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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第6部 都大会編 4
230/385

VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 7 "7ポイントだ"

 目の前の少女は両手を後ろ手で組み、目を瞑っている。

 その表情は穏やかでもなければ、険しくも無い。ただ過不足なく、目を瞑っているだけのように見えた。

 呼吸の乱れ、発汗、そして気持ちの動揺―――それらを自らで感じてもらうために命じた精神統一。私は、胸の内で数えていた数字が10を経過したと同時に。


「勝利のイメージはできましたか?」


 彼女に、話しかける。


「はい」


 綾野五十鈴は短く小さく、そう零すと。


「完っ璧に頭に浮かんできました」


 自信満々にそう言い切った。


 ―――今のゲームで決めたかったというのが本音

 だけれど、この子はすぐに切り替えた。頭の中で前のゲームの後悔を引っ張るタイプではないとはいえ、決定的な勝機を逃した事へのやりきれなさはあっただろう。

 私の気持ちは関係ない。


(この子が切り替えられたと言うのなら・・・)


 それを信じて、命じることしか出来ない。

 コートに直接立たない指導者がプレイヤーに出来ることなど、所詮その程度のことだ。


 ―――だから私は、選手に自分で考え、自分でやるようにと放任主義を貫いてきた


「久我まりか選手。確かにこの東京都内で1番手強い相手でしょう。ただ、今の彼女に試合当初ほどの勢いも体力も、もう残っていません。貴女が手も足も出ないような強力なショットを繰り出してくることは無いでしょう。落ち着いて、1点1点確実にポイントを獲っていきなさい」

「はい」

「さっきのプレー・・・、あれだけ派手に転倒しておいて全く影響がないとは思えません。貴女が普通にプレーしてあと一押し―――それだけできれば、この試合は勝てます」

「はい」


 普段、黙って人の言う事に頷くタイプでない綾野さんが、今はしっかりと私の目を見据えて、1つ1つの言葉に肯定を示している。

 前の世代が引退して、綾野さんと穂高さんがチームを引っ張るようになって以降・・・こんな彼女の姿は初めて見たかもしれない。


 ―――ここまで来て、まだ新しい貴女を見せてくれるのね


(それでこそ)


 入部初日に彼女を見た衝撃から、全く衰えていない。

 貴女はそうやってずっと、周りの人間を驚かせ続けるのでしょう。


「・・・この白桜との決勝戦、その"あと一押し"が出来ていれば、もう少し楽に勝てたかもしれません」


 ダブルス2。

 ダブルス1。

 シングルスの2試合もそうだ―――


 黒永の実力を以ってすれば、もっと楽に勝てたはずのこの決勝戦。

 もつれにもつれ、未だどちらに軍配が上がるか読めない乱戦になっているのは―――


「白桜の底力・・・侮ってはいけませんよ」


 ―――こちらの想像を上回る"何か"を、白桜が発揮し始めたからに違いない


「監督」


 そこで初めて、綾野さんは私に異を唱えた。


「私は最初から、一度もまりちゃんを侮ってもいないし油断もしてませんよ」


 その表情はどこか儚げで、どこかこことは違うところを見ているように感じられた。


「1球1球に、命を捧げる―――私はその覚悟で、まりちゃんを潰す。それに変わりはありません」


 私が"それ"に対し敢えて何も言わなかったのは、彼女のその瞳が・・・愚直なまでに"勝利"を追い求めていたからだ。

 プレイヤーとして、エースとして―――綾野五十鈴の姿勢は、何一つ間違っていない。





「―――」


 思わず、言葉が出なかった。


「これはどうだ?」


 監督が言葉と共に、ゆっくりと足首を逆方向に動かしていく。


「・・・少し痛いかな、程度です」


 私の要領を得ない言葉に、その場に居た監督、コーチ、真緒が困惑の表情を見せた。


「もう一度確認しておく。確かに、捻ったんだな?」


 監督はまっすぐに私の目を見つめ、真偽をただす。

 私も同じだ。目の前の女の人・・・その瞳をまっすぐに見つめて。


「はい。捻った感覚がしました。間違いないと思います」


 あの時―――

 リズムを崩して、逆方向に急旋回しようと全体重を右足に乗っけた時。

 確かに、通常とは違うものを感じた。

 歩けなくなるほど、プレー続行不能になるほど強いものではなかったけれど、このまま放っておいたらいけないことだけは絶対に違いない・・・という、ふわっとした実感。

 だって。


(実際、痛くない・・・)


 これが痛いだとか、動かせないとかだったら理解でも出来るし対処のしようもある。

 だけど、今は簡単な応急処置とアイシングをしただけ。


「試合中で興奮してるからアドレナリン出て、痛みを感じないんだよ」

「それに、いま腫れてないとは言っても後々腫れてくる場合もありますし・・・」


 真緒とコーチは私の『痛くない』に懐疑的だった。

 そりゃあおかしな話だろう。絶対に捻った感覚があるのに、痛くないだなんて。


 そして。


「試合続行、どうしますか」


 心配そうにこちらを覗きに来た審判の人が、私たちにその質問をぶつけてくる。

 回避できない、究極の二者択一―――


 私が、監督の方へ首を動かすと。


「監督、まりかの気が済むまで続けさせてあげてください」


 真緒が訴えかけるような声で、そう言ってくれた。


「そうです! ここまで来たんですよ。私からもお願いします」


 コーチも、真緒に追随する形で頭を下げる。


「・・・」


 監督は足首の方を見たまま、数秒の沈黙を挟むと。


「お前は、どうしたい」


 言って、顔を上げた。


「久我。お前の意見を聞いていない」


 その表情は真意を読み取ることが出来ないものだった。

 彼女はどちらとも言っていない。

 普段の厳しい表情以上の、ポーカーフェイス。


「この試合、私はお前に預けると言った。自分に従え、と」

「!」

「自分で決めろ。お前がこの試合を続けるのかどうか・・・久我まりか自身の言葉で決めるんだ」


 ―――そうか


 あの時、私は確かに監督からそう言われた。

 だから、どちらとも道を示してくれないんだ。

 この人に3年間ついてきて、こんな事初めて・・・。初めて、私は。


(監督に、認めてもらえた)


 そう確信することが出来た。

 それと同時、心に安らぎのようなものが広がる。


「・・・私は、」


 自分で決めるんだ。

 自分で。


 誰かに誘われた道に乗るか、断るかを決めるんじゃない。

 自分の道は自分で切り拓くんだ。

 私はこの試合の答えを、自分で―――


「続けたいです」


 そう、自分で。


「ここまで来た試合・・・自分の手で、決着を付けたい」

「まりか」

「久我さんっ」


 真緒とコーチの嬉しそうな顔が、印象的だった。


「でも」


 でも―――


「もしこのタイブレーク、7ポイント先取で試合が決まらないようなら・・・棄権させてください」


 これが、私の意志。


「・・・いいのか」

「はい」


 監督の問いかけに、即答する。


「怪我が悪化したら、来週から始まる関東大会にも支障が出ます。部を預かる部長として、みんなを引っ張っていく先頭として・・・。そんな無責任な戦い方はできません」


 そうだ。

 私の戦い方は変わらない。


 ―――最初から全力全開、なるべく早くこの試合を終わらせる


 その戦術に則るなら、棄権の心配など必要ない。


「それが、私の選んだ私の道です」


 だからこの決断に、後悔など一縷も無かった。


「わかった」


 監督は立ち上がり、審判の方へ試合続行を告げに行く。


「真緒」


 そして私は、シューズを履き直し再び立ち上がり、しっかりと右足でコートを踏みしめながら。


「このことは、みんなには黙ってて欲しい」


 彼女の方を見て、お願いする。


「要らない心配をかけたくないんだ」


 半分本当、半分嘘。

 半分の嘘は・・・"五十鈴に伝わるのを避けたいから"。


「・・・」


 真緒は数秒間、押し黙る。

 だけど、すぐにキッと眉を吊り上げて。


「わかった。絶対に口外しない。あたしのプライドに懸けて誓うよ」

「ありがとう」

「アンタとは長い付き合いだからね・・・。何か、言えない事があるんでしょ」

「はは、真緒は騙せないな」


 やっぱ、私は嘘つくの、下手だ。


「いいよ。アンタが信じるならその道を突き進め。あたしはアンタらがバラバラになっちゃわないように、歯車の役割を果たすから」

「・・・悪いね、いつも」


 少しだけの罪悪感を、必死にかき消して。


「行ってくる」

「負けたら承知しないからね」

「うん・・・!」


 私は一歩、前へ足を踏み出した。


「7ポイントだ」


 強く、その言葉を自分に言い聞かせ。


「7ポイント目を先に取って、私はこの試合を終わらせる―――!」


 最後の決戦の舞台へと、赴く。

 久我まりかとして。白桜のエースとして。テニス部部長として―――私は、この試合に勝利する!!

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