VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 8 "教え子"
【タイブレーク・ルール】
2ポイント差を付けて7ポイントを先取したプレイヤーの勝利。
ただし、6-6になった場合はそこから2ポイント連続で先取したプレイヤーの勝利となる。
―――久我のサービスゲームから、タイブレークは始まる
サーブ権を獲れたことがこれほど有利に動いた試合も無かっただろう。
最初の3ゲームを例に挙げても、3ゲーム中2ゲームがサービスゲームなのだ。
そしてこのタイブレーク最初のポイントも。
(7ポイントで試合を決めたい久我にとっては、是が非でも欲しい1点)
ここでこの1点を落ち着いて獲れるかどうかは試合の行方を大きく左右する。
(本当に、良い指導者なら―――)
そうであろうとするのなら。
私は大きな間違いを犯したのかもしれない。
さっき、押さえつけてでも彼女を止めて、試合を終わらせるべきだったのかもしれない。
怪我のリスクを抱えたまま試合をすることは、ことテニスにおいて致命傷になりかねないのだ。
暴発して、怪我がクセにでもなったら、もし大怪我に繋がるような爆弾を抱えることになったのなら。選手として大きく後退するだけでなく、一生、今のプレースタイルには戻れなくなるかもしれない。
『お前に任せた』
あの言葉を無理矢理修正してでも、彼女を止めることが指導者として正しい選択だったのか。
―――だが
(この試合を消化不良で終わるようなことがあれば・・・久我は心に消えない傷を負うことになるかもしれない)
身体ではなく、心。
そして何より、本人が自分の意志で棄権の条件を付けたのだ。
その気持ちを・・・部長として、テニスプレイヤーとしての彼女の誇りを、私は大事にしてあげたかった。
それがこの1年、彼女が"部長"という役職を経験して得た『かけがえのない何か』だと、信じたかったのだ。
(だから久我、)
私が願うことは、ただ一つ。
(無事、帰ってこい・・・!)
お前の選んだ結末を掴み取って、だ。
瞬間、彼女は大きくトスを上げ―――
(ジャンピングサーブ!)
飛び上がって、高い打点から振り下ろすようなサーブを敵コートに打ち込んだ。
―――この試合、ジャンピングサーブをここまでほとんど使ってこなかった
フォルトで試合の流れが切れることをきらっての事だったのだろう。
1つのポイントを慎重に取ることより、テンポよく試合を進めて攻め続けることを選んだからこその、大技の封印―――それをここで解禁してきた。
勿論、ジャンピングサーブを行えばジャンプ、そして着地の際、足にかかる負担は大きくなることは言うまでもない。
(戦い方を変えてでも、この1ポイントを取りに来たか)
時には柔軟に考え方を変化させ、勝利に拘る執念。
(久我はこの試合―――本気で勝つつもりだ!)
それに対しての、綾野のレシーブは威力が弱くなった。
ジャンピングサーブに力負けした格好だ。それでも、その弱いレシーブを強打した久我のショットを難なく返す。彼女もまた、最初のポイントの重要性に気づいている。
―――試合巧者同志の、息詰まる攻防
元々、プレースタイルの似ている選手だとは思っていた。
考え方が似ているのも、幼馴染だという関係性を辿れば不思議なことではない―――だが、そういう問題ではなさそうだ。
この―――
「負けず嫌いどもめっ・・・!」
思わず零れた言葉と共に、自然と笑みが出てしまう。
まさか彼女たちを3年間見てきて、また新たな発見があるとは。
これだから中学生は面白い。
心境や考え方、生き方でさえ山の天候のように変わる年頃―――それでも。
―――根っこの部分が、この2人は一度も変わらなかった
誰よりも強くなりたい。
誰よりも上にいきたい。
その過程で、絶対に倒さなければならないライバル同士。
2人の認識は、そこで一致していたのだ。
「!」
その瞬間。
仕掛けたのは、綾野の方だった。
(ロブショット!)
ふわりと浮かんだ打球が、ゆっくりとライン際に落ちていく。
「こ―――」
堪えろ。
大声でそう叫びたかった。
見逃せばアウト―――だが、攻撃に逸っている久我に、それが出来るか。
もう既に打球に向かってラケットは伸ばしている。
引っ込めることはできない。あとはもう一伸びさせるか、そのままの体勢で見送るかだ。
「・・・あぁッ!!」
久我は噛み殺すように声を絞り上げ。
―――ラケットのわずか外側を、ゆるい打球が経過していった
ラインの僅か向こう側に、すとんとボールが落ちる。
「アウト! 1-0、久我」
『おおおおおおおおお』
地鳴りのような声援と、コート上で拳を腹で抱きかかえるように小さくガッツポーズをする久我の姿が、今のプレーのギリギリさを物語っていた。
◆
師匠の意志というものが仮にあったとするのなら。
それを多くくみ取って実践していたのはシノ―――貴女の方だったでしょうね。
(あの人の指導方針はどちらかと言えば保守的・・・その思考に、貴女の方が強く同調していた)
自分の中の信念。それが多く合致したのが貴女だったのでしょう。
(でも、私が黒永、貴女が白桜の監督に就任して以来、より多くの結果を残してきたのはどちらだったかしら)
正しい人の行いを真似た行いが、必ずしも正しくなるとは限らない。
私はあの人の指導方法の―――冷徹とも言える一面、効率化や選手の自主性を重視する側面を切り取り、選ばれた子を伸ばす育成方法を執ってきた。
それは都内、全国から才能の溢れる子が集まる黒永学院という地では限りなく『正しい』指導方法だったのだ。"結果"はそう物語っている。
(全国大会出場6回、優勝1度、準優勝2回―――文句のつけようのない成績を残してきたもの)
綾野五十鈴が入学して以降の成績だ。
期間を長くすれば、その分栄光の数は増えていく。そういうチームを、私は指揮してきた。
―――その、自分の勘が告げている
(今の久我さんの様子は、少しおかしい)
「1-1」
審判のコールと共に、また大きな歓声が沸く。
(貴女はいつもそうだった。自分は間違っていないと信じて疑わない。貴女の指導方法はきっと人望も集める。大衆が喜ぶ興行だったのなら、『正しい』のは貴女の方でしょう)
だが、中学テニスは興行ではない。
語られるのは、評価をされるのは『結果』を残した者のみ。
勝者が『正しい』。勝てば官軍、勝者のやった行いが評価さる。
(だから、『正しい』のは黒永よ。黒永であり、私であり、綾野五十鈴である―――)
「2-1」
綾野さんが自らのサービスを2点、取って逆転する。
形式上の逆転だ。次の久我さんのサービス2つで、また数字は入れ替わる。
("数字の入れ替わり"がこのタイブレーク、何度繰り返されるでしょうね)
早期の決着は望めないだろう。
―――そう、久我まりかが"万全の状態"だったのなら。
(この異変、綾野さんが感じ取っていないわけがない)
特に敏感だもの、彼女の感性は。
天然、天才・・・言葉じゃ言い表せない何かを感じ取る力。
あの子の"試合を読む力"というのが半端なものではないことはこの3年間、それを最も多く間近で見てきた私が1番よく知っている。そしてその嗅覚で―――試合の流れを手繰り寄せ、敵プレイヤーの弱点や急所を的確についてきた。
(それが、綾野五十鈴のテニス!)
天才にしか出来ないテニス。
選ばれたもの以外がやろうとしても、何にもならず形にもならないであろう戦い方。
でも、彼女のテニスはそれでいい。
型にはめようとすれば、逆に彼女のプレースタイルは崩れてしまう。
―――あの子には、あの子だけが出来るテニスを
それを表現できる実力は持っている。
他の誰のテニスでもない・・・綾野五十鈴型のテニスをやればいい。
「3-2」
また、数字が入れ替わる。
この間―――2人のプレーに特筆して"変化"は見られない。
綾野さんが気づいているのなら・・・何らかの行動を執るのは恐らくこの後―――自分のサービスで、だろう。
万全に万全を期す。絶対に勝てる、安全な道のど真ん中を堂々と歩く。
(そうやって、彼女はここまで全国の強者と戦ってきた)
ならばこの試合も、その1試合に過ぎない。
きっと彼女にとってはここも世界一の頂を目指すための山道―――その途中地点なのだから。




