菊池このみ 前編
「はあ・・・はあ・・・。あー、もう動けない・・・」
ようやくこのみ先輩に渡されたメニューを全てこなすことが出来た。
練習試合の応援をキャンセルして、半日ずっと練習出来たのは大きい。
本当はちょっとだけ先輩たちの試合を見たいと思ったけど、今はとにかく自分の事で精一杯。
グラウンドの片隅から仰向けになって見上げる空は、少しだけオレンジ色になりかけている薄い水色。
(都会の空は汚いって言うけど・・・)
案外、そんなことも無いなあ。
大きな空に手を伸ばしながら、手をかざしながら。
そんな事を考える。
「こんにちわー」
ずいっ。
その瞬間、空の色だけだった視界に、人の顔が斜め上から入ってきた。
「わっ、わわっ!?」
驚いて起き上がろうとすると。
「「いでっ!!」」
思い切り、おでこをぶつけてしまい再び倒れ悶絶する。
「っつー・・・、大丈夫ですか!?」
おでこを抑えつつも、しゃがみこんで同じくおでこを抑えているその人の方が心配で、声をかける。
そもそも、わたしからぶつかっちゃったわけだし・・・。
「おーけーおーけー。でも、コート内じゃラフプレーは禁物だゾ☆」
「は、はい。ごめんなさい・・・」
ここで初めて相手の顔をちゃんと見たけれど。なかなかどうして美人さんだった。
クリーム色の髪、特に両側のお下げが特徴的で、黒いロングスカートの制服・・・つまり、他校の制服を着ている。
「グラウンドやコートに誰も居ないんだけど、もう上がったの?」
「い、いえ。今日は他の学校と練習試合で、みんな応援に行ってるんです」
「あちゃー。まじかー。折角来たのに無駄足とか・・・」
謎の来訪者はおでことは違う、頭を抱えてしまった。
どうしよう、お客さんに対してこれじゃあ散々じゃないか。
「まあいいや。君、1年生だよね」
「あ、はい」
「お姉さんとお話しようか」
彼女はそう言い、にっこりと笑った。
笑顔もサマになる人だなあ・・・。
「どう? 練習にはついてけてる? 球拾い大変じゃない?」
「いえ! わたしは球拾いを免除されて次の練習へいってますから!」
「へえ。やるじゃん。将来のエース候補だ」
その人はにっこり笑う。
「い、いやあ。そんな事はあるんですけど! 面と向かって言われると照れますねー」
「いやいや、あの怖い監督さんでしょ? 特別扱いだなんて、君に期待してるんだよ」
なんかこの人。
美人さんだし気さくだし・・・すごくいい人じゃん。
「でも聞いてくださいよ! わたし、3年の先輩にムチャクチャなメニュー組まされてて! 延々走らされてるんですよ」
「ま、そういう基礎は必要だからね」
「しかもその人、わたしに体力強化やらせてる間、自分はずっとコートで練習してるんですよ! ひどくないですか!?」
なんか、今まで誰にも言えなかった愚痴がどんどん出てくる。
「期待の表れさ。白桜はダブルス2とシングルス3の育成・固定が急務だからね。頑張れば君も夏のレギュラー狙えるよ」
「そうですかあ? えへへ」
すっごい褒めてくれる。うちの部でこんなに褒めてくれる人、居ないよ。
「って、なんで白桜の弱点知ってるんですか!?」
ナチュラルに言ったけど、重要機密ですよね!?
「他校の情報くらい仕入れてるよ。戦いにおいて情報は武器だから」
「そういうもんですか・・・」
「君たちのチームにもいるはずだよ。他校の情報を集める偵察係とかね」
「偵察・・・?」
わたしは、一抹の疑問を覚える。
「それって、誰の仕事なんですか?」
そう、投げかけると。
「うん。主にレギュラーになれそうにない3年生の仕事かな」
―――!
言葉を失う。
「1年生が球拾いをするように、そういう役割だって必要なんだ。チームを動かす・・・特に、白桜みたいな名門の大所帯を動かすにはね。細かい歯車が無きゃ、工場は動かない」
「・・・」
「だから、今まだラケットを握っていられる3年生はある意味幸せなのかもしれないね。まだチャンスがあるんだから」
―――2軍降格で落ち込むのは分かりますけど、落ちちゃったものはしょうがないじゃないですか!
―――下を向いていても仕方がない。一緒にもう1回、1軍を目指しましょうよ!
―――随分と上から目線のアドバイスですね、1年
脳裏に過ぎるのは、あの日の会話。
「わ、わたし・・・」
―――あの人は、きっと。
「なんて、無責任な―――」
これ以上、落ちるようなら自分ももうコートに立つことすら叶わなくなる。
そんなプレッシャーと戦い続けて―――
「おっと。前途ある1年生にする話じゃなかったかな」
「すみません!」
わたしは、すっと立ち上がる。
今度は、頭をぶつけないように。
そして。
「わたし、行かなきゃいけないところがあるんで、これで失礼します!!」
居てもたってもいられず、その場から走り出した。
もう動けないって、そう思ってたはずなのに。
「・・・若いねえ」
そんなつぶやきが聞こえてきた事にも、一切反応せず。




