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私はエースになりたがっている!  作者: 坂本一輝
第6部 都大会編 4
219/385

見てみたい!

『わあああぁ』


 遠いところで、大きな声援が聞こえる。

 それと同時に故郷の野山、田んぼの風景が遠くなっていった。


 畦道(あぜみち)を2年前くらいに舗装したばかりのコンクリート歩道で、わたしはふと気づく。


 "これは夢だ"と。


「・・・ん」


 目を開けると溢れる光で目がくらんだ。

 その衝撃で頭の中が真っ白になる。


(今まで、何の夢、見てたんだっけ・・・)


 っていうか、今何時? ここどこ?

 寝起きで頭がまわらないので全てのことが理解できない。


「あ、姉御ようやくお目覚めッスか」

「万理・・・」


 いつもの糸目が、わたしの視界の上の方に見える。


「藍原さんの寝顔、可愛かったのー」

「海老名先輩・・・」


 大きなお胸越しに、にっこり笑顔のほんわかした表情が覗いていた。

 そして気づく。

 ここが海老名先輩の膝枕の上であるということに。


「わ、わたし寝ちゃってました・・・?」

「そりゃもうぐっすりと」


 試合の後、みんなにコートの外まで運ばれて、この木陰まで来たのは覚えているけど、そこから先の記憶がない。

 寝落ちしたというより、気絶したような感覚に近い記憶の終わり方だ。


「し、試合は!? 決勝戦はどうなりました!?」


 ようやく、ここに来て初めてそのことに頭の中が触れる。

 わたしの試合は確かに勝った。

 だけど、わたしはその先を何も知らない。

 ダブルス1以降の結果も内容も、もしかしたら決勝戦自体の結果すら、既に出ているのかもしれない。

 そう思うと顔から血の気が引いていった。


「・・・」


 一瞬の間だけ、万理と海老名先輩は互いの顔を見合わせる。

 その後、説明はすぐに始まった。


「藍原さんとこのみ先輩、咲来先輩と瑞稀ちゃんが勝った後、水鳥さん―――」


 何故だか、そこで少しだけ時間が空いたような感覚に襲われる。


「―燐ちゃんが連敗して、2勝2敗」

「現在、シングルス1の試合前ッス」


 聞いた瞬間、どう受け止めれば良いのか分からなくなった。

 とりあえず、頭の中が透明で何から考えて良いのか、それさえも。


 2勝2敗―――ダブルス2勝の後、シングルスで連敗・・・。


「藍原、起きましたか」


 何かを考えようとしたその時、このみ先輩が少し勇み足でわたし達のところへ訪れる。

 わたしはバッと、お腹に力を入れ顔を海老名先輩の膝枕から浮かす。


「せ、先輩っ! さっきの試合中はご迷惑をおかけしました・・・っ」

「ん? ああ、そんなこたぁどうでもいいんですよ」


 このみ先輩はいつもの調子でサバサバと言いながら、左手を振る。


「藍原」


 そして。


「お前、白桜のエースになりたいんですよね?」


 真剣な顔をして、そんな話を始めた。


「は、はいっ! そりゃあもちろん!」

「じゃあ、多少辛くても起き上がれ。コート行きますよ」

「え・・・」


 訳が分からず、ぽかんと呆けていると。


「"現在(いま)の白桜のエース"がどんなテニスをするのか・・・見ておいて損はしないはずです」


 このみ先輩のその言葉で、ようやく意味を理解する。


「そっか、次・・・久我部長の試合なんだ」


 都大会決勝(ここ)まで長かったけど、部長の本気の試合を見るのは初めてかもしれない。


(・・・えへへ)


 いつか、キスされたおでこを締まりのない顔をしながら撫でてみる。

 あの時はテンパっちゃって上手く対応できなかったけど、いつか部長と大人のお付き合いみたいなものもしてみたいし、興味もある。


 そのためには―――


「行きます。試合、見たいです!」


 まだまだ、3年生(あのひとたち)に引退されちゃ困るんだ。

 教えて欲しいことが山ほどある。聞きたいことや、盗みたい技術だって。


 だから。


「応援、したいです」


 試合を見て勉強とか、そういうことじゃなくて、ただ単純に。

 部長頑張れって・・・そう言いたいんだ。

 ようやく目が覚めたんだから。


 ―――それに


(あの人のテニスも、見てみたい)


 綾野五十鈴。


 ずっと、気になってた。

 何なんだろうって、ずっと思ってた。

 わたしの中に燻るこの気持ちの正体を、知りたいと。

 だから、あの人のテニスをこの目で見ておきたい。考えるのは後でも出来る。だから、今、この瞬間にしか出来ない事を。


 "本物"を、脳裏に焼き付けておきたいんだ。





「五十鈴ー」


 彼女を見つけるのに、しばらく走り回った。

 決戦の前だというのに涼しげな顔をしたその少女は、とある練習用コートの出入り口に佇んでいた。


「出番かな?」


 そして、私の顔を見るなりそう言って少しだけ口角を上げるんだ。


「う、うん・・・」


 私はまだ、シングルス2の試合結果を言っていないのに。


「準備は、出来てるの?」

「まあバッチリかな。元々、ここまで長かったから身体は出来てるし。あとは気持ちの問題」

「それなら美憂の試合、見てればよかったのに。結果、気になってたでしょ?」


 そう言って、タオルを渡すと。


「ううん。全然」


 五十鈴はケロッとした表情で、何の感情も籠ってないような声で。


「舐めてもらっちゃ困るな。あの子は私が選んだ女だよ」


 顔を拭きながら。


「みーちゃんなら絶対に回してくれるって分かってたから、見る必要なんて無いんだ」


 そう言い切ると、ふうと一つ、息を吸い込み。


「行こう、志麻ちゃん」


 瞬間―――

 私でも分かった。


「うん・・・。あ、コートこっち。それとね、監督が試合前に話があるって」

「監督が? 珍しいこともあるもんだね」


 五十鈴の雰囲気が、変わったのだ。

 目つきや言葉と言った分かりやすいものじゃない。彼女を取り巻く空気のようなものが、一変した。


(凄い。今の五十鈴、全国大会より全然気合入ってる)


 それだけ、彼女にとって次の試合が重要な戦いであるということ。


(そうだよね。だって、久我さんと戦うの、多分これが最後・・・)


 五十鈴は久我さんの事を特別視している。

 それは美憂とは違う意味で、久我さんのことを認めているんだと思う。


 過去、白桜と戦った時も久我さんと何度か試合したことがあったけれど、やっぱりその時の五十鈴の入れ込みようは他の試合のそれとは一線を介すものだった。


(『そこに入ったら君達を倒せない』・・・。あの言葉が、今でも五十鈴の中から消えないんだ)


 あの日、夕暮れの公園で言い放った彼女の台詞。

 私たちだって忘れたことないよ。


 他のみんなは分からないけど・・・私はあの時、久我さん(このこ)凄いなと思ったし、逆に怖いとも思った。

 あんなに良い条件を突っぱねた度胸と、無謀さ。その両方を同時に感じて、おかしくなってたんだと自分の中では勝手に解決している。


(結局、久我さんだけだった。五十鈴と戦う道を選んだのは)


 それは果たして勇気か、蛮勇か。

 今になってみれば、どっちかなんて関係ないのだろう。

 無数にある選択肢のその1つ。そこで逆の方を選んだだけであって。


 私たちの3年間と同じように、彼女の3年間にも同じように意味があったに違いない。

 他の学校に進学した私たちでは、それはもう推し量りようのないものだ。


 ただ―――


「私はね、五十鈴に着いてきてよかったと思ってるよ」


 この3年間で何度全国大会に出場した?

 それだけの勝利を全国で積み重ねてきた?


 こんなにたくさんの体験と、経験と、勝利の味を知ってきたのは、きっと私たちだけ。


「だから勝とう、この試合も」


 五十鈴は何も返して来ない。

 それでもいいんだ。これは私が一方的にしている感謝だから。

 試合前の五十鈴に、気の利いた反応なんてしてほしいとも思っていない。


「志麻ちゃん」


 五十鈴は掠れそうな声で私の名を呼ぶと。

 はっきりと―――


 『ありがとう』


 そう言ったのが、"口の形"で分かった。

 何故ならここはもうコートの真ん前―――黒永の大応援が、五十鈴のその声をかき消したからだ。


 だから私は、一度だけ大きく頷く。

 五十鈴へ明確に伝わるように、オーバーなくらい大きく。


「場は整えておいたぞ」

「オッケー。愛してるよハニー」


 正面から五十鈴を迎える美憂とのやり取りは芸術的ですらあった。

 すれ違ったそのすぐ後に、一歩戻って五十鈴が美憂のほっぺに口を付ける。


「あとは任せてよ。ちょっとながーーーい因縁に決着つけてくるから!」


 ウィンクすると、五十鈴は大声援と異様な雰囲気が渦巻くコートの中へ、駆け足で入って行った。


「やっぱ、五十鈴だよねぇ」

「ああ。黒永(ウチ)は、五十鈴のチームだ」


 未希の言葉に、珍しく美憂が完全に同意して頷く。


「あいつがコート入るのと、他の誰かが入るのとじゃ段違いじゃけえ」

「すごいよねー♪」


(銀華と未希の意見が完全に一致してる・・・!)


 その珍しいという言葉では表現できないほど珍しい光景を見て、背筋がゾゾッとなる感覚に襲われた。

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