"エース"
「申し訳ありません。力及ばず・・・」
燐先輩ががっくりと肩を落として、コートから出てくる。
「惜しかったね」
「貴女はよくやりましたわ」
「今日の穂高は手が付けられないレベルだった。アンタはよくやったよ」
熊原先輩や仁科先輩、野木先輩が優しく迎えてくれるけれど―――
(辛いですよね)
私の時もそうだった。
先輩たちは決して、私たちを責めたりしない。その優しさが、辛いんだ。
「まりか、こっちこっち」
「いやぁごめん。ちょっと迷っちゃって」
「何やってるんですか貴女は」
そこに、少しだけ慌てた久我部長が山雲先輩、河内先輩に挟まれながらやってくる。
「ちょ、ちょとこのみ先輩! もうちょっと優しく引っ張ってくださいっ! 万理はちょっと早く!」
「だー! お前のペースに合わせてたらまりかがいっちゃうでしょうが!」
「姉御、もう足浮かせてくださいッス。下手に歩かれるよりそっちの方が楽ッス」
「みんなふぁいとー、なのー」
とほぼ同時に、倒れ込んでしまった有紀を介抱していた菊池先輩たちも、合流する。
「おお、レギュラー組、全員集合だね」
その真ん中に居る部長が、
「・・・これだけの子たちに支えられて、ここまで来られたんだもんなぁ」
周囲を見渡すように言って。
「みんなに聞いて欲しい話があるんだ」
「「??」」
思わず、3年生の先輩たちはまったく心当たりがないと言った様子で顔を見合わす。
部長はそんな先輩たちの方を・・・私たちの方をまっすぐ見つめ。
―――こんな話を、始めたのだ
「今まで私はずっと『テニス部全員で全国に行きたい』・・・そう言ってきた。でもね。私は本当の意味でそれを実践できてなかったように思う」
少しだけ、顔を顰め、表情を曇らせて。
それでも、堂々と。
「その『全員』の中に、"選手としての久我まりか"が居なかった―――」
◆
私は思わず、息を呑んだ
「これが私が3年間、この白桜で過ごして見つけ出した答えだ」
それだけの想いを、全部背負って・・・。
(すごい)
この人が、コートに立つその意味を―――私は今まで、理解できていただろうか。
「燐。水鳥ちゃんも、ありがとう。よく頑張ってくれた」
自分の名前が呼ばれて、反射的に震えそうになった身体を、必死で抑えつける。
「今日ダメだった分、今度私たちを助けてね」
ずさり。
その言葉が、まっすぐ心に突き刺さった。
「だから今日は―――エースが、このチームを助ける」
部長の言葉は、とても澄んでいて。
"覚悟"―――
その二文字が、端々からにじみ出ているような、そんな気がした。
(・・・以前、河内先輩が言っていたっけ)
チームを言葉でまとめるなら、山雲先輩の方が絶対に部長向きだったと。
それでも久我先輩が部長をやっているのは―――彼女が圧倒的に強いから。
そのプレーで、チームを引っ張れるだけの力があるからだと。
(でも、私はそれだけじゃないと思う)
今の彼女は―――こんなにも、言葉や姿勢でチームを1つにまとめることが出来ている。
"強さ"だけでは、私たちは部長にここまで惹きつけられることは無かっただろう。
それとは別の"何か"。それが久我部長には、あるのだ。
「部長!」
彼女が振り向いてコートへ向かおうとした瞬間、その声が私の前を突き抜けた。
「わたし、見てみたいです」
―――有紀の、強い声だ
「白桜のエースがどんな戦いをするのか、ずっと気になってたので!」
不思議と彼女の言葉は誰にも遮られない。
「エースを見せてください!!」
だからその声が、私にはとても大きなもののように感じられた。
声量とかそういうことじゃない。"刺さる"言葉だったのだ。
「うん。覚悟してよく見ておきなよ」
部長は、最後ににっこり微笑んで。
「これが"エース"だっていうテニスをしてみせる・・・!」
そのまま振り返ると、金網フェンスの向こう側―――光と混沌が渦巻くコートの中へと、入って行った。
(―――、)
何も、言えなかったな。今・・・。
私は有紀じゃない。有紀と同じである必要もない。
だけど、今、私・・・。
(悔しい)
何故だか、そう感じているのは何故なのだろう―――
◆
―――あの日から
試合会場の雰囲気は異様を通り越して、おかしな魔物に憑りつかれたようなものになっていた。
魔物が棲む、その地に一歩踏み出したその瞬間に。
無数のフラッシュと視線と、声援に自分がかき消されそうになる感触を覚えた。
―――いったいどれほど悩み、苦しんできたのだろう
だけど私は一歩ずつ、怯むことなく歩を進める。
こんなことくらいで脅えることなど、もう忘れた。
「やあ」
そこに立つと、彼女は屈託のない笑みを浮かべ。
「久しぶりだね、まりちゃん」
ラケットを持った右手も、何も持ってない左手も、両方をぱっと広げて。
「この時を待ってたよ」
そう、嬉しそうに言うのだ。
―――因縁の戦い、運命の決戦、宿命のライバル対決
「・・・私もだよ」
都大会決勝戦、そのシングルス1。つまり、優勝決定試合だ。
このゲームを制した方が、この都大会の優勝チームとなる。
「ふふ。そうだよねえ。あの日のあの宣言、今考えれば、この試合の為みたいなものだもんねえ」
「そうじゃないよ、五十鈴」
私は二度、首を横に振って。
「1人のテニスプレイヤーとして、こんな試合に立ち会えたことを、光栄に思う。だって、ここで勝ったらイコール都大会優勝だよ? その試合で黒永のエースと戦えるなんて、最高じゃない」
言い切った私に対して、五十鈴は少しだけ眉を潜めた。
「まりちゃんらしくないね。もしかして、負けた時のための予防線張ってる?」
「私は、負ける気は一切ない」
「負けたらあの日から今日までの3年間が無駄になっちゃうもんね」
「五十鈴。君は何か勘違いしてないかな」
まくし立てる五十鈴に対して、私はまっすぐ自分の考えを伝える。
「あの日の言葉はもう、とっくに達成されてる。黒永と対等に戦えるチーム・・・『白桜』のエースとしてここに立ってるのが何よりもの証拠だよ」
―――私たちの戦いを、言葉で簡単に言い表すことは出来るだろう。だけど
「私はもう、そんな昔の言葉ひとつにこだわってない」
―――そんなものはとっくに、乗り越えてきた
「この試合の目的はシンプルだ。君を倒して、都大会を制す!」
―――チームメイトと苦しみ、悩み、切磋琢磨して過ごした3年間
―――それ自体が、"綾野五十鈴と戦う"ということを目的とした『旅』の過程
「今はそのことしか、考えてないよ」
―――ならばこの最終決戦ですべき最後の目標は、この綾野五十鈴を倒すこと
―――たった、それだけのことなのだろう
「ふうん。まあ御託は何でもいいよ」
五十鈴は目を細め、上から私を見おろすように瞳を下に移動させると。
「まりちゃんと最高のテニスをして、私が勝つ」
何のためらいもなく、彼女は勝利宣言をする。
「"いつも通り"、それだけのことだから」
試合中、あまり表情を曇らせることのない五十鈴にしては珍しい。
今、彼女は怒っている。
しかも、ものすごく。そのことが簡単に分かるほどに。
「ただ今より、決勝戦シングルス1、久我まりか対綾野五十鈴の試合を始めます」
五十鈴のご機嫌取りをするつもりはない。
その表情が出来れば曇ったまま、この試合を"私の勝利"で終わらせたい。
「礼」
「「お願いします」」
握手をして、コートへと散っていく。
始まる―――
私と貴女の、決着をつけるための戦いが。




