VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 4 "マッチポイント"
「このサービスゲームを部長がキープすれば・・・」
「都大会優勝―――」
どこからか聞こえてくるその呟きに、思いを馳せられるほどには・・・現実的になってきた"目標"。
あと一歩のところまで近づいてきた『優勝』。念願の黒永学院打倒。
それらを自覚した頃には、会場のボルテージがMAX状態になっているその雰囲気に、私自身が呑みこまれつつあった。
「白桜!白桜!」
「久我部長、やってやりましょう!!」
「優勝いけるよまりか!」
黒永の応援を圧倒する勢いを持った、白桜側の応援。
さすがの黒永応援団も、ここまで追い詰められては意気消沈する以外無かった。
シングルスに入ってから、初めて白桜が黒永を圧倒し始めたのだ。今までの鬱憤を晴らすかのように声を張り上げる白桜側。
(すごい―――)
私はその熱狂の坩堝の真ん中に近い位置で、どこかそれを他人事のように見ていた。
でも、分かる。
とんでもないことが起きようとしているってことくらいは、分かる―――
「15-0」
1ポイントを獲るたびに、応援が、声援が、興奮が、ぐんと高まり、歓声と拍手が巻き起こる。
「文香、すごいよ部長!」
「う、うん・・・」
興奮気味に私の服の裾部分をぐいぐいと引っ張る有紀のその仕草さえ、遠くに感じられるほど。
それほど、この異様な雰囲気に自分が呑まれてしまっていたのだ。
まるで逆上せてしまっているよう。頭がクラクラしてくる―――もし、私があのコートに立っていたら、今の部長のように試合最初からの圧倒的な攻撃を何も変わりなく続けることが出来ていただろうか?
多分、無理だ。
部長にしろ、綾野選手にしろ、この雰囲気で普通にあそこでテニスしてるって・・・ちょっと、凄過ぎて想像できない。
(おかしくなっちゃうよ)
こんなものにアテられてたら。
『わあああああぁ』
冷静でいられるわけがない。
普通にプレーできるわけがない。
だが―――
「30-15」
―――エースは声にならない声を上げた
声援にかき消される叫び。
だけど、私にはその声が聞こえたように思えた。
部長の気迫。1球1球に懸ける想い。
それらが彼女のプレーの1つ1つから、洩れ出してこちらまで届くんだ。
「これが・・・」
"エース"のプレー―――
チームを背負うものの姿。
ごくり。
生唾を呑みこむ。そして一瞬息が出来なくなり、次にそれを吐いた時には。
「40-30!」
「「「マッチポイント!!」」」
彼女は、勝利にその指先をかけていた。
「すごい」
もはや呆然としていることしか出来ない中、
「いけますよまりか!!」
「あと1点!」
「あと1点だよ久我さん!」
「もう少し、もう少しで・・・ッ」
気がつけば、周りの3年生の先輩たちは大声で部長を応援していた。
目の下を赤くさせて、その瞳に溜めこんだものが溢れださないように必死で上を向いて―――
そうか。
あと1ポイントで。
(優勝なんだ)
部長のサービスゲーム。
短いトスを上げ、慎重にサーブを入れる。そして、それと同時に前へ―――
「まりか!」
「いけええ!!」
声援と悲鳴が交差する中、綾野選手のレシーブが部長の下へ返ってくる。
部長の右手がそれを跳ね返す。
―――これで、終わりだ!
そんな強い意志がハッキリと感じられるように力の入ったボレー。
片腕から繰り出される、渾身の想いが詰まった必殺のショット。
強い打球は綾野選手の下へ、それを彼女は―――
「ッッ!!」
―――
今度は、綾野選手の声にならない声が聞こえてきた。
彼女が放った打球は大きな弧を描き、部長側のコート最奥で跳ねる。
当然、ネット前まで出てきた部長は後ろを振り向くことしか出来ず・・・。
「デュース」
そのコールと共に、白桜側の応援団から「ああ~~~」という、長い溜息と意気消沈の声が漏れた。
そして応援のボルテージは一段階、下がることになる。
「くぅ~! このままいけると思ったんスけど、さすがに無理ッスか!」
「なのー」
長谷川さんや先輩たちは普通に悔しがっているけれど。
私は、見逃さなかった―――
有紀が、じっと部長の方を見て、動かなかったことを。
「・・・!」
そして、何故だか私も同じことを感じていた。
今の1ポイント、ただの1ポイントじゃなかったような気がする。
そんな漠然とした"怖さ"みたいなものを感じた瞬間だった。
理由なんて無い。
これはそう―――"直感"だ。三ノ宮選手との試合中に感じたものに近いと言っていい。
何故だか分からないけど、そう思ってしまうこと。そしてそれは、私だけの感覚ではなくて複数人が共通して抱く感覚だということ。
つまりは―――
(何かあるんだ)
何かあったんだ、というべきか。
(・・・イヤだ)
違う違う。こんなの気のせいだ。
今の1点が、特別でもなんでもない・・・ただ、1点を失っただけなんだって。
私は自分にそう言い聞かせることに、必死になっていた―――
◆
―――危なかった
今のは危なかったよ。
あれが抜けてたらと思うとゾッとする。
切り返してロブショットを打てたのは、正直半分偶然だ。それくらいギリギリのところだった。
(だけど、)
―――ギリギリだったのはお互い様、みたいだね
(まりちゃん。今の表情、見逃さなかったよ)
私がロブを打った瞬間の顔。
一瞬だったけど、まりちゃんはこの試合で初めて"敗北の顔"を表情に出した。"敗北の相"と言ってもいい。
目を見開いて、少しだけその表情に絶望を滲ませたんだ。
『しまった』
あの一瞬の表情には、そう書いてあったよ。
(こっからだ)
試合はここからだよまりちゃん。
まだまだ終わらない―――
「終わらせない!!」
抜けた。
それが打った瞬間に分かるほどの快心の当たり。
まりちゃんは途中で追うのをやめて、それを見逃す。
―――そうだよね
仕切り直し。
まりちゃんが短いトスから一本、渾身のサーブを放った。
(そろそろ、だよねえ)
まりちゃんは粘り強いからそれと同時に前へダッシュして、私のレシーブを力いっぱい返してくるけれど。
「ははっ」
思わず、乾いた笑いが出てしまった。
笑みを隠しきれず、まりちゃんのショットを返す。今度は、逆へ―――
「ッ!」
それを、必死に手を伸ばしてバックハンドで返してくる。
ショットがコートに跳ねた瞬間、私は確信した。
「力が入ってないよねえぇッ!!」
大声でそう叫んで、全力でボールを引っ張る。
まりちゃんが手を伸ばした方とは逆の、真正面へ。
もちろん反応できるわけもなく、そのまま抜けてコート後方でボールは跳ね。
「ゲーム、綾野。5-4」
不思議だ。
さっきまでの大声援が嘘のように、一瞬だけ場が静まり返ったのだ。
『おおおお!!』
刹那、地鳴りのような声援がごごごと押し寄せてくる。
「綾野先輩がブレイク!」
「さすが五十鈴!!」
「くーろーなーがー!」「くーろーなーがー!」
いやいや、そんな褒めるなって。
私は後頭部をさすりながら、応援に手を振ってベンチへ退き返していく。
丁度、喉も乾いてきたところだった。冷たい冷たいスポーツドリンクで休息といきますか―――
おっと、その前に。
「まりちゃん」
声をかけとくの、忘れてた。
「"まだまだ試合、続けようね☆"」
「―――!」
そう。
そうそうそうそうそう。
その表情だよ!
私が見たかったのはその顔! 少しだけ目を見開いて、言葉に出来ない言葉を吐き出して、どうしてバレたのって頭の中で混乱してるその顔が見たかったの!
潰す時のまりちゃんはやっぱそうでなくちゃ。私には絶対に勝てないって思って負けてくれないと、勝ち甲斐が無いじゃない。
ここで負けたら、恥ずかしいよね。全部背負ってんだもんねえ。
その重い荷物全部背負って走るのって、辛くない?
疲れちゃわない・・・?




