VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 10 "まりかと五十鈴"
私のサービスから。
今現在ポイント5-4、1点リード。
この2ポイントを獲れば、試合は終わる。
圧倒的に優位・有利な状況にまで、まりちゃんを追い詰めた。しかし―――
(この決勝戦、何度もそういう場面をひっくり返されてきた)
私だけじゃない。
他の試合においても同じことが言えるだろう。
今日の白桜は、そういうような雰囲気・・・土壇場での勝負強さを見せてきている。これを偶然や幸運の一言で素通りしたら、確実に大きなしっぺ返しを食らうことになるんだ。私の勘がそう告げていた。
天の運、或いは勝負の廻り。
何かの要因が、公平なはずの天秤を傾けている。
ならば。
(慎重に、確実に、間違いなく―――)
100%の確率で勝利することが求められる。
だから、私は。
「ッ!!」
ここで、勝負を懸けた。
全力のサーブを、フォルト覚悟で打ち込む。
それが引っかからずにサービスコートへ落ちた。第一の賭けはクリアだ。
まりちゃんは、それを。
(返して来た!)
今のサーブ、快心の当たりだった。
普通なら―――まりちゃんほどの熟練されたプレイヤーじゃなければ、確実にサービスエースを獲れていたと確信できるほどの。
だから、レシーブのコースが甘い。さすがにあれは厳しいところには返せなかったようだ。
ほぼど真ん中に返ってきたレシーブを―――
―――視線を向かって右側、まりちゃんから見て左側へと移す
(これで、終わりだよ!!)
そのコースへ、強打する。
さすがに拾えないだろう、取れないだろうという自信を持てるショット。
(そうさ、今のまりちゃんなら)
"右足を負傷している貴女なら"、これは拾えないよね!
「!?」
―――だから、
(・・・ッ!)
―――彼女が悠々とそれを返して来た時、
(おもしろいッ!!)
この試合で初めて、プランが狂った。
(そこを拾ってくるんだねえ!)
今日のまりちゃんは。
だから、私もそれに全力で応える。
攻め方は間違っていない。向かって右へ、流れるようなスライスショットを―――
―――まるで、ブレーキの壊れた暴走車だと思った
まりちゃんはトップスピードで走りそれを拾い、打ち、がら空きの正面に打ち返してきたのだ。
(・・・怖く、ないの?)
届かない打球を見送る私の頭には。
(怪我するのが、怖くないの―――?)
恐怖にも似た疑問が、滔々と流れていた。
◆
何かで、アスリートは負傷した状態、何かがおかしい時こそ真の力を発揮できると聞いたことがある。
『悪いところをカバーしようと、他の部分がリミッターを外して本来以上の力を出すようになるから』。
そんな曖昧で、嘘かホントかも分からない・・・確認しようがない話だった。
だけど。
(私は今―――きっと、その状態にあるんだろうね)
自分で、それが分かる。
右足が猛烈に痛いという弊害はあるものの、それを抜けば、こんなに良い状態は経験したことがない。
(狂気の向こう側・・・)
そこに立ち入ったものだけが手に出来る力。
私は今こそ、それを行使しているのだと―――
「ポイント6-5。マッチポイント、久我」
「っはあ、はあ・・・ぐっ」
思い切り息を吐き出して、何かに耐えるように歯を噛み締める。
「いけー! まりかあああ!!」
「あと1点ですよ!」
「勝て、部長ーーー!!」
『わああああああああ』
無数の声が重なって、木霊して、打ち消し合って。
私の頭の上を、耳を、心の内を経過していく。
ああもう、何言ってるのかよく分かんないよ。聞こえてるのに、脳が理解しきれてないんだ。
そんな体力も気力も、私には残ってないんだろう。
(あと1点・・・。あと1点だ、まりか)
耐えろ。
この1点だけでいい。この1点だけ、死ぬ気で取りに行け。
私は―――
(テニス部全員の、想いと―――)
向き合う、責任がある!!
「あと1点だ!!」
自分に言い聞かせる。
「ゴールはそこだよ、まりか!」
もう無理だと言っている身体を説得する。
空のエンジンを噴かせて、私を動かす。手足を、頭を、目を、耳を、口を、肌を、神経を、心を、心臓を―――
「あと、たったの1点だッ!」
ボールを握りしめ。
目の焦点を合わせ、何万回とやってきたサーブの動作を繰り返す。
これも1回だ。何万回のうちの1回、いつもと変わらないただの1度―――
「ッぅ!!」
全身全霊を込めて放った一打。
それが伝わったのだろう、五十鈴がここに来て更に強力なレシーブを返して来た。
何よりも強さを求めて続けてきた五十鈴。
その様を"宿敵"という立場から見続けてきた私。
私だから。
私だけが、言える―――安心して良い、
(君は強いさ、五十鈴!)
リミッターのイカれた右腕が、彼女のレシーブに向かって伸びていく。
(だけど!!)
ラケットをボールが捉えた瞬間。
(今は、)
真芯に当たった感触と、腕が千切れるんじゃないかというくらいの力が全てボールに伝わった感覚がした。
(私の方が強い!!)
打球が直進していくその様子―――それが一瞬一瞬、カメラのシャッターを切ったようにその都度止まりながら、瞳を通して頭に流れ込んできた。
ネットの上を通過する。
コート内で跳ねる。
五十鈴がバウンドに合わせ、目いっぱいの力でラケットを振るう。
彼女もまた、芯でボールを捉える。
大きく開かれた五十鈴の目。
彼女のその瞳が。
少しだけ、ピントを絞るように小さくなる。
ボールは突き刺さる。
ネットへ―――
そして、力なく落ちた。
「う、」
自分でも驚いた。
「う゛お゛おぉぉぉぉぉ!!」
私、こんな声出るんだと。
「ゲームアンドマッチ。ウォンバイ、久我まりか! 7-6!!」
そのコールを聞いた瞬間、膝から崩れ落ちた。
それでも、私はラケットを持った右腕も、左腕も、大きく天に突き上げて、顔もそのまま上へ。
何かを求めるように、上を見続けていた―――
◆
『エースとは何か』。
この都大会で、わたしはいくつもの"その形"を見てきた。
チームを支配するエース。
チームの為に自分を殺して、役目を全うするエース。
チームの戦術、戦い方を研究し考えるエース。
チームの誰よりも強いエース。
どれもがエースの形の1つだった。
そう、わたしが見てきたエース達は、みんなが違ったし、その形もチームによってそれぞれだったんだ。
(そして、今日見たもの―――)
都内で最強の2人が演じた相克。
プレイヤーとして最強の力を持つエース。
そして、
チームの先頭に立って全てを背負ったエース。
きっとその試合は、わたしの中でも特別な意味を持った。
この試合を忘れることは、一生無いだろう。
(わたしが、あの人の中に感じたもの・・・)
いつかの夕暮れで、彼女と出会った時のことを思い出す。
あの時、感じた言い様のないもの。実体の分からないふわふわした感覚。直視したらドキッとするようなもの。
―――きっとそれが、わたしにとっての『エース』だったんだろう
それが、都大会を通じて―――"形"を持ち始めた。
輪郭を描き、実体が見え始めたのだ。
これからもわたしはそれを追い求め続けるし、「エースってなんだろう」と考え続けるだろう。きっと、止めないと思う。
大きく天に拳を掲げる部長。
その姿と声を、間近で見て、聞いて、わたしは改めて思った。
(わたしも、『彼女たち』みたいになりたい―――)
その気持ちはどんどん大きくなって、
(わたしは『エース』になりたがってるんだ・・・!!)
――この瞬間、確固たる"目標"になったんだ




