VS 黒永 シングルス2 新倉燐 対 穂高美憂 4 "露払い"
そこからはお互いにキープが続いた。
新倉、私双方2ゲームずつキープし、ゲームカウント6-5。
穂高美憂がリードしたまま、新倉のサービスゲームを迎える。
ここを落とせば、試合はタイブレークへ突入―――
(速くて精確な、鋭いサーブ。あれに力負けをすれば簡単にゲームを落とすことになる)
力負け、という表現は正しくないな。
あのコントロールにやられて芯を外すようなことがあれば・・・だ。
今の新倉は一撃で点を取るだけの強力なショットを持ち合わせている。しかも、それをほとんどの確率で決めてくる。弱いショットを打てば、その時点で点は取られたも同然。
だが―――
(この試合、負けるわけにはいかん!!)
私で終わらせるわけにはいかない。
黒永のエースはあくまで五十鈴。私の役目は―――
(五十鈴をコートに立たせる道筋を切り拓くことだ!)
全力を以って、新倉のサーブを両手でレシーブする。
『みーちゃん、これだけはお願いしておきたいんだ』
あれは、いつの事だっただろう。
練習終わりに2人で練習場の片づけをしていると、五十鈴はそう切り出した。
『例え誰が相手でも、どんな状況でも、私をコートに立たせてほしい』
彼女は頬を伝う汗を拭うことなく、淡々とボールの入った籠を台車に乗せながら。
『私まで回してくれたら、絶対にどうにかする。どんな状況でもこの黒永に勝ちを付けて見せる。私は』
少しだけ、目を伏せ、かと思うと真っ暗になった空を見上げ。
『"エース"でありたい―――』
新倉の返したショットを追いながら、私はあの時のことを思い出していた。
そして追いついたボールを、もう一度両手に握ったラケットで弾き飛ばす。
(そうだ、私の役割は"露払い"! 五十鈴が如何なる状況でもコートへ立つための、準備をすればいい!)
あとは彼女が何とかしてくれる。
それで私たちは全国の頂点に立った。この3年間、ほとんどの全国大会で上位進出を決めてきた。
この戦い方が確実に正しいと証明するためにも―――
(私と五十鈴の邪魔をする者は、私が排除する!!)
前へ―――一歩、足を踏み出す。
新倉は落ち着いて、私の脚元、それも遠い位置へのショットを放ってくる。
そんなものが来るのは想定している。今更、敵のコントロールミスを期待するほど私は受け身ではない。
この状況で試合を終わらせるには、攻めるしかない。
足元へのショットを、ガットを正面に向けて掬い上げるように打ち返す。
ロブ気味に上がったボールを追いかけ、新倉はコート後方へ。
そして、そこからでもあの鋭い氷のような強打で返してくる。戦い方は変えない―――新倉燐らしい、実に強気で、上を向いた―――腹立たしい考えだ。
(だから、)
今まで両腕で握っていたラケットから、左手を離し。
(私も"私の戦い方"で相手をしてやる!)
ネットから少し離れた"中間地点"。
まだ威力の高い敵ショットを叩くため、右腕を大きな構えで出来る限り後方へ、"タメ"を作る。
そして、一気に。
「食らえぇッ!!」
振り抜く!
右手一本で放たれたショットはライン際に待機する新倉の真正面へと飛んでいく。
普通のショットなら、確実に返されてラリーが続くであろう甘いコース。
そう、普通のショットであったのなら。
「!?」
新倉燐の放ったショットは前に飛ぶことなく。
大きく彼女の後方へと飛んでいき、ネットにガシャンと突き刺さって、力なく落ちていった。
『わああああぁ!!』
大きな声援が巻き起きる。
だが、私はコート外に目を遣る事は無かった。
じっと、新倉燐の表情を覗く。
「・・・ッ!」
苦悶の表情を浮かべていた。
あの顔を見るに、目の前で起きた状況を理解はしているようだった。
それが、1番良い。
訳も分からず1点を失ったわけではないということだ。
"その1点"は大きい。
「0-15」
ただ1点が入っただけではない。
新倉燐、
(お前の中に確かな"警戒心"を抱かせた1点だったはずだ)
◆
(あの位置でこれほどの威力のボレーを打ってくるなんて・・・!)
タイミングは間違っていなかった。
だけど、パワーに押し切られてボールが前に飛ばなかったのだ。
私の作戦は、鋭く速いショットを精確にライン際に打ち続けて穂高選手を前陣に上げないというものだった。そうすることにより、確実にパワー負けすると思われる前陣からの攻撃を防ぐ・・・それが目的だったのだ。
しかし、今のショット。
(穂高選手は中間地点辺りから、あの強さのボレーを打ってきた)
そして、今のショットには強い回転がかかっていた。
これから推測するに、あの球の正体は1つしかない。
(ドライブボレー)
ネット前位置の"前方"、ライン際位置の後方、そのどちらでもない、サービスライン付近の"中間地点"。
そこから放つ強力なボレーのこと。
『中間地点』で"顔から腰までの高さのショットをスマッシュと同じような威力で返すボレー"というかなり限定された条件下で行うショットの上、このドライブボレーのみを想定した練習が必要の為、この技術を使うプレイヤーは少ない。
だが―――
(穂高選手は、それをマスターしていた)
その事実自体が、今の私にとっては非常に痛い。
しかも彼女のドライブボレーは完成されていた。ネットの前で放つ威力の高いボレーや、スマッシュと比べても遜色がない。
ネット前に出なくても、中間地点から私を力で押し切れるほどのパワーボレーを放てるのだ。
つまり、このままでは私の執ってきた作戦自体が、破たんする。
なんとかあれの対策をしなくては―――だが、もうあと3ポイントしかない。私に残された時間はたったのそれだけだ。そのうちにどうにかしなくては・・・。
(ここまで、使ってこなかったのは)
恐らく作戦―――
自分があと1ゲームで勝利する。その条件が整うまで、彼女は最後の切り札をじっと隠していたのだ。
私に対策されるのを防ぐため。そして、その1ゲームで確実に試合を終わらせるために。
(きっとこのドライブボレーを使った私の戦術の攻略法は何ゲームも前から思いついていたはず・・・!)
完全にしてやられた。
何せ、もう時間が無い。
どうする。どうするどうするどうする。頭をぐるぐるまわして考えるが、有効な手段が思い浮かばない。
ゲームの途中なので、監督の指示を仰ぐことも出来ない。
このゲームを私が取って、タイブレークにするまではベンチに戻ることもできないからだ。
「!?」
―――一瞬の隙を、突かれた
強力なフラットショットを芯で捉えられず、ラケットが手から弾かれるようにコート上へ落ちる。
「30-0」
慌ててラケットを拾おうと腰を屈める。
その時。
「考えごとをしながら、私のショットを返せると思ったか」
敵コートから、穂高選手の声。
「舐めるなよ、2年」
その言葉には明らかな怒りと、憤りと、私への強い否定が籠っているように聞こえた。
―――ここまで来て
(何も出来ないまま終わるなんて・・・)
そんなの、納得できない。
どうにか策は無いものか・・・頭を巡らせるが、有効な答えが出てこない。
体力削りをやってないから穂高選手の体力は有り余っている。これだけ強いショットが打てるというのがその証拠だ。もう今更体力切れは期待できない。
これは試合序盤から中盤のゲームメイクで私に『体力削り』をさせない攻撃をしてきた穂高選手の作戦勝ちのようなものだった。だから―――
「くっ!」
思わず、口からそんな言葉が滲む程度には。
「40-0」
沸き立つ応援団。
大きくなる声援。
「マッチポイント!」
「あーと1点! あーと1点!」
「穂高部長、やっちゃってくださいっ!」
「みーゆ!」
―――私は、追い詰められていた




