夢のあとさき
白桜を包むの歓喜の渦。
少しの悲鳴と、沈痛を振り撒く黒永側。
そして、その後にやってくる―――パチパチという、温かい拍手。
―――試合は終わった
もう隠す必要もない。
私は左足にだけ力を入れて、右足を地面に着けたまま引きずるように、ネット前まで歩いていく。
「やっぱり、怪我してたんだね」
五十鈴は少しだけ下を俯いて、こちらに表情を見せないようにしながらも、淡々とした感情の読めない声をかけてくる。
「バレてたか。絶対に隠し通そうと思ってたんだけど」
「すぐ分かったよ。だから、絶対に勝てるって思った」
しかし、なるべく起伏のない喋り方をしようとしているせいで、余計に分かってしまった。
(相当、悔しいんだね―――)
言葉の端々から、簡単にそれが読み取れた。
こんな風に自分を負かした相手と話すことなんて、耐えられないに違いないなんて事が簡単に分かるほど。
本来なら何も喋らず、唇を噛み締めてさっさと握手だけして帰りたいだろうに・・・。
「7-6で、久我まりかの勝利。礼」
「「ありがとうございました」」
同時に、頭を下げて。
手を差し出す。
五十鈴は一瞬躊躇するように手を引っ込めていたけれど。
「負けたよ・・・うん。私の負けだ」
言いながら、私の手をゆっくりと握ってくれた。
それどころか―――
「・・・覚悟することだね」
「?」
「私たちは曲がりなりにも春の大会、全国で準優勝したチームだ。ここ1年間、関東大会では負けたことも無い」
彼女が口にしたのは。
「その私たちに勝った―――このニュースはあっという間に広まるよ。関東中のチームが、打倒白桜を目標に掲げて燃えてくるだろうし、徹底的に研究してくるはず」
『これから』のこと。
「王者の陥落・・・これを契機に、この1年間、"黒永が抑え付けてきた関東の強豪たち"が、今度は自分たちが関東のトップを獲ろうと躍起になるだろうよ」
その言葉は忠告―――警告に近いものだった。
ここから先はそう簡単にはいかない、という。
「おもしろい」
だから、私は。
「受けて立つよ、白桜は」
自信満々に、その言葉を受け止める。
「黒永に勝ったんだから!」
来れるもんなら、来てみろ。
私たちは逃げも隠れもしないし、そんなつもりもない。
誰の挑戦だろうと―――受けて、そして勝つ!
「それでこそだよ、まりちゃん」
その時。
私はこの試合で初めて。
「まりちゃんは本当に私たちを倒せたんだ。だからどんな奴にだって、負けないよ」
五十鈴が微笑んだ表情を、見た気がする―――
「また会おうよ。・・・そんで、今度は私が勝つ」
「ああ」
ありがとう、五十鈴。
君が居てくれたから、私はここまで強くなれた。私はここまで、来ることが出来た。
他の誰でもない、君と戦ってきたから―――
言いたいことは全部、言い合った。
試合が終わったのを噛み締めながら、足を引きずりコートから出ていく。
そして、フェンスをくぐったその先には。
「「「部長!!」」」
色んな声色の私を呼ぶ声が、私を待っていた。
(ふふ、しょうがないな)
きちんとその1つ1つに耳を傾けよう。
(私は、彼女たちの全部を背負った、部長だから―――)
その前に、1つだけ・・・言っておくことがあるんだ。
「やあ。勝ってきたよ」
◆
それから少しばかり時間が経って。
たった2校だけの、閉会式が始まった―――
『本年度夏季東京都大会、優勝―――』
そこで、一拍が置かれ。
『白桜女子中等部!』
わたしたちの名前が、読み上げられる。
それと同時に拍手が巻き起こり、僅かだがおめでとうという観衆の声も聞こえてきた。
―――だけど、
「同部長代理・・・副部長、山雲咲来選手!」
「はい」
今この場に、その賞状を受け取るべき部長の姿は無い。
咲来先輩が代理で登壇し、賞状をきっちりと受け取って、その隣で熊原先輩がトロフィーを抱えるように受け取る。
(部長、今頃どうしてるかな―――)
試合が終わるなり、担架に乗せられて病院へと直行した彼女のことに、想いを馳せてみた。
◆
「まったく無茶して!」
試合後、赤く腫れた足首を見せた時、誰よりも怒っていたのは真緒だった。
そりゃそうだよね。知ってたの、監督コーチを抜けば真緒だけだし。他のみんなは逆に引いちゃってる感じだったもん。
「野木、少し頼む」
監督は完全に私の身体を真緒に任せる。
「運転手さん。病院お願いできますか、なるべく最短ルートで・・・ええ、急患です」
彼女がタクシーの運転手と何やら話を始めた、その瞬間に。
「キツかったあ・・・」
ぽろり。
「途中で体力切れるし、足痛いし、五十鈴めちゃめちゃ強いし、ほんとダメかと思ったよおおぉ」
「ちょ、いきなり何!?」
泣き言を1つだけ、吐き出そうとしたんだ。
そしたら。
「優勝できてよかっだ・・・私が部長になってから、ロクに勝てなくて・・・優勝なんか無縁で・・・」
弱音が止まらなくなってしまった。
今までずっと、溜めこんできたから。
「ほんどによかったよ゛お゛お゛お゛」
「うわ、バカ鼻水つくからここで泣くなあああ!!」
真緒が嫌がっていても、怒られても、関係ない。
もう都大会は終わったんだ。
私は好きなようにさせてもらう。泣くし、弱音も言うんだ。
少なくとも、今日だけ・・・このタクシーが、病院に着くまでは―――
◆
「きみ」
驚いた。
「藍原ちゃん、って言うんだね」
その人はたった一人で、わたしの前にやってきたから。
それも帰りの準備を終え、みんなの輪を離れ1人になったその僅かな瞬間を、狙っていたかのように。
(綾野さん―――)
彼女に名前を呼ばれたのは、初めてで。
「おつかれさま・・・です・・・」
わたしの方もなんか『この人は特別だ』ってもう意識しちゃってるから、以前みたいにフランクには話せなかった。そんな自分が居るのが、不思議なくらいに。
「君にどうしても言っておきたいことがあってさ」
「・・・?」
訳も分からず、わたしは口を半開きにしながら首を傾ける。
「君は強くなったよ。初めて会ったあの時とは比べものにならないくらいにね」
「あ、ありがとうございますっ」
そうだ。綾野さんも、もうあの時のテンションじゃない。
目を細めて、部長と対峙していた時のような―――真面目な表情をして、わたしの方を見ている。
「だけど、まだまだだ。君が本当に『こっち側』に来たいんなら―――」
―――その時、
わたしと綾野さんの間を、一陣の風が吹き抜けた。
「全国優勝くらい、してみなよ」
「!」
「君の中の『何か』、その姿が見えてくるのは・・・そこからかな」
言いたいことだけを言って、綾野さんはくるりと踵を返す。
そして、すっと右手を挙げ。
「それじゃ、またね」
首だけこちらを振り返り、かと思うとすぐに去って行ってしまった。
「みーちゃーん、みんなー☆ ごめんごめん用事終わったからかえろーかえろー」
「勝手なヤツじゃのお」
「そこが五十鈴のいーとこじゃん♪」
「ねー」
決戦の舞台を去る黒永学院の面々に、敗者の面影はなく―――
もう、既に頭を切り替えて、次のステージに目標を定めているようだった。
「わたしは・・・」
去りゆく彼女を、このまま見送ってもいいのだろうか。
(わたしは、まだ―――)
―――何も、言ってない
綾野さんに対して、自分の気持ちを、なにひとつ。
「綾野さん!!」
だからわたしは、彼女の名前をしっかり呼ぶ。
わたしの名前を読んでくれた綾野さんに対して、こっちだってしっかり向き合いたい。
綾野さんはピタリと歩みを止めると、くるりと片足を軸に身体をまわして向き直る。
「なーに?」
そして、"いつかの夕暮れ"のようにニッコリと微笑むのだ。
「わたし、絶対に貴女や部長の居るところまで行きます!」
きっとこれを逃したら、この人に面と向かってこの気持ちを言えることなんて無くなってしまう。
そんな危機感にも似た焦燥感が、わたしをそうさせたんだろう。
だから。
「エースになりたいんです!!」
思い切り叫ぶ。
自分の気持ちを、想いを、彼女にぶつける。
「そしていつか、貴女を超えてもっと上へ行きます!」
宣言―――
中学テニス界で、最高峰に居る人に向かっての。
でも、これは"夢"を語ってるんじゃない。
わたしは自分の"目標"に対して、"覚悟"を叫んだんだ。
きっと第三者から見たらこれは夢想と変わりない。戯言だと思われたってしょうがないくらいのことを言っているんだろう。だけど―――
「・・・楽しみにしてるよ」
その人は、笑うことなく。怒ることもなく。
ただ私の言葉に、返事をくれた。
"あの時"みたいな、うわべの言葉じゃない。綾野さんの"本当の想い"を聞けたんだ。
「はい!!」
言って、バッと頭を下げた。
そして数秒間そのままにして、ゆっくりと首を上げる。
―――彼方には、会場を去っていく黒永の一団
(そうだ。わたし達は、あの人達に・・・)
勝ったんだ―――
正直なところを言うと、このときのわたしはまだ全然分かってなかったんだと思う。
彼女たちに勝ったことの重さを。その意味を。
ましてやこの先、自分たちに何が待っているかなんて―――
白桜女子中等部、都大会優勝―――関東大会の第1シード権を獲得。
『東京都大会決勝戦・結果』
ダブルス2 ○菊池(3年)・藍原(1年)ペア 7 - 6 月下(2年)・日下生(2年)ペア●
ダブルス1 ○山雲(3年)・河内(2年)ペア 7 - 6 那木(3年)・微風(3年)ペア●
シングルス3 ●水鳥文香(1年) 3 - 6 三ノ宮未希(3年)○
シングルス2 ●新倉燐(2年) 5 - 7 穂高美憂(3年)○
シングルス1 ○久我まりか(3年) 7 - 6 綾野五十鈴(3年)●
○白桜女子中等部 3 - 2 黒永学院●




