。
自分の限界や、もうこれ以上続けても体力をすり減らしていくだけだという未来が―――自分のことだから、自分が1番よく分かるのだ。
・・・私に、四大大会に出場してあの化け物たちと戦う力なんて無いことくらい。
そこから、少しだけ迷った時期があった。
ずっと、テニス"だけ"をしてきたのだ。私の人生からテニスを奪ったら何が残る? 何も残らない・・・。私のテニスが―――目の前から消えかかっている。
物心ついた頃から追いかけてきた夢。
それを手放すには、相応の覚悟と決意が必要だったのだ。
私ってなんだ? 私に何が出来る? どうやってこの先、私は私を認めていけばいいんだ?
しかし、その答えは意外なところで見つかった。
"指導者"―――
何もない日々を過ごしていたその途中で、その言葉にどうにか辿り着いたからだ。
尊敬する高校時代の恩師―――彼女のようになりたい、と。
そして、ここでも。
(ゆかりの存在が、私を鼓舞してくれた)
指導者になれば、また彼女と戦える・・・と。
中学の監督で同年代くらいの人たちは少なくない。指導者になれば、私はまだ"強敵との戦い"に身を投じられるんじゃないか・・・そんな淡い期待が無かったと言えば、嘘になる。
教員試験。
人生でほとんどしてこなかった勉強を、死ぬ気でやった。
そして学生時代の縁もあり、"白桜女子"がスポーツ部門を一新し、エリート校として全国から選手をスカウトする体制になるという話を掴み、そこからコーチ時代を経て、監督に就任することになる。
前任の監督に死ぬほど怒られたこともあり、この頃になれば自分の現役の延長線上として、自分のために指導者をやろうなどとはほとんど考えなくなっていたのだが。
私はそこで、私らしい指導を試行錯誤しながら作り出していくことになる。
選手を怒鳴ったり、叱ったり、コーチより前に出て積極的に直接指導したり。
最初はこのやり方はあまりに保守的なんじゃないかと悩んだこともあったが、ある選手が卒業後、学校を訪れてこんなことを言ってくれた。
『監督のこと、すごく怖かったです。でも、監督の下で3年間テニスが出来たの、ほんとに良かったと思ってます』
と。
この時、私は初めて本当に自分が認められたような気がした。
自分を、認められたような気がしたのだ。
そして自分の欲を満たすためではなく、選手のことを第一に想って指導することが、"指導者の資質"なんだと実感した。
監督業も板についてきた、ある年の新入生挨拶でのこと。
「初等部出身、久我まりかです。よろしくお願いします」
私は、後に"絶対に忘れられない3年間"を共にする彼女と、出会うことになる―――
◆
「もしもし」
携帯のコールが鳴ったその瞬間に画面をタップする。
『久我です。無事、抽選会場に着きました。今はコーチが手続きをしてくださってます』
「そうか。第1シード権を持っているとはいえ、お前のくじ運だと少し不安だな」
『監督までそれ言うんですかー? 大丈夫ですよ、きっと楽な山になります』
「だといいが・・・」
ふっ、と我慢しきれなくなった少しの笑いを噴いてしまう。
「気楽に見てこい。お前のくじ運が悪いせいだなんて、久我を責めるような部員は白桜には1人も居ない」
『・・・はい!』
元気で、かつどこか清楚さすら感じる活発的な声が、私の耳に届いた。
それと同時に、電話の向こう側で何やら大きな声が聞こえて―――
『すみません、抽選会が始まるみたいなので切ります』
「ああ」
そこで、通話は途切れることになる。
(今の私にとっては、誇れる選手たちが宝物なんだ)
それで、いい。
(私の意志はきっと、あの子たちに伝わっている。あの子たちが全力で戦えるのなら―――)
それが、いいんだ。
学生時代、そしてもがき続けたセミプロ時代、一度も手の届かなかった"全国制覇"。
それを求め、夢を見続ける選手たちを、そこに届くよう指導出来たら。
(夢は変わりゆく。だけど、何も変わっちゃいない)
テニスに夢を見て、生き続ける。
夢は次の世代に引き継がれて、いつかきっと、叶う日が来る。そう信じているから。
私にとってそれが、現在の夢―――
第6部 完
第7部へ続く




