VS 黒永 シングルス1 久我まりか 対 綾野五十鈴 3 "ハニーとまりちゃん"
みーちゃんはその後、レギュラーに定着し、更にぐんぐんと力を付けていった。
その成長具合は選手としてだけでなく、いつしか私たちの世代をまとめる統率力も大きく発揮するようになり、練習中も寮で生活している間も率先し、先頭を切って歩くようになっていたのだ。
(さすが、私の見込んだ女)
出来る。
何でも出来るんだ、みーちゃんは。
"泣き虫みーちゃん"と言われていた1年生時代からは信じられないくらい、精神的にも成熟して強くなった。いつしか、彼女が泣いている姿なんて誰も見なくなる。後輩に1年生の時のみーちゃんの話をしたらさぞ驚くことだろう。本人が嫌がってるからしないけど。
そして当然のように、みーちゃんは黒永の部長になった。
私も副部長として、彼女を支えるようにと言われたけど、そんな必要はないことは私たち当事者間が1番分かっていたのだ。
みーちゃんは常々、
「面倒事は全部私が引き受ける。五十鈴はエースの役目を・・・試合に勝ってくれれば、それでいい」
そんな事を言っている。
そしてそれは私も大いに望むところだった。
人の上に立つとか、あんまり得意じゃないし。私はみーちゃんみたいにみんなに尊敬されるタイプでも、引っ張っていくタイプでもない。
それをやってくれるのなら、私は私の役割を全うしよう。
誰にも負けないエースになる―――
それこそが、自分に与えられた役だということを、私は強く認識していた。
これらの事が当たり前になったある日。
消灯時間近くに部屋へ戻ると、みーちゃんが二段ベッドの下で、顔に左腕を乗せて目を隠し、寝そべっていた。珍しいこともあるものだ。
「ハニー。どこで寝てんのさ。そこ、私のとこ」
みーちゃんは二段ベッドの上。
そこは普段、私が寝ているところだ。
(練習疲れで寝落ちしちゃったのかな・・・)
それも珍しいことなんだけど、最近の練習本当キツいししょうがない。
みーちゃんの身体を揺さぶると。
「ごめん。今日はここで寝させてくれ」
消え入るほど小さな声で、すぐに返事が来た。
―――寝てたわけじゃない
その事に気が付くと、これは普通じゃないと直感する。
「何? 何があったの?」
私はみーちゃんの顔の近くに腰を落ち着かせ、ベッドに座る。
そして彼女の頬に手を当て、ゆっくりと、壊れやすいものに触れるよう優しく撫でた。
「私に部長なんて向いてないんだ。毎日失敗してばかりだし、後輩には怖いって嫌われる・・・」
「んー・・・」
本当に珍しいこともあるもんだなあ。
たまに"泣き虫"時代がぶり返して弱気になることはあるけれど、今日のは途轍もなくデカい。
(こんなみーちゃん、久しぶりに見た)
同じ部屋で毎日、それこそおはようとおやすみを一緒に過ごしているのに。
「よしよし、辛かったね。ハニーは毎日頑張ってるよ。私が1番よく知ってる」
頬の後はおでこをさすってあげ、耳元で小さく激励の言葉を囁く。
「愛しい人の苦痛は私の苦痛なんだよ。元気出して」
こんなに弱っているみーちゃんを見てるの、耐えられない。
そして彼女がこんな姿を見せるのは私だけなのも、十分に理解していた。
だから。
「ハニーが嫌なのは、部長の仕事? それとも嫌われること?」
意地悪な質問なのは分かっている。
私は来る答えがどちらか分かっていて、今、質問をしている。
だって、私から聞かなきゃみーちゃんは言ってくれないもの。
そういうのも、分かってるんだから。
「・・・嫌われること」
「だよね」
でも、言ってくれたら。
―――私も、してあげられることがあるんだよ
もう一度、みーちゃんの頬を撫でて、彼女の顔に覆いかぶさるように顔を近づけ。
「じゃあさ・・・。私もハニーと一緒に嫌われるよ」
小さく呟く。
「二人で嫌われれば、寂しくないよね」
そして、出来る限りの笑顔を見せた。
腕を目の上に乗せているこの子には、見えないだろうけど。
「・・・いいの?」
「いいよ。ハニーの為だもん」
みーちゃんの言葉は弱弱しく。
「孤高の天才ぶって、後輩を引き寄せないようなオーラ放ってみるよ。どこまで出来るかは分からないけどさ」
そして、この提案を否定するだけの強さも、今のみーちゃんには無いようだった。
「私は何があっても、『永遠』にハニーの味方だから・・・」
私に必要なのは、みーちゃんだけ。
『永遠』に隣に居てくれる、この子だけだ。あとの人間は切り捨てようと思えば切り捨てられる。
ハニーと『永遠』に一緒に居るためには、ハニーにだけは潰れられちゃ困るんだ。
一緒に世界へ―――世界の舞台で戦うまで、絶対に。
選手としても、私生活のパートナーとしても。
それが私の選んだ『永遠』の、意味だから―――
◆
―――だけどね、まりちゃん
私は未だに君の中にも『永遠』はあると思ってるよ。
(じゃなきゃ、この攻撃は無理だ!)
強く鋭く、威力の高いショットを前陣からガンガン打ち込んでくる。
さすがに私も守りに入りざるを得ない。ここまで徹底的に攻撃されたら、反撃を考えるなんて二の次だ。
このまま攻め続けられたら、押し切られかねない・・・!
(まりちゃんはこの3年間、私に負け続けても!)
―――決して、心が折れなかった
私は君と戦った全ての試合で、今日こそ君の闘争心を完全に打ち砕いてやろうと思ってプレーしてたよ。
それが私と違う道を選んだまりちゃんへの、私なりの返答でもあった。
これくらい、覚悟のうえで私と対立することを選んだんだろうと。
その"折れない心"、そして"向上心"、"成長力"。
やっぱまりちゃんは凄いって思えたし、そうじゃなきゃとも思った。
私がまりちゃんの『永遠』の面影から逃れられないのは、必然なんだと。
(強くなったね・・・!)
そう、彼女は強くなった。
私がこの3年間で大きく成長したと同じように、まりちゃんもこの3年間で大きく成長した。3年前とは比べものにならないほどに。
全国大会に出られないよう、黒永が白桜を完璧に抑えつけてきたというのに―――
―――コートの隅に突き刺さり、抜けていく鋭い打球を見送りながら
まりちゃんの成長具合を、肌で感じていた。
「ゲーム、久我。5-2!」
肌を静電気のようなピリつきが駆け抜けていく。
頬を汗が一滴、滴り落ちていって、それが顎から離れていった感覚がよく分かった。
その汗がいつもと違う種類の汗だってことくらい―――分かっているつもりだ。
◆
「つええぇ・・・まりかちゃん。マジっすか」
カメラのシャッターを切る指が止まる後輩を横目で見ながら、私も手元のメモ張に文字を殴り書く。
「3ゲーム連取された後、綾野さんも相当粘ってるけど・・・なかなかブレイクが出来ないわね」
「自分のサービスゲームをキープするのがやっとって感じですもんねえ」
そう。
あの3ゲーム以降、互いが互いのサービスゲームを死守し、試合は膠着状態に入った。
このままいけば―――次の次のゲームで、久我さんがサービスゲームを取れば。
「まさかまさかの大差・早期決着で久我さんの勝利ね」
「うひゃー。五十鈴ちゃんの無敗伝説もいよいよ終了ですかー」
「あの子に限ってそんな簡単にはいかないでしょうけど・・・」
それでも今日の久我さんは凄い。
気迫が可視化されたオーラみたいなものを纏っているんじゃないかっていうくらい、試合に懸ける気持ちが伝わってくるような熱いテニス。それを表現できる調子の良さ。
―――俄かに漂い始めた、本当に試合が早い段階で終わるんじゃないかという異様な雰囲気
それら全てが、今日は久我さんの味方をしているように思える。
(さあ、どうする。綾野五十鈴・・・そして、黒中ゆかり)
黒永ベンチをちらりと見やる。
未だに平静とした表情を崩していない黒中監督ではあるが、内心は勿論、穏やかではないはずだ。
その証拠に、あの人の特徴である足を組む座り方を―――今はしていない。
「ゲーム、綾野。5-3」
さあ―――
"運命の1ゲーム"が、始まりを告げようとしていた。




