VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 6 "私から君へ、君達へ"
―――五十鈴
確かに、君はすごいよ。
初めて会った時、君は既に有名人だった。
それだけじゃない。
小4で渡米したと知った時、日本に帰ってきて日本一の軍団を作りたいと聞いた時、中学進学後、名門黒永であっという間にレギュラーを獲ったと知った時、そしてあの初めての大会で君に負けた時―――
いつも君は、私の何歩も先を歩いていた。
その距離は、成長するに従って次第に延びていったんだ。
君は止まらないから。そして遅くなる気配もないし、君自信にそんな気がサラサラないのも知っている。
このままいけばきっと、私の追いつけないところまでいくんだろうね。
でも。
(この試合が私にとって、君に追いつく最後のチャンスなんだ!!)
鎖を解き放たれた君が、二度と手の届かない場所へ行ってしまうのを止める最後の機会だと。
この3年間、君には一度も勝ててないし、チームとしても一度として黒永には勝てていない。
黒永が白桜のゆく道を、ずっと阻み続けてきたからだ。
だけど、私はこの3年間―――いや、ずっとだな―――"君さえ居なければ"、と思ったことなんて一度たりともないんだよ。
(逆に、私はこう思ってる)
必死に食らいつき、レシーブを放つ。
ここまで来たら気力の勝負だ。私がボールを追えなくなるのが先か、五十鈴が攻め切るのが先か―――
("君が居てくれたからこそ"、今の私があるんだって!)
まだだ。
まだ食らいつける。まだいける。私はまだ走れるし、ショットだって打てる。
私は―――全てを背負ってここに立っているんだ。
(君の背中を追いかけて、走り続けて・・・だから私は"こんなにも速く"駆け続けることが出来た)
慢心することなく、安心することなく、油断することなく―――
君を追い続けてきたから。君を追い抜くことを考え続けてきたから、私は歩みのスピードを落とすことが無かったんだ。
他の誰に君の代わりが出来る? 誰も出来ない。同じ東京都の、同じ学年の、同じ名門の、同じエース!!
それは君だけだったんだ。
「だからッ!」
負けるわけには、絶対にいかない!!
放ったショットが、五十鈴のラケットの芯を外し、力ない打球が上がって逸れていく。
「15-30」
「部長っ」
「すごい、すごいよ久我先輩!!」
「まだこんな力が残ってたんだ!」
私は全てを背負っている。
白桜テニス部の全てを、だ。
その覚悟と意志を以って、ここに立っている。
―――あの時、
『みんなに聞いて欲しい話があるんだ』
試合の前、このコートのすぐ外で、部員全員に語り掛けたことを思い出す。
『今まで私はずっと「テニス部全員で全国に行きたい」・・・そう言ってきた。でもね。私は本当の意味でそれを実践できてなかったように思う。その「全員」の中に、"選手としての久我まりか"が居なかった―――』
1年生。
まだまだ実力的にも精神的にも未熟な末っ子。
『私はどこかで、"選手としての自分"と"部長としての自分"を別けて考えていた。部長としてチームを引っ張る。それとは別に、シングルス1・・・エースとしての役割は"自分だけ"の問題で、部員には関係ないことだって』
だけど、粗削りな彼女たちの中には無限の可能性が眠っている。
私なんか、軽々超えていってしまうんじゃないかっていう、そんな"夢"の欠片。
『でも、そうじゃない』
2年生。
テニスの技術は成熟している。それでも時折見せる危なっかしさに、やっぱり私たちがしっかりしなきゃって思うこともある次女。
『私が居るシングルス1。ここは部員が作ってくれた席だ。部員が繋いでくれなきゃ、座れない椅子なんだ』
だけど、頼もしい存在だ。
私たちの下の世代がちゃんと育ってるんだって実感させてくれる。
彼女たちになら・・・そう思わせてくれる、"希望"の欠片。
『部員・・・その中には、もちろん部長としての私も含まれる。白桜女子テニス部全員で作った椅子を、私が使ってるだけなんだよね』
3年生。
心から信頼できる仲間。精神的に私なんかより全然大人で、後輩に誇れる自慢の長女たち。
3年間、ずっと同じ釜の飯を食べてきた。
何もかも一緒に分かち合ってきたんだ。"未来"を、紡いできた。
―――その仲間たちの多くが、もう既に中学テニスを引退して、裏方に徹してくれている
『だから』
諦めざるを得なかった3年生。
そして、レギュラーに手のかからなかった1,2年生。その後ろに居る、膨大な数の、選手1人1人の家族や友人・・・その総てを背負って―――
『私はこの試合、絶対に・・・個人としての感情を優先して自分勝手に戦うようなことはしない。私は、"白桜女子テニス部部長"と"エース"、その総てを背負って―――綾野五十鈴に勝利する』
―――みんなと約束した、私自身の宣誓だ。
だから・・・絶対に負けるわけにはいかない。
私はこのチームの先頭に立って、彼女たちを引っ張ってかなきゃいけないんだ。
(みんな、まだこんな私を信じてくれている)
私を信じる人が居る限り・・・絶対に諦めるわけにはいかない。
たとえ五十鈴、目の前に立ちはだかるのが君だったとしても。
「30-30」
「くっ!」
手に残る痺れが、五十鈴のショットは全く衰えていないことを証明していた。
あれだけ走っても、あれだけのショットを打ち続けても、無尽蔵に出てくる気力と体力。一体どれほどの研鑽を積んだら、あのレベルに到達できる・・・!?
―――だが
「くう!」
私は最後まで足掻き続ける。
最強のプレイヤーに、みっともなくしがみついてやる。
そうしてでも、欲しい勝利だ。
―――ゆるい打球が、僅かに五十鈴のラケットの上を経過していく
「30-40」
「ッ、はあ・・・はあ・・・っ」
タイミングを外すロブショットに、上手く回転がかかって落ちてくれた。
もしこれが12ゲーム目ではなく、1ゲーム目だったら、今の打球に五十鈴が追いつけないことなど有り得なかっただろう。
(まったく疲れていないわけがない。今のは・・・!)
君だって、私と同じ苦しみを感じているという証拠だ。
私に見せないようにして、肩で息するのを堪えているようだけど、その滴り落ちる汗の量で分かる。
苦しくないわけがない。ここまで来て、辛さを感じないわけがない。
―――五十鈴
―――君と一緒に行く道だって、考えたさ
!!
(しまっ―――)
一瞬だが、判断を間違えた。
五十鈴のフォームから推察される打球方向、それとは逆のステップを踏んでしまった。
今、クロスに返されたら・・・
最悪の考えが頭を過ぎる。
そして、五十鈴はクレバーな選手だ。私の致命的なミスを、決して見逃さない。
刹那の判断―――もしくは経験して身体に染みついた技術が―――私の狙いとは逆方向を読み取り、そこに照準を合わせていた。
終わる―――
それを考えた時、あらゆることが頭を突き抜けた。
ボールが止まって見えるとはこのことを言うのだろう。
すべてがスローモーションに見え、その静止した世界で―――やはり五十鈴は、笑っていた。
五十鈴のラケットにボールが触れた瞬間。
「逆だあッ!!」
自分でも気づかないうちに、そう叫んでいた。
ステップを崩し、思い切り右足を踏ん張って、
「ッ!?」
逆方向へ、飛びつく。
右手が千切れるんじゃないかと思うくらい手を伸ばして。
かこん、という乾いた音が聞こえた―――
私はそのボールに、追いつくことが出来たのだ。
「ぐううっ・・・」
そのままの勢いでコートに叩きつけられ、ぐるぐると世界が回転する。
気づけば私はコートの上でラケットを抱きかかえるように倒れていて。
「ゲーム、久我。6-6―――」
審判のそのコールがやけに大きく聞こえた後。
「「「久我あっ!!」」」
たくさんの人の、尋常じゃない叫び声が幾重にも重なって聞こえてきた。




